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サブカルチャーじゃなくて、私がカルチャー


私は「サブカル女」と言われることがある。

「ブス」とか言われるよりも、なんだか腹が立つワードだ。「うるせー!バカー!」で済む話かもしれないが、それもなんか違う気がする。この腹ただしさをどう消化していいのかがわからなくて、すっきり反論できずモヤモヤしていた。ずっと流せない状態、なんだか廃棄物がお腹の中にいるような感覚で違和感があった。

「メインカルチャー」は素晴らしい。大衆向けの方に音楽や芸術を楽しめられるということが素晴らしい。音楽や芸術自体を楽しめるということがまず素晴らしい。日常的に生きていて音楽や芸術や必定品ではないかもしれない。大衆の人に音楽や芸術を楽しんで頂ける地位を築けることは素晴らしいことだと思う。

だが大衆向けではない音楽や芸術が存在する。大衆向けではないものを「サブカルチャー」とカテゴライズするのかもしれない。「サブカル野郎は誰も知らないものを楽しむ我」といった「なんだかよくわからないものを楽しみ、優越感に浸ってそう」と言った勘違いをされやすいのかもしれない。

確かに「大衆向けのもの」は素晴らしいけど、「大衆向けではないもの」は素晴らしくないかと言われたらそうではない。

私は人伝てに知った音楽や芸術、ミュージシャンやアーティストがが発信したものをきっかけに、とても好きになり。世間的には「まだ知られていない」ミュージシャンや芸術家を私を愛したことも。

私自身、芸術家として音楽家として活動しており「どんな楽が好きなんですか?」「どんな芸術が好きなんですか?」と聞かれて素直に好きな音楽や芸術の名前をあげたら。「サブカル女(笑)」と言われたことも。

素直に好きな人や影響受けた人の名前をあげ答えて「サブカル」という言葉に片付けられてとても悲しかった。好きなもの傷つけられる感覚。傷つくくらないなら「言わなければ良かった」という虚無に襲われた。

あの悲しみをもう一度味わうのであれば「自分の好きなもの」を公言しないようにした。好きな音楽や芸術からわざと自分を遠ざけたこと時期があった。だがそれはそれで寂しい。楽しみを自ら遠ざける行為は本当に辛かった。凄く苦しかった。

私は「サブカル」と言われるのが嫌で、好きなものを自分から遠ざけた。遠ざけたことによって気づいたことがある。

私はサブカルチャーじゃなく、私がカルチャーなんだということに。

結局どんなに好きなものを遠ざけても意味はないことに。だって絶対好きなものに戻ってくるもの。

好きなものや人に影響されたこと、私が好きなものに影響され、私の人生は構成された。好きなものに影響されたことを「サブ」や「メイン」で仕分けすることはできない。

私が大好きなものを誰かに好きなものを「サブカル」という片付けられこともあるけど、もうそんなことなんてどうでもいい。私が好きなものは誰にも譲れない。好きなものが私のカルチャーなんです。私が好きな音楽、芸術、人は私のサンクチュアリィ、私のユートピア。私が好きなものは私のものなのです。私がカルチャーなんです。すまんっ!

だから、もしかしてこれを読んで人で同じ悩みを抱えている人がいたら、私からの一言は安易な言葉や安い感性で引きずり落とされないでください。貴方がカルチャーなのですよ。

だから自分が好きなものを大切つにしてください。誰かの言葉や感性に流されず、ずっと飽きるまで好きでいてください。私が私のカルチャーを大事にするように、貴方は貴方の好きなものを沢山大事にして自分自身のカルチャーを守ってほしいです。


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