巡り会えたこと-宝君の話6

 時は流れて、期末テストの時期真っ只中。

 普賢との一夜ーというのは誤解を招くがーから、心の片隅でモヤモヤした毎日を送っていた。

 これではいけないと、気晴らしに都内にある釣り堀へと足を運んでみた。

 テスト教科は残りあと2つだが、土・日を挟んでいたので、安心して外へ出ることを選択したのだった。

 さて、家から電車で15分程の所にあるその釣り堀は、駅の近くに設置されている。

 たまに乗る電車内から眺めているうちに、いつかは行ってみたいと思うようになった。

 それが今日念願叶って、宝のテンションはテスト期間中にも関わらず上向いている。

 受付で料金を払い、釣り道具一式を借りた宝の瞳に飛び込んだ光景は、釣り人の大多数が大人で、しかも50代以上だったことだ。

 そして周りを見渡たして見ると、とある城のお堀の一角を利用している事が分かった。

 壮大な景色とまでは言えないが、お掘りの周りに植えられた桜の木が長い年月を語っている。

 きっと毎年春になれば、このお堀りは桜色に染まるに違いない。

「それも綺麗だのう……」

 その光景を想像して、思わず口から感動の言葉を漏らした宝は、ふと我に返って辺りを見回し……

 恥ずかしくなって、頬を赤く染めた。

 それから気持ちを誤魔化すように、キョロキョロと自分が釣る場所を見つける為、あちこちを歩き回ること数分。

 何処かで見たことのある少年が、一人で糸を垂らしている姿を見つけた。

 驚かさないようにそっと背後から近づき、知り合いかどうかを確かめてみる。

 しかし、相手の方が上手だったようで

「見たければ隣りにでも座るがいい」

“遠慮するな”と言葉を付け足した彼は、糸が引いたのだろうか、竿をひょいっと上げる。

「おぬしも釣りか?」

「そういうお主も釣りに来ておるではないか、縹宝(ハナダタカラ)よ」

「宝でよい、公原望(キミハラボウ)」

「その名は正確ではないが、面倒臭いので、そのままでいい」

“また餌を取られた!”と、悔しそうにそう言って、針の先を眺める望に
「まさかと思うが、おぬしもテスト期間中なのか?」と、宝は問い質した。

「わしは昨日無事終了した。
テストを受けたのは、わしではないがな」

“くっくっく”と笑って、望は
「お主はどうだ?」
と、短く訊ねる。

「明後日に2教科受ければ、テスト終了だ」
「遊んでいて大丈夫なのか?」
「赤点さえ取らなければ平気だ」

 宝は受付から借りてきた椅子を隣に置きながら、自信満々に答えた。

「赤点ね……」

 針に餌を付けながら、望は何処か感心して
「そんなものを取ってきたら、わしはこの世にいられなくなるかもしれぬ」
と、怒る姉の顔を浮かべて、思わず首を竦める。

 ややあって、宝も魚釣りの準備が出来たようで、回りの釣り人客に迷惑にならないようにしながら、針を釣り掘に投げ入れた。

(ほほう・・・まだあんな針を使っておるとは)

 望の瞳に一瞬だけ見えた光景は、真っ直ぐ伸びた針の先が、水面に吸い込まれていく映像だった。

 しかし望は敢えて訊かず、今の時間を楽しむ為に、彼よりも先に投げいれた針の行方を追う。

 望は年の頃、宝と同じ年(見た目)で、4才年上の姉と二人暮らしだ。

 両親は彼が2才の時に目の前で殺された。

 その時の後遺症なのか、多重人格障害を患っているらしい。

“らしい”というのは、ここにいる望が“自分は単なる彼の記憶の一部だ”と言い張っているからだ。

 そのことについて回りの人間達ととことん話し合えばいいのにと宝は思ったが、彼の家族から見て、もう一人の望という人格を無視するわけにもいかないらしく、ありのままの状況を受け入れる事にしたようだ。

 彼自身にもまだまだー本人も気付いていないー秘密を抱えているようにも見える。

(わしはここに今ここに存在しているのに、言葉遣いを聞くと不思議な気持ちになる)

 などと、宝が考えていることなど露知らず、望は徐ろに口を開いた。

「そういえば……ついこの間わしの家に、普賢と名乗る者が遊びにきたぞ」
「なぬ、普賢が?」

 予想もしない発言に驚きの声を上げた宝は、魚が釣れたと勘違いして、軽く釣り竿を上げる。

 そのせいで水面に幾十の輪が広がった。

「そ、それで・・・あやつは何と?」
「とても興味深い話をしていきおった」

 そう言った望もまた、釣り竿を上げ下げして、魚がかかるように誘ってみる。

「勿体ぶらずに早う言わぬか!」

 望の態度に多少苛つきをおぼえ、話を催促した。

「生まれ変わりと、人を好きに……強いては愛してもいいという話だ」
「何故、今そんな話を?」
「案外鈍感なのだな……
お主の好きな小張奈義についてだよ」

 含み笑いを浮かべて、宝の反応を待つ望。

(普賢……おぬしは一体やつに何を教えたのだ?)

 宝は、隣りで“面白いことを聞いた”喜ぶ彼を目にして頭を抱えた。

「というよりも、お主に関わりがある者全てといっても過言ではない」
「哲学的な話など今はいらぬぞ」

“ここへは気晴らしに来たのに”

 何故か顔を赤く染めた宝の睨む目が、はっきりとそう訴えている。

「まあ、そう睨むな。
何も言わんでも、本当は既にお主には分かりきったことだろう?」

“いちいち細かく分類するから、ややこしくなるのだ”

 苦笑して、望は普賢にゆっくりと話し始めた。

「掻い摘まんで言うと、生まれ変わりはな、亡くなった人の魂の一部、それも小さな欠片が、他の同じような魂達と混ざり合って、再びこの下界ー人間達が住む世界の事ーへ生まれてくるのだそうだ。
それ故に性格が一つだけという人間はおらぬ。
皆、色々な面を持っておるのはその為だ」

 得意気に話す望を、ちらりと見ては水面に瞳を向けることを繰り返し、宝は早く話が終わらないかと考えていた。

 しかしこの手の話は長くなるということも知っている故に、今後の為と自身に言い聞かせる。

 そんな彼等に心地良い夏の風が吹き抜けるが、宝の胸の内だけは裏腹だった。

b複雑な表情で釣り掘の水を見続ける彼に
「こんなことを経験した事はないか?」
と、望は優しく語りかけた。

 その声は、まるで甘い蜜のような何とも言えない……

 一度聞けば逆らえない声ーモノーだった。

「出会ってすぐでも、暫く経ってからでもいい。
自分が知っている者と何処か似ておるとか。
この者と昔一緒にいたのでは?とか……
一瞬でも、無意識でも構わない」

“感じた事はないか?”と、望は瞳を合わせようとしない宝の代わりに、頭上に広がる青い空に目を向ける。

「それは、前生で出来なかったことをこの世でやり遂げるには、どうしたら良いかと考えた末の姿なのだ・・・と、お釈迦様が言っていたらしい」

“ニイッ”と片笑みを、まだ内容を把握出来ていない宝に見せた望は
「だからな、お主に会いたくて……
沢山の愛を送りたくて、今生を選んだ者がいるのだとしたら、それは拒む事なく受け入れればよい」
“勿論、お主の感情も考慮して付き合うのが、一番いいのだが”と、言葉を付け足した。

「それが、この間普賢が帰り際に言いたかった事なのか?」

 ややあって、宝は言葉を選びながら、隣りで魚が釣れるのを待っている望に話しかける。

 彼は浮き沈みを繰り返す竿の先をただ見続けながら
「まあ・・・そういう事だな」
と、感慨深く頷いて答えた。

(普賢め・・・次に奈義に会う時に意識してしまうではないか)

“はあ”と、宝が大きな溜め息を吐いた時、バシャッという水が撥ねる音が耳に届く。

 どうやら念願の魚が釣れたようだ。

「見ろ、宝!大きいぞ!!」

“やっと釣れた”と、興奮して叫ぶ望の姿を、宝は冷めた瞳で見つめる。

 幸い、二人が居るレーンに他の釣り人がいなかったから良かったものの、一応迷惑行為にとられることがある為、大きなー本人は嬉しさのあまり気が付いていないがー声だけは止めてほしかった。

 その気持ちを伝える為に、宝はにちらりと横目で目配せしてから
「良かったのう、魚が釣れて」
と、呆れた口調で言った。

「何だ、嬉しくないのか?」
「嬉しいが、騒ぐ程までは……」

“よくそこまで喜べるものだ”と、宝は瞳で語る。

「いやあ、これで望にようやく自慢できる!」

 顔を綻ばせて言う彼に、宝は何を思ったのか
「おぬしも、普賢が言ったことに当て嵌まるのか?」
と、いつになく真剣な眼差しでそう訊ねてみた。

 その途端、望は複雑な表情を浮かべ
「望はそうだが、わしは……」
と、言い掛けて口を噤む。

 何か他の話題に変えようと考えてみるが、しかし何を話そうかと思うと、案外思い浮かばないものだと、望は気付いた。

 倉皇しているうちに、宝が道具を片付けて立ち上がる。

「宝、何処へ行く?」

“もう帰るのか?”と、不思議そうに問う望に宝は
「少し散歩をしてくる」
と、告げながら片手を上げ、早々とその場を後にした。

遠ざかる彼の背中を、いつまでも見送りながら
「普賢よ、これでいいのか……?」
と、望はここにはいない人物に思いを馳せる。

 大空を吹き抜ける風が、受け止めることのない言葉達を、天高く攫っていった。


































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