巡り合えたこと-宝君の話(4)

 時間が経つのは早いもので、時計の針は午後9時半を回っている。

 食事を済ませた宝は明日の用意をする為、只今入浴中だ。

 この梅雨時には、お風呂にでも入らないと、風邪を引きやすい。

 理由はそれだけではないが、彼はこの時間が大好きだった。

 この時間は縹夫妻にとっても、束の間の夫婦水入らずとあって、先程の緊張感が張り詰めていた空気も和らいでいく。

「宝の奴、タマゴサンド美味しそうに食べていたな」

「レタス入りがお気に入りよね」

 剣の何気ない問いかけに、扇はそう答えて微笑む。

「最初は仙道って何を食べるのだろうって思ったけど、宝君が動物や魚は食べないと教えてくれたから、メニューが限定されて助かったわ」

 そう言って、彼女は花柄の妻夫茶碗に注がれた熱いお茶を一口飲んだ。

和やかな空気が二人を包む。

 彼等は宝が来た時から、今までの思い出を暫く語っていたが、ふと何を思ったのか剣が

「あいつは自分が担った使命を無事終わらせたら、神界へ帰ってしまうんじゃないかな?」

と、真面目な表情で、お茶を飲んでいる扇に訊ねた。

「どうしたの、突然・・・?」

 カタッと小さな音をた立てて、湯呑みを置いた彼女は、不思議そうに首を傾げる。

「いや、特に理由はないんだ」

“ただ、何となく・・・”と、剣は言いかけてお茶を飲み干した。

 扇は何も言わず、急須から二杯目の少し冷めたお茶を注ぎながら、彼の言葉を待つ。

 ややあって、ようやく考え纏まったのだろう。

「あと一人、封神する者を捕まえれば、ここ下界に用はなくなるはずだから、すぐにでも帰りたくなるんじゃないかなって思って」

“家ーウチーに長居しても意味がない気もする・・・”

 剣はぽつりぽつりと、気持ちを吐き出すかのようにそう言った。

「そうねえ・・・」

“もしかしたら、また教室へ行って昔に想いを馳せていたのかしら?”

 扇は自分の勘が当たっていることも知らずに

「多分、それはないんじゃないかしら」

と微笑んで彼の意見を軽く否定する。

“何故?”と、瞳で問う剣に

「私達のことを親しみを込めて“父上”、“母上”って呼んでくれているから」

と、何処か自信たっぷりにそう言って

「根拠はないけど、里帰りしても必ず私達の家に帰ってきてくれたからね」

と、言葉を付け足して、お茶を啜る。

「本当にそう思うのか?」

「ええ、だって私達の他にも大切な人達が、ここには沢山いるもの」

“彼等を放って置いて神界へ帰る事が出来ないのが、宝君の性分だし”

 扇の瞳の奥に、そんな台詞が隠されている事に気付いた剣は、返事をする代わりにお茶を一口飲む。

 ぬるめだと思って飲んだお茶は、まだ熱かったらしく、剣は顔を歪ませた。

 それを見た扇は思わず“大丈夫?”と声をかける。

 コクリと頷いた剣の姿に安堵して、彼女は少しの間顔を俯かせた。

 やがて扇は徐ろに顔を上げ、いつもはあまり見せない辛そうな表情をして

「宝君が私達の本当の子供だったら良かったのに・・・」

と、今まで我慢していた本音を思わず漏らした。

 そうすれば、こんな思いを何度も繰り返すことがないからだ。

「・・・そうだな」

 剣は扇の思いを受け止めるかのように、短い返事をした。

 さて、一方の宝は入浴が終わって身支度を済ませると、昔話に花を咲かせている彼等に挨拶をして二階へと上がっていく。

 彼に用意された部屋は、階段を上がって十歩程行った右手にあった。

 中は意外と整理されていて、綺麗さを保っている。

 ベットが奥の壁に貼り付くように置いてあり、その上に小窓があった。

 ベットに乗ることにより、外を眺めることが出来る小窓が、子供の頃を思い出させてくれて、疲れた時時のひとつの息抜きとなっている。

 今は夜が更けている為に、外の世界を遮るかのように、雨戸が閉められていた。

 入り口から見て右側ーベットの足元というべきか?ーには、胸ぐらいまである高さの茶箪笥と、その更に隣りに宝の背丈よりも30センチ程高い本箱が置いてある。

 このふた棹ーサオーは、元々縹家で10年程前に使われていたもので、処分するかどうかで悩んでいたところへ、宝が住むこととなったのをきっかけに、有り難く使わせて貰っていた。

 本箱の下の方には引き出しが3段あり、彼は1番上を音を立てないように、ゆっくりと引いた。

 そこには、宝が大切にしているものが、軽く整理されて仕舞ってある。

 その中から一番上に置かれた白い封筒を取り出し、再び引き出しを閉める。

 部屋の真ん中に堂々と居座るかのように置かれた炬燵ー宝の勉強机と化しているーに移動した彼は、カサカサと音を立てて中から数枚の便箋を取り出した。

 手紙の主は、普賢菩薩である。

 3千年前の封神の儀式で、宝が菩薩に任命したのだ。

 彼は元々崑崙十二仙の一人で、その時は普賢真人と名乗っていた。

 当時は頭の上に天使の輪っかのような物を付けていたが、今は菩薩となった為そのような物はなくなっている。

 宝と普賢は無二の親友であったが、先の仙界大戦で命を落としてしまった。

 その日から宝は誰も見ていないところで、自分を責め続けている。

 その手紙が書かれたのは去年の10月だった。

 すぐにでも開封したかったが、当時宝は受験の真っ只中の為、結局開けることが出来たのは、合格発表の後だった。

 内容は普賢の近況報告が主だったが、最後の一枚に気になる情報が書かれていて、何故もっと早く開封しなかったのだろうかと後悔する。

「昨年に読んでいれば、今頃は封神の儀式も無事終わらせて、心ゆくまで受験勉強に集中できたのに・・・」

 多少の嘘はあるが、それでも宝の言う通り、第3次封神計画は無事終了したはずだ。

“はあ・・・”と、大きな溜め息を吐いて、便箋を封筒に押し込もうとした。

 その時、幽かに自分を呼ぶ声がした・・・ような気がした。

 気のせいだと言い聞かせ、再び便箋に手をかけた瞬間

「望ちゃん、何度も呼んでいるのに」

“聞こえてる?”と、怒ってはいるものの少々鼻にかかった声が、手が止まった宝の耳に届く。

 その声は明らかに普賢菩薩の声ーモノーだ。

 今度は幻聴ではない。

 背後に彼特有の神々しい気配をひしひしと感じることが出来たからだ。

 声がした方へ体ごと向けた宝は

「普賢ではないか、久しぶりよのう!」

と、喜びの声をあげた。

「望ちゃん、久しぶり」

 普賢と呼ばれた少年は、水色の短い髪を揺らしながら挨拶をした。

「あと30分ぐらいで真夜中になるから、はしゃぐのは止めよう」

“小さな声でね”と口に人差し指を軽く押し当て、そう提案する彼に

「そうであった・・・」

と、宝は苦笑して答える。

「こちらへ来て、積もる話でもしようではないか」

 いつまでも立たせている彼に悪いと思ったのか、宝は炬燵の側へと来るよう招き入れた。

「うん!」

 普賢はさも嬉しそうに返事をして、宝と向き合う形で腰を下ろした。











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