巡り会えたこと-宝君の話(2)
宝が今年春から通う高校は、孤竹高校といって、運動部がそこそこ強い学校である。
制服はブレザーで、中学時代襟詰めだった宝にとって動きやすいから、こちらの方が出掛けるときには重宝している。
さて、学校が終わって荷物を肩にかけた宝は、校門を出てすぐに左へ曲がる。
そこは急な上り坂になっており、早く帰りたい時は、少々困難な道だ。
学校の向かい側に孤竹駅があるのだが、正直電車は苦手な為、家から40分程かけて徒歩で通学している。
自分のペースで歩けるから、時間がかかってもそちらがいいのだ・・・と言われると、いかにも彼らしい答えであることが分かる。
上り坂の頂点に差し掛かると、左側に細い道、真っ直ぐ進むと縹家へと続いている。
宝は迷わず直進することを選んだ。
それから20分程坂を下っただろうか?
今度は十字路が見えてきた。
ここは住宅街になっており、働いている人が半数近くいる。
その為昼間の時間帯は殆どの住民がいなかつった。
先程の道を行けば、彼がお世話になっている縹家に辿り着く。
だが彼はここも選ばず、再び直進した。
すると、3分もたたないうちに大通りへと辿り着いた。
右側にそびえ立つ3階建てのビルは、端スタジオといって、アフレコやナレーションを行う場所である。
有名な声優も通うことから、ファンの間ではちょっとした人気のあった。
宝は信号が青になるまでの間、宝はそのビルを仰ぎ見た。
(ここで父上が仕事をしておるのか・・・)
宝が感慨深く眺めてから1分程で、ようやく赤から青へと変わった信号を渡り、右へ曲がる。
その道は、宝の養父である縹剣ーハナダツルギーが経営する、声優教室が入るマンションがあった。
宝は丁度1年前にこのマンションの前でぐったりしているところを、彼の教え子に助けてもらい、剣の家で暮らすこととなった。
ベージュ色のマンションの前にある2階へと続く螺旋に似た階段をゆっくりと上り、奥まで進む。
「縹声優教室」と書かれたプレートを確認した宝は、持っていた合い鍵で鍵を開け、中へと入った。
「ふう、やっと着いた!」
“いつ来ても遠い道程だのぅ”と、溜め息混じりに呟き、広い空間を見渡した。
床に茶色のリュックを音をたてて置き、その横に彼も静かに座った。
足を伸ばし、次に大きく深呼吸を2,3回して、気持ちを落ち着かせる。
やがて準備が整ったのか、徐ろに床に仰向けに寝そべった。
月・水・金と休みしか来られない生徒の為に土曜日(小学校高学年からOK)も開かれている教室も、今日は木曜日とあってか、静寂に包まれている。
その為、静かに瞼を閉じた宝は、数分も経たぬうちに遠い昔を思い出すことが出来た。
正確に言えば、過去など過ぎ去っているものだから、手元にはもうない。
あるのは今彼の頭の中に存在する“思い出”と言われるものだけだ。
彼は“思い出”を使って、懐かしい日々に浸りたかったのである。
ただその行為は、宝にとって危険な行為ーモノーだった。
へたをすればイメージが強すぎて、意識が戻って来れないーというのは大袈裟だがーかも知れない可能性があるからだ。
それでも彼は過去ーそこーへ戻りたかった。
全ての始まりであるあの時代ーバショーへ。
青空と並行して、草木が生い茂る大地。
子供の頃に仲間達と一緒になって遊んだ草原には、野生動物達も沢山いて、よく見に行ったものだった。
勿論、家の用事や仕事の事も嫌がることなく手伝った。
全部が宝にとって先生であり、教科書だったのだ。
殷の兵士達が村を襲うまでは・・・
やっと生き延びた先に見えた風景は、跡形もなく焼き尽くされた村。
仲間の何人かはどこかへ逃げたと思われるが、姿を見ていない為に、はっきりした事は分からない。
生きていて欲しいという気持ちは、後に師匠となる元始天尊自ら迎えに来た直後まで続いた。
時を経て、沢山の兵士や村人・仙道達を犠牲にして、殷周革命を終わらせたと同時に、気付いたものがある。
「何だ・・・わしも殷と同じことをしているではないか」
口が自然に動いたかと思うと、音もなく両眼から涙が溢れ出た。
その涙には不思議と名前が付けられるものではなかった。
何回も袖で拭ったが、それでも流れてくる涙をどうすることも出来ない彼に、時間ートキーは容赦なく進んでいく・・・。
「いっそ・・・このまま、この世界に留まろうか?」
宝が朧気な表情でそう呟いた瞬間、もうひとつの大切な世界がガタガタと音を立てて崩れ始めた。
“なら、この世界は望ちゃんにとって幻だから、いらないよね?”
土埃が舞い始めた矢先、とても懐かしい人の声が、宝の耳に届いたと同時に、この1年で出会った人達の姿が現れては歪み・・・そして消えていく。
(これではあの時の繰り返しではないか!)
“冗談ではない”と、宝は気持ちを強く持ち直し、助けを求めるかのように叫んだ。
「いやだ、やっぱり“今”が良い!!」
暗闇の向こうにあるであろう、明るい日の光を信じ、宝は思い切り天上へと右腕を伸ばした。
その瞬間、がしりと誰かが手の平を摑む衝動が、体全体に伝わった。
「宝、ここで何をしていたんだ!」
力強い男性の声とともに、彼の体がぐいっと引っ張られる。
驚いた宝の瞳の先には、教室の経営者である縹剣ーハナダツルギーが、険しい表情で腕を摑んでいた。
「父上・・・何故?」
今の状況に頭が追いつかず、キョトンとしている彼に「明日の準備をしにきたんだ」
と、短く説明した。
「宝、イメージトレーニングは禁止したはずだが?」
「・・・済まぬ、今はその名は」
「仮名でも、今のお前の名だ」
「それは・・・そうだが」
宝は涙で腫れた瞼を左手で擦りながら、そう答える。
「今は何時なのか?」
「・・・もう7時近いぞ」
「えっ!?」
“ここに二時間半もいたのか・・・”
現実に引き戻された彼の口から、呆れた言葉しか出てこなかった。
これから先の出来事を想像し、身を固まらせた宝の不安を取り除く為
「扇には一緒に謝ってやるから、用意が出来次第家に帰ろう」
と、剣は特に涙の理由ーワケーも聞かずにそう告げ、彼の腕を離すと、奥にある事務所へと姿を消した。
宝は気持ちを一度落ち着かせてから、剣の後を追うように立ち上がり、一歩一歩と前に進み出した。