ドール02

おしゃれは、自分の為にする。

AロマンスAセクシャル(恋愛感情・性欲なし)のわたしでも、したい時にはお洒落はします。したい時だけ、というのがポイントでして、持病があって在宅ワークしか出来なかったわたしには、「化粧をして会社に行かなければならない」という制限が無かった、のもあります。お陰でしたくない時には頭ぼさぼさ、顔も気が向かないと洗わないくらい、ずぼらです。特に、鬱を発症してからはそれがしんどい……髪を梳かすことすら億劫になります。

そんなわたしですが、一時期はゴシックファッションに嵌まっていたことがあります。カラコンをつけ、ウィッグを被り、美白ファンデで肌を白くして、化粧をしていました。甘めのデザインの衣装にシルクハットとステッキという恰好で、町を歩いていました。しかし、ここは都会ではなく田舎。周囲の視線が凄まじかったです。奇異な目で見られる覚悟が無いと出来ないのです。当時はわたしは心が麻痺していて、人形のようでしたから(鬱の症状として)、出来るだけ人形に近づこうとしていたところがあります。お洒落をしたい、のではなく、「別のイキモノになりたかった」のです。

当然ながら、(性別を問わず)誰かにモテたい訳でもなく、声をかけられたい訳でもなく、あくまでも自分の為でした。綺麗と言われたい訳でもなかったし、元の造りがアレなので本当に「自分ではない誰か」に見えさえすればそれでよかったのです。(なお、似ている有名人はと周囲に考え込まれて、「アヒル」と言われたことがあります)
当時のわたしにとって、最高の誉め言葉は「お人形さんみたい」でした。だって、人形になりたくてやっているのだから、当たり前です。

わたしのケースではこんな感じですが(人形願望は今も続いていますが、年を重ねて太ってしまい、服が着られなくなったので泣く泣く止めました)、多くの女性が似た感じで、「自分の為のお洒落」をしているのでは、と推測してみたりします。自分が可愛いと思うから着飾りたい、自分が良いなあと思う服を着たい。ムネが強調されていようと、マイクロミニスカだろうと、それは男性の為でも何でもなくて、「そういうのを着たいから着ているだけ」なんじゃないかな、と思います。(全員が、とは言いませんけどね)

仕事の場等ではともかく、プライベートな場で、似合わないとか、柄じゃないとか、周囲から浮くとか、そういう理由をつけて、周囲がカジュアルなお洒落に制限を設けるのは、何か違う気がするのです。着たいなら、似合わなくたっていいじゃない! 眼鏡と同じで、そのうち馴染むよ! って思います。知らない男性に「ブス」とすれ違いざまに言われたりすることも、時々ありました。あれ、何でしょうね。人を「ブス」と決めつけられるほど自分は造りが良いのか、自分の顔を鏡で見たこともないのか、と思いました。見知らぬ人を「ブス」呼ばわりするほうが、余程心が不細工だと思います。

大体、男性が女性を値踏みするとか、わたしにはさっぱり理解できません。逆も然りですが、人間として失礼じゃないの、と思います。TPOさえ守っていれば、個人の趣味範囲でなら、好きな恰好をして良いと思うのです。わたしは今は太ってしまって、着たいものが着られませんが、もし痩せられたらまた、所謂「奇天烈な恰好」に戻りたいなぁと思っています。

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