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【読書感想文】「学生時代」に自分だけ取り残される「死んだ山田と教室(作者:金子玲介)」
※ネタバレを含みます。
高校時代の友達と大人になってからどのくらい付き合いが続いているものだろうか。自分は部活が同じだった友人がかろうじて一人、のみである。それに対して夫の方は少なくとも年2回は10人単位での高校の同窓会が開催されており、その他に個別で飲みに行く同級生もいる。この差は何だろうか。私が特に友達が少ないという疑惑はさておくとして、夫が男子校出身なのが理由かもしれない。
男子校出身の人々って卒業後も男子校ノリが続いて仲がいいかんじがしませんか。夫は卒業して20年経つのにいつでもブランクを感じずに集まれるらしい。でも別に学生時代の思い出話は特にしないそう。というか何をしゃべっていたか毎回覚えていないとかいう。そういえば学生時代にしていた友達との会話は、話があっちこっち飛びながら延々と喋っている割にはいつも何の話をしたか覚えていなかった。すごく楽しいけど何の話をしていたかは覚えていない。大人になってからはそんなお喋りってあんまりしてないなあ・・・
「死んだ山田と教室」を読んでまずそんなことを思った。
クラスの中心人物で人気者だった山田がある日交通事故で亡くなってしまう。悲しみに暮れる2年E組のホームルーム中、スピーカーから突然山田の声が聞こえてくる・・・物語はこのようにして始まる。
声だけ復活した山田を異常にすんなりと受け入れたクラスメイトたち。山田の復活を大歓迎し、変わらずにクラスメイトとして扱う。この山田とクラスメイトの会話のテンポがすごい臨場感があって、男子校の教室の情景がリアルに浮かぶ。偏差値2かと思うようなしょうもない下ネタをこぞって言いたがるところとか(ちなみに山田と話し始める前に言う合言葉は『おちんちん体操第二』)、突っ込みの異常な反射神経とか、山田がする先生たちのモノマネが妙にクオリティ高いとか、勢いだけで生きている男子高校生ならではが過ぎてところどころで声出して笑った。一方で、聴覚しかなくなってしまった山田のために、放課後の夕焼けを各人が言葉を尽くして伝えようとするシーンは瑞々しさと思いやりに満ちたとても美しいシーンである。
山田復活の熱狂のまま、ノリで文化祭では「山田カフェ(山田のトレードマークである金髪のカツラを全員が被って接客をする)」を出店することになる。このあたりの単純さと勢いとアツさがまた高校生っぽいんだけど、若干名「内輪ウケすぎでは?」と引いている人もいる。でもクラスの大半は盛り上がっているしなあ・・・と、水を差しそうなので言い出せない。基本的に面白くて気遣いもできる山田の事が皆好きなんだけど、声だけの山田に慣れてきたクラスメイトの心の中の本音が少しずつ見えてくる。
高校生は目まぐるしいスピードで日々変化し成長していく。16歳で時が止まってしまった山田と、変化していくクラスメイトたちとの間に少しずつ溝ができていくのを止められない。
「山田はかわいそうだ。こんな風に中途半端に復活するんじゃなくて、あのまま死んで皆に美しい思い出として心から悼まれた方が良かった」高校2年生あたりで持ち始める冷ややかさを含む大人びたセリフだと思った。
バカバカしいことで笑い合っていた同級生たちもやがて進級し、進学し、就職していく・・・山田一人を2-Eの教室に置き去りにしたまま。(ちなみに山田が消える気配はない)
皆に忘れられていって、若さって残酷だなあ、山田かわいそうだな、と思う一方で、仕方ないよな、だって人は新しい体験や経験をして変化をしていくのだから。それが成長するということで、大人になるってそういうことだから。とも思うのであった。
ちなみに自分がなぜ高校の同級生たちと会わなくなったのかというと、高2の時のクラスが山田のいた2-Eみたいなかんじで、かなり皆仲良くて20代前半くらいまでは結構頻繁に集まっていた。でも段々と会話のバリエーションが「高校時代のあの時ああだったね」しかない会がつまらなくなって、あまり顔を出さなくなった。多分皆そうで、そのうちに集まり自体がなくなった。でもそれを寂しいとは思わない。価値観が変化するのは自然なことだし、それで付き合いが途切れたからといって楽しかった高校時代の記憶が消えてしまうわけではないし。
大体いつまでも昔あったことだけを話したがる人は苦手である。何度も話したい楽しい思い出なのかもしれないけど(DIE WITH ZEROにも結局人生にはお金ではなく思い出しか残らないと書いてあったけど)、それだけを話し続けているのはさすがに進歩がないし、今がどうでこれからどうしたいという話の方が聞く方も面白いと思うんだけど。変わりようのない過去の話ってオチいつも同じじゃんと思ってしまうので、過去話ばかりされるのは付き合いきれんなと思う(※友達が少ない理由が見えてきました)。
2-Eのクラスメイトたちはそれぞれ高3に進級し、翌年には大学に進学し、その4年後には就職していった。25歳になっても山田に会いに来る友達が一人だけいた。彼は山田とのある約束を絶対に守る、という強い想いを抱いたまま大人になったんだけど、25歳で高校生の時の誓いを守りすぎているその不器用さ、頑なさ、純粋さが読んでいるこちら側は居心地が悪いような胸が痛いような気持になるのだった。人は変わるものだし、変わっていいのに。
山田のように永遠に16歳のままの同級生はいないけど、若いころと価値観が変わっていない人に出会うことはある。そんな人を見ると、やっぱり実年齢通りに大人になっていかないと周りと足並みが揃わず話も合わなくなるのではと思う。
夫が今も頻繁に会う同級生たちとは、昔の話で盛り上がる必要なしの共通意識がある者同士プラス、当時と同じ男子校ノリに見えても大人の分別で踏み込みすぎないラインを心得ているからこそ良い付き合いが続いているのだろう。
「死んだ山田と教室」、読む年代によって感じ方が全然違いそう。40代の私は山田の友達はもっと上手に生きればいいのに、と思ったけど、25歳の時に読んだら自分は一生この友達のような純粋さを持っていよう!と思ったかもしれない。そう、人間の価値観は変わるものだから。