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はちべいポエム90

ひとは自分のからだが不自由なく動いて生活を送っているとき
とてもたくさんのことが気になります
しかし、先が見えて生活もままならなくなったとき
考えることはとてもシンプルになってきます
ましてや、あの世に逝ってしまったら、聞くことができないので
わかりませんが、やはりシンプルだと思うのです

楽しく健康でいるか
生活に困ってはいないだろうか
家族が仲良くしてくれているか
そんなことでしょう
 
ひとは自分があって、命があると思っています
しかし、逆なのです
先に命があって自分があります
命がなければ自分は存在せず、そこに自分の考えはありません
だから年齢がいってはじめて生かされているという感覚に気づきます
 
ひとは良いことをすれば良い結果になり、良くないことをすれば
良くない結果を招くと教わり信じようとします
しかし、必ずしもそうならない現実に疑いを持ち始めます
 
また、出会う出来事や出会う人に偶然の運命的なものだと思い運が良い
とか悪いとか口に出したりしますね
上手くいかないと苦しんだり悩んだり、ときには恨んだりします
そもそも良いこととそうでないこととは、とどのつまり自己都合では
ないでしょうか
良くないことに向かったことで、大切なことに気づくかも知れません
どうして自分はいつも良くないことが襲ってくるのだろうと思い悩むに
留まるかもしれません
いやだったら自分でどうにでも対処することだって出来ます

鳥になって飛んでいた自分が、たまたまとまった枝に不運があるとします
しかし、その枝にとまろうと選んだのは自分です
大切なのは、自分で選んだ責任と向き合い、どう考えていくかということ
どこまでも何かのせい、人のせいにするだけでしょうか

自分自身が老化してときに病気を患って思うようにいかなくなると、もう
すこしシンプルに真剣に考えるようになります
ひとの道とは、そんなことなのだろうかと気づき始めるのかも知れません
いろいろなことに覚悟と観念していく時間を過ごしていくのかも知れません
 
生活もシンプルになるのでしょうか
食べる、寝る、トイレに行く
自らの力では万事に行うことができなくなり、ひとの手を借りなくては
ならなくなっても、それぞれの方によって尊厳みたいものが顕著に出るように思います
わたしの母もそうでした
こちらからすると、手を借りなければ自分ひとりではできないのだから、言うことを聞いてほしい、こちらの大変さもわかってほしいと、どこか上から目線になって思ってしまいますが、本人にしてみるとどうしようもなく譲れないところなのかも知れません
こちらからすると子供にでも帰っていくように映ったりするのでしょうか
しかし、これもひとの道
順番で、あなたもいつか通る道ですね