遺書[生きてるだけで偉いとは編](著者:大学4年男) 

 お久しぶりです。年が明けてしまいました。1ヶ月ほど間が空いてしまいました。すみません。目がかなり疲れやすくなっている現状であります。目が厳しい中でも皆さんがいいねを押してくれていたことは通知で知っており、早く次を書きたいと思っていました。とてもモチベーションになっていました。本当にありがとうございます。年も明けたことですし、やってみようということで書いています。最近は寝ても寝た感じがあまりないというか疲れが抜けない感じです。毎日変な夢を見ています。恐らく睡眠の浅い状態が長いのでしょう。今日は"当たり前とは"について書いていきます。
 
 みなさんは悩んでいる時に相談はされるでしょうか?他人に意見を求めたり、単に自分が悩んでいることを吐き出したかったりとその理由は様々だと思います。私も相談という手段に頼っていた時期がありました。しかし、結果からお伝えすると今は周りに相談することを諦めています。決して周りに頼れる人がいないわけではありません。私の方へ手を差し伸べてくれる人はいます。どちらかというと私の方が手を伸ばせていないのです。その経緯についてお話します。
 人に相談するということはすなわち、自分の悩みと向き合うことを意味すると私は思います。私の場合、悩みからはなるべく距離を置き、気にしないで生活を送りたいと思っています。一度、他人に悩みを共有するとありがたいことにそれを解決しようとあらゆる提案をしてくれます。その姿勢が私にとってはプレッシャーであり、過度なストレスに変わり心身に悪影響を与えてしまうのです。私は特にストレスと身体症状の反応が密接で少しのストレスでも気持ち悪さに繋がってしまいます。
 「そんなんじゃ、日常はストレスだらけだろうよ」と思われるかもしれません。その中で私も生きていて、逆にストレスのおかげで良いパフォーマンスに繋がっている側面もあります。ストレスがあるからこそ今こうして生きていられるとも言えるのです。この無意識と当たり前の基準についてはもう少し後にお話しします。
 簡単に言えば、周りの人を巻き込んでしまうと"責任"や"やり遂げなければいけない"という勝手な"使命感"が意識され、今の私にとってはきつめのストレスという形で認識されてしまうのです。認知の仕方次第でいくらでもなる問題であることは分かっていますが、どうも私の無意識が勝手に反応してしまうのです。このような理由で私は人に相談できなくなりました。今でも相談して肩の荷を軽くできたらなと思うことも時々ありますが、それに伴うプレッシャーを鑑みると消極的になってしまい、自分の中で処理する方法を取ってしまいます。これは人付き合いに関しても同様で、人との約束などが大きなプレッシャーになってしまうのです。そのため、約束当日に体調を崩してしまうということはこれまで何度もありました。
 そこで一つの疑問が私の中で浮かびました。散歩や朝ごはんなどもある程度私の中で時間を決めていて、やらなければならない約束です。しかし、私は特にストレスを感じることなく、毎日続けられています。この違いは何なのかについて私なりに考えてみました。その結果、当たり前の基準の違いではないかと私は考えました。
 みなさんも普段から何気なく続けられていることがあると思います。学校に行ったり、働いたり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、朝起きたり、歯を磨いたりと当たり前に行っていることかもしれません。しかし、この当たり前と思っている中のどれかが1日のビックイベントだと思っている人もいるということもまた事実です。最近、「風呂キャンセル」という言葉が出てきたことからも分かるように、お風呂に入るのが面倒だと思っている人が多いようです。私は全く面倒と思ったことはなく、むしろ入らないとすっきりしないので進んで入っているくらいです。このように同じ事柄やイベントに対しても人によってモチベーションやハードルの高さが全く異なるということがごく一般的な事実としてあります。
 その人の当たり前はどのラインに設定されているのか、対象の行動次第で大きく変わるでしょう。私の場合は、家を出て人と会うことのハードルが高めです。一方でお風呂に入るハードルは低めです。
 
 社会が決めている普通には結構はハードルが高いこともあります。このことを知らず、「みんながやっているから、できているから、私もやらないと!」となってしまうときつくなってしまうのではないかと思います。もちろん、自分の能力を引き出すきっかけにもなり得ます。そのことについては後述します。
 とりあえず、人には人の当たり前があるということです。無理に自分の当たり前を社会に迎合させなくても良いと私は思っています。自分の"出来ること"と"出来ないこと"を理解し、受け入れることが自分を愛するために大切なことなのだと私は思います。
 自分の当たり前の低さに悲観することはありません。小さい頃は補助輪なしでは乗れるわけないと思っていた自転車も今では無意識で動かせます。当たり前とは少しずつ基準を上げていけば、その努力に応じて無意識的な認知が変わっていくものだと私は思います。
 みなさんはヤーキーズ・ドットソンの法則という言葉を聞いたことがあるでしょうか。ストレスとパフォーマンスの関係をグラフにしたものが有名です。ストレスが全くなかったり、非常に強かったりするとパフォーマンスは良いものにはなりません。程良いストレスがある時が一番良いパフォーマンスを出せるのです。皆さんは程良くストレスを感じているからこそ朝起きたり、ご飯を食べたり、歯を磨けるのです。
 これは決して誰にでもできることではありません。あなたの当たり前はみんなの当たり前ではありません。気づいていないだけで1日1日結構すごいことをしています。私から見れば皆さん当たり前の基準が高く、頑張っている姿が本当にキラキラして見えます。命が輝いているというか、心が汗をかいているように見えます。私も誰かから見ればきっとそうだと信じて、、、

 今回も長い文章にもかかわらず、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。これを読んでくださる皆さんにどこか1つでも気に入ってくださるフレーズがあったら、これ以上嬉しいことはありません。皆さんが見てくださることが大変私の力になっています。誰か1人でもいいねを押してくださる人がいると”書いてよかったなぁ”と本当に感じます。書くモチベーションだけでなく、生きるモチベーションもとても頂いています。これからも見てくださる方がそんな考えもあるのか、読んでよかったと思ってもらえるような文章を書いていきたいと思っています!


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