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酒と父親

通勤前の30分ほど、会社近くのドトールでまったりと過ごすのが、いつからか習慣になっている。本を読んだり、頭の中にあるものをツラツラと書き出したりしていると、時間が過ぎるのはあっという間だ。

その日も普段と同じような朝をドトールで過ごし、歩いて5分ほどのオフィスに向かっていた。

ふと前方に目をやると、道端に座り込んでいる一人の中年男性がいる。作業員風の格好に、左手に缶ビール、右手に煙草という古式ゆかしいスタイルで、道行く人々を眺めている。

オフィスに向かう人々の中では違和感が満載の存在ではあるが、何か敵意なようなものを感じる雰囲気でもなく、不思議と風景に溶け込んでいた。

作業員風の格好、酒、煙草。

この3つが揃うと、私の頭の中には父親の姿がいつも思い浮かぶ。

とっくに亡くなって久しい存在だが、こうしたふとしたタイミングで、私の中によみがえる。

父親は、還暦を迎えた年に、誰にも見送られることなく、一人であの世へと旅立った。死因は心筋梗塞だったと思うが、はっきりとした原因は不明だったように思う。離婚してからの十数年、かなり不摂生な生活を送っていただろうから、そのつけが回ってきたのかもしれない。

酒と煙草と本が大好きで、60年の人生で酔っていない時間の方が短かったのではないかと思うほどの酒好きで、まれに酔っていないときがあると思えば、一人部屋にこもり本を読んでいた。おしゃれな本棚などはなかったが、クローゼットの中には読み終えた本が大量に積まれていた。

五人兄弟の三男坊で、一人の妹を除いて皆が建築業を生業としていた。造船業で財を成した祖父が息子たちの道筋を作ったそうで、バブル全盛の頃は皆かなり羽振りがよかったように思う。父親は小さいながらも会社を経営していて、良いときには月200万円くらいの稼ぎがあったと、大人になった後で聞いて驚いた記憶がある。

経済的にはかなり恵まれた環境だったと思うが、父親には大きな欠点が一つあった。酒だ。

楽しい酒なら大歓迎だが、父親の酒が楽しいのはせいぜい最初の30分くらいだ。酒が進むにつれ、徐々に目つきが怪しくなり、怒りの矛先を見つけては暴れ出すのが日常だった。

張り倒されたことは数え切れないし、父親を止めるために泣きながら土下座したこともある。私が旅行や部活の合宿などで長期間家を留守にするときは、母親と姉だけになってしまうので、その時の暴れ方はまた更にひどかったようだ。

飲んでいない時はむしろ寡黙で、博学でありながらそれなりにユーモアもあり、子どもたちに自分の価値観を押し付けることもない、やりたいことを応援してくれる、頼れる父親だった。夏休みには毎年必ず家族旅行に連れて行ってくれたし、週末は皆でよく外食にも出かけていた。

母親もよく

「酒さえ飲まなければ最高の男なんだけどね」

とこぼしていた。

姉が社会人となり、私が大学二年になった頃、父親と母親は離婚した。姉と私は心から賛成した。母親の苦労を長年見続けてきたし、自分たちも父親の恐ろしさから早く解放されたかった。

その頃にはバブルも過ぎ去り、父親の会社もすでに倒産していた。購入した家のローンもまだまだ残っていたので、本当なら、家族で助け合ってピンチを乗り切るべき時期だったのかもしれないが、母親も姉も私も、もう限界だった。

離婚後、父親は実家のある広島に帰り、兄弟の紹介で建設会社に雇われ生活していたようだ。時折手紙が届いたものの、返事を書いたことはない。

広島の実家でも相変わらず暴れ回っていたようなので、親戚からの評判は地に落ちた。仲が良かったいとこから恨み節をぶつけられたこともある。離婚や倒産という出来事が、父親と酒の関係に拍車をかけていたであろうことは、想像に難くない。

父親が亡くなってから久しいが、時折

「なぜあんなに暴れていたんだろう」

と思う。

酒は人の理性をはがし、その人の本音をさらすのだと、よく言われる。

だとすると、父親は何に怒りを感じ、暴れていたのだろう。

離婚した後、姉からふと聞いたことがある。父親は若い頃、証券マンになる夢があったのだと。

父親からそんな話は一度も聞いたことがなかったので、面を食らった覚えがある。

父親は20歳そこそこから建築業一筋だったはずだ。それがなぜ証券マンなのか?

いや、証券マンになりたいと思っていたのに、なぜ建築業を続けていたのか?

考え得るのは、母親にベタ惚れだったことだ。有名になることはなかったが、人前で演じたり歌ったりすることが大好きな母親は、身内ながらかなり人目を引く容姿をしていた。そんな母親に、父親は一目惚れし、証券マンという夢は諦め、母親と家庭を築くために、現実的な道を選んだのだろうと思う。

しかし、自分で選んだ道とはいえ、やはり人生は長い。

証券マンという夢を諦め、家族のためにやりたくもない仕事をし続ける日々に、嫌気が差しても当然だろう。時には、家族という足枷を、憎んだこともあったかもしれない。

父親は家族の大黒柱で、皆を食わせ続けるのが当然という時代の価値観も、父親を縛り付けていたかもしれない。

もし父親が、

「もう今の仕事は身体がしんどくてやめたい」

「本当は証券マンになるのが俺の夢だったんだ」

「今より収入が減って不自由させるかもしれないけど、夢を叶えるためにお前たちが協力してくれたら嬉しい」

そんな本音を話していてくれたなら、最初は驚きで反対してしまったかもしれないが、最後には応援することもできたかもしれない。

身内に本音をさらすのは難しいかもしれないが、自分の本当の気持ちにフタをし続けるのは、やはり間違っていると思う。

フタをし続けた欲求は、必ずどこかで爆発する。

父親の場合は、酒の力を借りて暴れまわることだった。父親の本音がわからないまま、なぜいつも暴れるのか、家族は途方に暮れるしかなかった。

家族という世界で一番近い他人だからこそ、自分の本当の気持を伝えることが大切だと思う。

もしまた、いつかどこかで話すことがあれば、父親の本当の気持をじっくり聴いてみたい。


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