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なんてこった!パンナコッタ!!

わかっていたはずのことだけど、ちゃんと言葉にされているのを見たのは初めてかもしれない。いや、見たことがあっても、あまり深くは考えていなかったのかも。

サピエンス全史、下巻の第19章。

タイトルは、「文明は人間を幸福にしたのか」。

え?したんじゃないの?

え?ち、ちがうの?

学者たちが幸福の歴史を研究し始めたのは、ほんの数年前のことで、現在私たちはまだ初期仮説を立てたり、適切な研究方法を模索したりしている段階にある。

サピエンス全史 下巻 第19章

がびーん!

てっきり人類は「幸福」を目指して一生懸命頑張ってきたのかと思っていた…。

いや、わかっていたはずなんだ、こうすれば幸福になれます!なんて言うのは寡聞にして聞いた覚えがないし、家庭でも学校でも会社でも、話題にすらしたことがないかもしれない。

もし誰かが「幸福になる方法を教えてあげる」なんて言ってきたら、うさん臭すぎてこわい。変な高いセミナーとか勧められるんじゃないかと、身構えしまう。

どうやら、

人類は、幸福を定義できていない。

なんてこった!パンナコッタ!!

ふと浮かんできたフレーズ、これって何だっけ?と調べてみると、吉本新喜劇の茂造じいさんのギャグらしい。お、Tシャツもあるのか。なんかちょっと欲しいかも…。それはさておき。

無風の月に今も当時のままの足跡を残す故ニール・アームストロングは、三万年前にショーヴェ洞窟の壁に手形を残した名もない狩猟採集民よりも幸せだったのだろうか?もしそうでないとすれば、農耕や都市、書紀、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達には、いったいどのような意味があったのだろう?

同、第19章

便利さや快適さはどんどん向上してるけど、でもそれがそのまま「幸福」ではないかもしれない模様。

そう言われれば、インターネットなんてなかった子どもの頃、不便だから皆が今より不幸だったのか?と言われれば、そんなことはないはずだ。

思いを寄せる愛しいあの子の家に電話すると、なぜかたいてい親父が出て冷や汗をかいたのも、良い思い出だ。誰もがスマホでつながる現代では、もう作られることのない思い出だろう。

ユニクロのセルフレジすげー!スーパーも早くこうなって欲しい!とか思うけど、幸福とは違う気がする。

多くの仕事で目標に掲げられるのは成長や改善であって、それを目指してみんなが働くことで、暮らしがより便利で、より快適になっていく。

この先もどんどん便利で快適になっていくんだろうけど、それが幸福とつながらないとしたら、いったい何のために発展していくんだろう?

また、幸福について、「遺伝の宝くじ」なんて話もある。

幸福度に1〜10の段階があるとすると、陽気な生化学システムを生まれ持ち、その気分がレベル6〜10の間で揺れ動き、時とともにレベル8に落ち着く人もいる。
(中略)
一方、運悪く陰鬱な生化学システムを生まれ持つ人もいて、その気分はレベル3〜7の間を揺れ動き、レベル5に落ち着く。

同、第19章

確かに…いつも何だか楽しそうな人もいれば、いつもどこか不機嫌そうな人もいる。心理系の本などを読んでいると、自動思考とか認知の歪みとか出てくるけど、そもそものスペック、仕様にも違いがあるのか…。

ふと、「環境の宝くじ」もあるかもと思った。

子どもは親を選べないし、親も子どもを選べない。どの時代のどの国に生まれるかも、全然選べない。どんな教育を受けて、どんな人に出会うかも、全くもってコントロール外。現代に生まれた我々は、明治維新の志士になることはできないし、キリストにもブッダにも会うことはできない。ホントにいたのか知らんけど。

たまたま昭和の終わりの日本で、酒好きの父親と夢見がちな母親のもとに生まれ、中流家庭の子どもとして育てられ、それなりに頑張って勉強やら仕事やらをしてきたつもりだけど、中世ヨーロッパ貴族のもとに生まれていたら、全然違う人生になっていたはずだ。大谷翔平として生まれてたとしても、全くおかしくない。

仕様も環境もコントロールできないんだから、自分にできることは限られるなぁ。そう考えると、何かちょっとだけ気が楽になる。

数学を中2であきらめたのも、いくら聞いても英語が聴き取れないのも、歩きスマホの人を見てイライラしちゃうのも、何か全部しょーがなく思えてくる。

全然自分、悪くない。だってそういう仕様で生まれ、そうなるべくな環境で育ってきたんだから。ほぼ運。

それで終わってしまうと厭世的なニヒリズムになりそうかな。決定論みたいなのも、何か嫌だし。

全然自分は悪くない。そこからはじめて「さて、ではどうしましょ」と、腰を上げる感じが良いのかな。

ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かつて世界が今よりもはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう。

同、第18章

幸福とは?とか考えられる余裕があるのは、実はとても贅沢なことなのかもしれない。時代が時代なら、奴隷に働かせて自分は哲学や芸術を楽しむ、貴族的な遊びなのかもしれない。

サピエンス全史は上下巻の長編だけど、色々と目からウロコなので、とりあえず第19章だけでも、ぜひ読んでみてね。

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