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選択に選択を重ねたあとの現在地

水のある場所が好きだ。

育ったのは、住みたい街ランキングで大人気の横浜だった。
振り返って青春時代の記憶をたどると、観光客に大人気のおしゃれなエリアを背景にしたものばかりだ。定期試験明けに映画を観に行くのが楽しみだったみなとみらい、特別な時に家族で食事に行くおしゃれな元町、モノと活気にあふれ常ににぎやかな中華街駅、異国情緒あふれる関内。

でも、日常から見える暮らしはけっきょく、そこそこ便利だけどこれといった特徴のないベッドタウンの、なんてことのない景色の積み重ねだった。

最寄駅へ行くためのバス、そこから見える街並み、待ち時間に立ち寄る地元の本屋、通学に使った電車のホーム、行き交う車や人々。

曲がりなりにもこれまで“日常”に触れる機会があった、東京でも、パリでも、ロンドンでも、バンコクでも、仙台でも、石巻でも、女川でも、山元でも。

どこへ行っても、けっきょく、そういった「なんてことのないもの」の積み重ねだ。
そのなんてことのない日々の景色が、かけがえのないものでもあるのだけれど。

そうして振り返ったとき浮かぶのが、水のある場所なのだ。
横浜では、毎日堀割川という川を超えて最寄駅に通っていた。バスの車窓からいつも、ぼーっと深緑色の川面を眺めていた。海のすぐ近くなのでよくクラゲが浮かんでいた。赤潮なのか、赤銅色になっているときもあった。
進路に悩んだり、人間関係に行き詰まったりすると、海辺にある公園に行ってベンチに座って過ごした。

働き始めて最初に暮らした仙台で住んだアパートは、梅田川という小川のほとりに建っていた。温かい季節に窓を開けて寝ると小川のせせらぎと川に住む魚のばしゃばしゃ言う音が聞こえてくるのが好きだった。
仕事に煮詰まると、いろんな街の港へ行った。観光用に整備された横浜とは違い、生業を支える漁港にはベンチもないしぼーっとするような空間はあまりないけれど、岸壁を歩きながら磯の香りを胸いっぱいに吸い込むと、生きている実感がして好きだった。

街の規模の小さいパリではセーヌ川が日常の傍にあったし、いまの東京の住まいも、野川という小さいけど東京らしからぬきれいな小川がすぐそばにある。

そういう場所を、無意識のうち、もしくは意識的に、選んできたのだなと思う。同時に、何かしらに行き詰まったときに水際に行きがちだなと、書いてみて気づいた。

東北の漁師さんの船の上から。海の色と海藻の色が綺麗で撮った一枚。


と、ここまで考えて思ったのが、けっきょくいまの自分の住んでいる場所、周りにいる人(家族、友人、同僚など)、日々の暮らしの構成(仕事と生活のバランスや家族)、どれも、直接もしくは間接的な自分の選択の結果なんだなということだったのだ。
そして、きょうの選択はきっと、1か月後、1年後、もしくは10年後の自分の現在地をかたちづくっていくのだろうなとも。

毎日生産的にいられるわけではない。
育休中のいまは、生活の6割が子どもたち、3割が家事など家族の暮らしを支える営みで、趣味や社会への関心は本当に恥ずかしながら1割程度に過ぎない。
今日起きてしたことは、子どものお弁当をつくりながら家族の朝ごはんを作って食べさせ、子供の身支度して送り出し、帰ってきて洗濯を回しながら下の子の離乳食を作って食べさせ、掃除して、仕事関係の失効してしまったライセンスの再申請をしたくらい。
でも、それはそれで、きっと10年後につながる大事な時間なんだと信じる。
一方で、ふとしたときに出会うチャンスを逃さない嗅覚と瞬発力を持てるように、無理なく自分を豊かにする取り組みも続けたい。社会に触れたり、本を読んだり、映画を観たり、友人と会ったり、美味しい料理を作ったり。

そして行き詰まったら水のある景色を見てぼーっとすることも忘れぬようにしようと思う。


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