人の評価は加減法

自他に対して

評価というほど堅苦しいものではないけれど、自分や他者に対して思うことがある。良いものも、悪いものも。
ある人がいる。その人は惹かれる才をもっていて、私はその部分を尊敬している。ただ、その人には悪癖がある。破滅に繋がる、とはいかずとも嫌悪を覚える程度には。
良い部分と悪い部分の存在。これはみなが抱えるものだと思う。

感情の作用

良い部分と悪い部分がある。その時、どちらかが、残された一方を否定してないもののように扱う。そんな評価をしている場合があると薄ら感じる。
モース硬度の高い鉱石を低い硬度の鉱石にぶつけたときのように、片方が散る、そんなイメージ。
でも、人に対する感情の保ち方はそういう類のものではないんじゃないかな。前提として、人という器が用意されていて、その中に良いものと悪いもの--人によってそれらの映り方は変わるけれど--分離して存在する。多くの人は良いものをプラス、悪いものをマイナスと表す。それらを用いて人の中で加減法が行われて、総合的な人物評が生成される。結果だけではなく、過程も要素として確立させたって良い。そこは人に依るね。
良いが悪いを、悪いが良いを消し去ってしまうのは人を欠けさせる感じがする。結果ととも過程すらなくなってしまうような。良いものは自負したいし、悪いものには苦しみたい。それが人間。理性をもつものの特権だよ。



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