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福沢諭吉は「生きているだけでいいんだよ」なんて言わない

ロッシーです。

「生きているだけでいいんだよ。」

そういう言説が最近多いように思います。

私自身はそういう「マッタリ系」の考え方は好きです。ただ、あまりにもそれに傾倒してしまうと弊害が出てきます。

こういう考えというのは、自分が仕事などで猛烈なストレスを抱えているときや、メンタルがやられそうになっているときに有効です。そういうときには、「生きているだけでいい」と思うことで楽になるからです。

でも、楽になる必要がないときにまで、こういう風に考えているのはあまり適切ではないように思います。

何事もバランスですから、「どうも自分は最近マッタリ系に偏っているなぁ」と思ったら、あえて逆の意見に触れてみることも大事だと思います。

それに適しているのが福沢諭吉の『学問のすすめ』です。

福沢先生は、「生きているだけでいいんだよ。」なんてこれっぽっちも思っていません。

彼のメッセージを見ていきましょう。

独立して生活するのは、人間にとって重要なことであり、「自分の汗で飯を食え」とは、古人の教えではあるけれども、私の考えでは、この教えを達成したからといって、人間たるもののつとめを果たしたとは言えない。この教えはただ、動物に負けていない、というだけのことだ。

つまり、衣食住を得るだけでは動物と同じだということです。

例えば、親元から独立して社会人になり、仕事をして結婚して家族を養っていたとしても、それは他の動物だってやっていることです。そんなことは別に大したことではなく、万物の霊長である人間がそんなことで満足していてはいけないよ!ということです。

なかなか福沢先生、非常に厳しいですね。ひとつ間違えたら、今なら炎上しているかも(笑)。

さあ、もっと見ていきましょう。

一身の衣食住を得てこれに満足するべきだ、とするならば、人間の生涯はただ生まれて死ぬだけだ。死ぬときには、生まれてくるときと何も変わらない。(中略)ある西洋人は、「世の中の人がみな小さいところで満足していたならば、今日の世界はそれがはじまったときから何も変わっていなかったに違いない」と言っている。まさにそのとおりだ。

なるほど。確かに、いま私たちがこうやって普通に生活している状況があるのは先人たちのおかげです。なんだかんだ色々な問題はありますが、大昔に比べれば、現代人がどれだけ快適な生活を手に入れたのかは一目瞭然でしょう。先人に感謝ですね。

では、それを踏まえて私たちはどうすべきなのでしょう。

要するに、われわれの仕事というのは、今日この世の中にいて、われわれの生きた証を残して、これを長く後世の子孫に伝えることにある。これは重大な任務である。

つまり、自分達がいま享受している恩恵を、次の世代に伝えることが我々の生きる目的なのだ!ということです。分かりやすいですよね。

ニーチェみたいに、「超人になれ!」とか言われても正直良く分かりませんが、福沢先生はそのメッセージが常に具体的かつ明確です。

ではそのためにはどうすればよいのでしょうか?

福沢諭吉のメッセージはシンプルで「学べ!」ということです。詳しくは、『学問のすすめ』を読んでください。おすすめです!


確かに、生きているだけでも価値はあると思います。しかし、それにとどまらず、次の世代のために何かをすることにはもっと価値があると思います。

「生きているだけでいいんだよ」と思えるような社会があるのは先人のおかげです。その社会をもっと良くするため、次世代に向けて何ができるのかを考え行動する人間になりたいなと思います。

もちろん、あまりシリアスにならず、健康に気を付けながらですけど(笑)。


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!



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