映画:『ゾディアック』
2007日本公開/デヴィッド・フィンチャー監督
1969年にカリフォルニア州で起きた未解決の連続殺人を題材にした物語。
当時地元の新聞社で風刺漫画を描いていたロバート・グレイスミス氏が独自取材の末に書き上げた同名のノンフィクション小説が原作となっている。
デヴィッド・フィンチャー監督といえば、初期作品の頃はグロテスクな画づくりと臨場感のある暴力表現で有名だったが、本作では主人公(グレイスミス/演:ジェイク・ジレンホール)が取材のため様々な場所で繰り返す「対話」のなかで、独特のスリラー感を生み出している。
未解決のまま数年が過ぎてメディアからも捜査陣からも見放されつつあった事件にふたたび渾身で迫ってゆく主人公に、カメラはじわじわと近づいてゆく。この静かな経過が、気づかないうちに観るものの心拍数を上げ、集中力を途切れさせない。
この「ゾディアック事件」のような劇場型犯罪の複雑な経緯を映画の限られた時間で語り尽くすためには、一瞬たりとも観客の意識をそらせないことが重要となる。たとえ内容について理解が追いつかない部分が多々あったとしても、緊張感が持続していれば物語の重要な切り返し地点までなんとか観客を引っ張ることができるからだ。
本作は、主人公と事件関係者との対話劇の妙味が引き出せているため、とくに後半部分では、次々と景色が変わるロード・ムービーを観ているような昂揚感があった。
不満というわけではないが、もし付け足す要素があるとすれば、当時のアメリカ社会がこの事件をどう受け止めていたのかという点にもっと焦点が当たっていればと思う。世界的に有名な事件とはいえ、これはアメリカで起きた事件なので、当のアメリカ人がどう感じていたのかは知りたい。
本作ではそのあたりの描写がすくないと感じたので、「主人公がなぜ家族や仕事をほったらかしにしてまで事件の真犯人を追い、本に残そうとしたのか」という大切な部分が、私にはよく理解できなかった。
当時の様子を知るアメリカ人たちは、本作に対してきっと私とは違う受け止め方をしたと思う。
たとえば「地下鉄サリン事件」がもし映画化されたとして、アメリカ人はそれをただの「大規模なテロ事件」と捉えるかも知れない。だが日本人の多くは、あの事件のことを「テロ」と言われてもピンとこないのではないか。当時の私たちがまず考えたのは「なんでこんなことをしようと思ったんだろう?」ということではなかったか。
同じ空気を吸って生きている隣人の凶行について、我々人間はまずその理由を知りたがるものだ。
本作の主人公も、犯人に対して同じようなことを感じて取材を続けたのではないかと私は考えるが、それを明らかに示すシーンがあれば、もっとすんなり主人公の心の動きに同調できたように感じる。
ともあれ、本作は脇役陣が本当に素晴らしい。これは特筆に値する。
なかでも終盤、決定的な証言を残す女囚役のクレア・デュヴァルはいい。監督もそれがわかってるから彼女の登場シーンでは単純なカットバックしかさせていない。現場で何テイク回したかはわからないが、一発撮りの緊張感がある。筆跡鑑定士役のフィリップ・ベイカー・ホールはまさにハマり役だったと思う。いまWikipediaで経歴を調べたら、残念ながら一昨年亡くなられたとのこと。
「上質な映画」というものがあるとすれば、それは「脇役の際立つ映画」のことだと私は考えている。本作はそのひとつである。