『守破離』に潜む自己矛盾
『守破離』とはなんなのか、、
辞書で調べると、
と出てくる。
しかし
”良いものを取り入れる”とはどうすればできるのか
”他の師や流派の教えについても考える”とはそもそも何を考えればいいのか
など
実生活に活かしていくためには
まだまだ不明瞭な『守破離』について
自分の考えをつらつらと述べたいと思う。
守とは
守とは
他人のアウトプットを”文字通りに”理解すること
なぜそのアウトプットが出てきたのかは考える必要がない
言ってることさえ理解できれば、実行できるためだ
例えるならば、車に乗って運転できればよいということだ
破とは
破とは
他の(人の)アウトプットと比較して
なぜそのアウトプットが考えついたのか
つまり
どんな”情報”を仕入れ、そこからどういった”思考回路”でそのアウトプットにいたったのかを理解すること
しかし、ここに『守破離』の理解の罠が仕掛けられていると思う
”なぜ”そのアウトプットにいたったのかといわれると
アウトプットの”目的”を答えにしたがる
例えば
Q、なぜ『守破離』を思いついたのか
A、それは 早く成長するための方法を考えていたからである
ではないのだ
「そもそもなんで習得方法を考えていたのか」
「ほかにも方法論があるなかで、なぜ『守破離』なのか」
「なぜこの順番なのか」
など
そのひとが
どんな情報を仕入れ
その情報に対してなにを考え
それらをどう取捨選択したかなど
そのひとの”思考の軌跡すべてを完全にトレースする”ことが
この破で求められていることなのである
そのひとの頭の中を完全に理解することなのである
これを例えるならば、車の部品を理解するだけでなく、車を作るベルトコンベヤーまで理解する必要があるということだ
部品とベルトコンベヤーまで理解することで、再現できる状態にすることが大事なのである
離とは
離とは
他人の思考回路を自分なりにアレンジすること
破の段階で、様々なひとの思考回路を手に入れていることになる
それら思考回路から、今の自分の状況に一番最適になるように
新たな思考回路を組み立てるのである
例えると、ベルトコンベヤーや部品を変更することで、新たな車を作り出すのである
最後に
このnoteのお題に対する答えを書きたいと思う
『守破離』は立派な考えなんだ!
『守破離』の考えで成長するぞ!
と考えている人が多いと感じている
しかしそれは”本当の守破離”なのだろうか?
そういったひとは
なぜ守破離という考えが生まれたのか考えたことがあるだろうか?
習得するための方法論の1つである『守破離』という型をただただ実行する
それは『守破離』をしてるようにみえて
実際は『守』をやってるだけにすぎないのだ、、
ここまで読んでくれたみなさんにもうひとつ
なぜ僕が守破離をみたときにこの考えにいたったのか
ぜひ考えてみてください。。
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