見出し画像

作家活動とプライベート

こんにちは!

 今後の展望でゆるくハンドメイド作家として作品を展開しようとしている自分の活動を考察し、いろいろ勉強する日々ですので少々シェアしたいと思います。^^

趣味で作品を作るのか作品で生計を立てるのかは人それぞれなので参考までですが、私は下記に留意したいと思いました。

1. 作品を制作する上で、届けたいその先にいる人の姿を想像する。

2. やりたいこと以外の受け身の売り方(絶対にやりたくないこと)をしていると、作家の軸や方向性が定まらず相手に伝わらない 。

3. 持続活動したいのであれば薄利だと悪循環(雰囲気で値段を決めない。周りの相場が安いからと言って安売りしない) 。 
安売りを続けていると作家の体力が持たない。
 仕事をしている人ならばご存知の通りだけど、原材料の他に人件費(工賃)やデザイン料を考慮しなければ赤字になる。私は高利益を
求めてはいないけれど赤字では売れない。

4. 即効性を求めない 。

5. SNSのフォロワー数やいいね数と売り上げは比例しないと。SNSのフォロワー数やいいねに執着しない。

これは私の持論だけど、ネット上での承認欲求の危険性。 ネット上でのフォロワー数やいいね数を獲得する事で、現実と混同し現実世界でも自分は人気者ですごい人間だと錯覚してしまう人も多々存在する。 ある意味、授かった生身の自分を確認出来ない時代になった。

過去の経験で、相互フォローが暗黙の了解みたいな。何百万人もフォロワーがいる人に対しては「フォローしてやったんだからフォローしろ!」などとは言わないのに。

この不思議な現象は、思うに自分と相手との格差を認識しているからなんだろうなと思う。

それにSNS上では数はいくらでも印象操作できる。

6. SNSは情報の「質」を大切にする←これが超大事だと思う!!

ただ自分の得を得るために誰かの名前を利用したり、友達や知り合いであるかのように嘘ついたり、そういう自分の実力以外のところで自分の価値を大きくみせようとするのは、下手をすると信頼を無くす。

7.将来像がある(目的地が無いとフワフワ) などなど・・・。

ここからは創作するしない関係なく、普段思っていることを書きたいと思います。


先生に気に入られたい。

親に気に入られたい。

友達に気にいられたい。

その「アイダ」に自分の意思というものがある。

サッカーやりたかったのに親はピアノ習えと言うからその通りにした。
そうやって誰かの言う通りにすることに慣れると、上手くいかなかったとき「言う通りにしたのに!」と、逆切れしてしまう恐れもある。

もし今あなたが自分の意思表示をしたことによって友達や会社や組織から圧力をかけられたり虐められたりしたなら、そんな卑怯なやり方しか出来ない残念なところだと思おう。

世界は広いよ。

子供の頃、自転車に乗る練習をする時に、後ろを掴んで支えてくれてると思っているからひたすら前を向いてペダルをこいでた。

何十メートルも転ばずに乗れた時、後ろを振り向いたら とっくに手を離していて一人で乗れていた。

「羽の生えた自転車」で空を飛ぶって、こういう事かも知れないよ。

2012年にFacebookに書いた事です。

『子供の頃、自転車に乗る練習をする時に、後ろを掴んで支えてくれてると思っているから、ひたすら前を向いてペダルをこいでた。

いい調子、いい調子! 

何十メートルも転ばずに乗れた時、後ろを振り向いたら とっくに手を離していて、「乗れたね~」って拍手してくれた。

一生懸命やってたら、いつの間にか出来るようになっている事がある。 それは大人になってからもおんなじで。

いつの間にか一人で乗れるようになっていて、そしたら友達とサイクリングだって出来るようになって、行動視野が広がる、冒険したくなる。

自転車乗れるように一生懸命頑張った記憶が、次への新しいチャレンジに繋がっていく。

やる前に恐れてやらない、前に進みたいのに怖いなんて気持ちは減るよ。

お稽古事に限らず、仕事も、考え方も、対処法もステップアップしていく。

知識だけ詰め込んでも、頭の中だけお利口さんになっても、 発揮されるのはその人の生き方そのもの。

何を考え、どう行動したか。

そこで初めて、その人の「言葉」が真実となってついてくる。

そこに「愛」はあるのか?』

 自転車の練習はあくまで例えだけれど、その支えって何だろう。

心の支えとかみんな色々あるだろう。

支えは自分の士気を高めてくれたり癒されたりもする。

でも自転車漕ぐのは自分。

疲れたら休めばいいし、身体がどうにも動かない時は寝っ転がって空を見上げてればいい。

 もしも私の友人や知人が自分の大切な人を死の間際に追い込むまで傷つけたなら(感情論ではなく加害行為)、例え友人であろうとその被害者に向かって、自分の友達だから許してやれなんて心をナイフでえぐるような残酷な言葉は言えないよ。

自分だって言われたくない。

私の役割は大切な人(自分自身)の心を癒やす事が先決だから。

後は本人が決めることだもの。

それぞれがそれぞれのフィールドで頑張ればいいだけのことなので、「あの人と友達になれ、あの人と仕事をしろ。」などと他人が決める事ではないよね。

Rosmarinus.blueでどんな目的があったとしても、パーソナルな境界線は譲らないでおこうと思う。

自分の人生は一度きりだからこそ。

だって『抑圧からの解放』がテーマだもの。

※2023年5月4日追記

私は読書が好きで図書館に行っては興味のある本はジャンル関係なく読みまくった。
環境、土壌、植物、漁業、農業、コミュニティ、心理学、精神医学、セラピー、哲学、デザイン、政治学、ビジネスetc・・。

しかし小説は殆ど読まない(昔、推理小説は好んで読んでいた)。
本の中から上手い言い回しや単語を探す旅ではなく、本は自分自身に出会う旅。

自分の興味や好奇心に気付くこと、自分自身を洞察することで初めて自分の
源泉からオリジナルの表現が産まれると、それ以外の選択肢はなくなるんだ。

それこそ『自分を生きている』自信になる。



いいなと思ったら応援しよう!