『元・金髪農学部生だった僕が、看護師になったワケ』
はじめまして!
男性看護師のかずです^ - ^
今回は
自分が看護師になった理由について
自己紹介も兼ねてお話ししたいと思います!
僕は入ってくる後輩ちゃんや同期など、
自己紹介も兼ねてまず看護師になった理由を聞くようにしていました。
実習もキツいし、普段の業務もテンヤワンヤな職業ですが、
なぜそんな仕事に就いて
今でも現場で働けているのか?
・人の役に立ちたいから?
・コードブルーがかっこよかったから?
・家族の介護ができるようになりたいから?
人それぞれありますよね。
そんな中でも、
僕はなぜ看護師になったか?
一言で言います。
『倒れている人を
助けられる人間になりたいと思ったから』
これですね。
『別に看護師じゃなくても良くね?』
『免許取る時にも教えられるっしょ』
『そんな状況に出くわすわけがない』
いろんな意見があると思います。
僕もそれは思いました。
ではなぜ
そのために看護の道を選んだのか?
獣医師を夢見ていた日々
僕は元々は動物大好きで、
小学生の頃は毎週
『どうぶつ奇想天外)』
を見まくっていました(笑)。
元々動物が好きな人が周りに多く、
遊びに行くたびに
猫🐱やら犬🐶やらハムスター🐹
たちと戯れていて、
多分人間と遊ぶより
彼らと遊んでいた方が
楽しかったからだと思います笑
『動物は裏切らない』
これが僕が動物を好きでいた、
一番の理由でした。
そんななかで
『こいつらを守れる人になりたい!』
って思うようになり、
小学生の頃の夢は
『獣医師』でした。
それから月日は流れ、
高校生へ。
もちろん壁にぶち当たりました。
そう。
獣医師って、
年間でも全国で1000人くらいしか
なれないのです。
大学も私立・国公立合わせて
20校に満たない。
しかも国公立なんて1獣医学科につき
定員20名とかです。
(教える先生が少ないから)
必然的に、
難易度は医学部の次くらいに
難しかったのです。
昔からなりたくて
やりたくない勉強も頑張ったつもりですが、
気付けば大学受験で2浪・・。
ただ、やり切ったので
後悔はありませんでした。
そして滑り止めにしていた
東京の某大学の農学部へ。
その年は、
東北大震災があった年でした。
知り合いも誰もいない東京に、
未曾有の大震災で余震が続く中で
僕は新しい夢を探しに東京に行きました。
『獣医師は無理でも、
やっぱり動物の役に立ちたい!』
こんな思いに
変わりはなかったからです。
やっぱり2浪もしてると、
大学生というものに対する喜びが
半端じゃないんですよね笑。
あの頃は
勉強のストレスから解放されたことや、
やっと学生に戻れたことで
社会に帰属できた安心感がすごかったです
何をしても楽しかった。
でも
また壁にぶち当たりました。
そう。
獣医師以外で
動物関係で就きたい仕事が
まっっったく見つけられなかったのです。
私立に行ったけど親はフツーの会社員。
東京は下宿費用もバカ高くて、
当時なんて豚小屋みたいなレ○パレスに
月8万もかかってました・・
学費も合わせると
卒業までの4年間で
『1200万』も掛かる見込みでした。
『このコストに見合うだけの
職業に就かなければならない』
獣医師という
長年の大切な夢を失った自分は、
次の夢を見つけることに必死でした。
・農林水産省?
・動物園の飼育係?
・医薬品関係?
・家畜人工授精師?
・ペットフードの研究、開発?
大学生で初の夏休みだと言うのに、
毎日8時間くらい大学の図書館に通い、
ひたすら
『新しい夢』
を探しました。
次第に僕の顔からは笑顔がなくなり、
同期からも心配される始末・・。
そんなある日、
いつものように
仲良くしてくれていた先輩から連絡が。
『うちの親が米作ったからさ、
よかったらカズくん食べてよ』
正直、
金無しハイパー貧乏大学生だった
当時の自分にとって、
神様にも思える連絡でした。
そしてさらに、
『最近なんか暗いね。
たまには飲もうぜ!』
出会って間もない自分を、
色んな人が気にかけてくれて、
助けてくれました。
日頃からニュースでは、
・〜で殺人がありました
・強盗がありました
・悪徳な詐欺がありました
こんなネガティヴニュースで溢れ、
『人間なんてすぐに裏切るし、
ペットも捨てるし最低な生き物やん』
そう思ってきた自分でしたが、
でも
この時にふと思ったんです。
まだ出会って間もないこんな自分に
何の見返りを求めるわけでもなく、
ここまで気にかけて助けてくれる。
『あ、人間って
最低だけど最高な生き物なんだ』
って。
そして僕は改めて夢を探し始めました。
『こんなに良くしてくれる人を助けたい』
『まずはそんな誰かの役に立ちながら、
いつか動物たちも幸せにしよう』
そう思って、
色々考えました。
元々は車も大好きだったので、
まずは下宿代がかかるので実家に帰って、
今の若いうちに出来ることをやって、
新しい夢に向かえたらいいなと考えました
人の役に立ち、
かつ
自分のやりたいこと
それを考えた時、
やはり『医療』というキーワードが
頭から離れなかった。
そして高校生の時に実家で起きた
"看護師になる決意をする出来事"
を思い出しました。
いつものように
いとことゲームをしてると、
トイレから大声で叫ぶ母の声が。
『父ちゃん、しっかりしろよー!!』
『救急車呼んで!!』
実はこの日、
普段は透析で入院している自分の祖父が
たまたま外泊に来ていたのです。
そしたら
トイレで立ち上がれなくなり、
いとこと一緒に来ていたおばさんが
抱え込んだ瞬間、
スゥーっと力が抜けて倒れたのでした。
もうわけわかんないですよ。
ゲームしてたら
いきなり身内の心臓が止まるって。
でも
駆けつけた僕の目に飛び込んできた映像は、
まさに普段テレビで見かけていた、
『救命救急24時』
状態だったのです。
実はうちの家族、
母もおばさん(母の妹)も看護師。
母さんが胸骨圧迫(心臓マッサージ)をして、
おばさんが口対口の人工呼吸をしていた。
それを何もできずに
ただ見守るだけの自分と小学生のいとこ。
救急隊が到着し家まで案内して、
ストレッチャーで
病院まで搬送されていきました。
二人のプロによる
懸命な一次救命処置も虚しく、
まだ暖かった祖父の体を触りながら
心拍数が0になっていくモニターをただ見つめました。
次第に冷えていく祖父の隣で
僕は母に聞きました。
『じぃちゃん、まぢで死んでまったの?』
もう突然過ぎて
まぢでこんなアホな質問をしてました。
いまだに
『いやぁー母さんたちって本当に看護師なんやなー!凄かったわ!』
って親戚たちの中で話題になるのですが、
ただ悲しむ毎日を送るのではなく、
こうやって死の受容ができたのは、
間違いなくあの時に、
素早く正しい行動を取れた
母たちがいたからでした。
もしもふつーの会社員で、
ただ指を加えて救急隊の到着を待つことしかできていなかったら?
もしも祖父ではなく、
倒れたのが母だったら?
その時の俺に何ができた?
それで死んでも、
祖父の時のように納得できたか?
そう考えたら急に恐ろしくなりました。
この出来事を思い出し、
『あ、俺も看護師になろう。』
そう思いました。
そして大学は8ヶ月で中退。
親にも初めて
自分が看護師になることを伝えて、
「学費は自分でやるから
もう一度わしの夢に付き合ってください」
とお願いし、
僕は看護師になりました。
最後に
看護師になった今でも、
母とは看護の話で盛り上がります。
働いてどんだけ辛いことがあっても、
目の前で倒れた人に
救命処置を自信を持って行える今の自分を
強く誇りに思います。
運ばれたその先の生活を知る看護師だからこそ、
『そこで何が出来るか』の重みがわかります
もし少しでも看護師に興味があれば、
なんでも相談に乗りますので、
https://twitter.com/kazukazu_nurse
どちらでもいいのでご連絡ください^ - ^
BLS(一次救命処置)の
正式なインストラクターもしています!
興味がある方はご連絡ください!
ここまで長い自己紹介に付き合っていただき、
ありがとうございました^ - ^!!