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11.心斎橋のダイエットカフェをオープンしたとき、転落ははじまっていた。

◆ぼくの起業物語
1. ブラックリストから解放されました!
2.長山さん、なんで失敗したんですか?
3.母校の膳所高校がセンバツに選ばれました!
4.ひとり起業家が月商100万円上げるために
5.お客様ひとりあたりの時間がかかりすぎた
6.なぜ集客に力を入れたのか?
7.セールスなしで売れることの問題点とは?
8.本来、どこで利益をあげるべきだったかというと、、、
9.【告白】なぜ300万円の借金ができたか、その詳細とは?
10.スターウォーズと同じだった父とぼくの関係

前回は、ぼくがなぜ、
ダイエットのビジネスに取り組むように
なったのか、その思いを中心に
お伝えしました。


副業として9年半、フルタイムで3年半、
合計13年取り組んだダイエットの
ビジネスですが、

最後の半年は、本当にきつかったです。


2012年の11月15日、
それまで10オーナーで共同経営をしていた
北堀江のダイエットカフェから、

発展的解消で独立、ということで、

心斎橋のダイソーの近くの雑居ビルの3Fで
6.74坪のひとり運営の
ダイエットカフェに移りました。


この、通称「心斎橋ダイエットカフェ」の
物件を借りるときは、実はすでに
資金繰りが怪しくなっていて、

父にお願いをして50万円ほどを
融通してもらい、それを元に、
テナントを借りたのです。


「ダイエットカフェ」とは言いながらも
実質はただの小さなオフィスでした。


家賃は確か5万7000円ほど、
とても安かったのですが、

当時住んでいた江坂のアパートと、
心斎橋のダイエットカフェを
両方は維持できないほど、
資金繰りが悪化していたので、


江坂のアパートを解約して、
心斎橋のダイエットカフェにベッドを
持ち込んで住む、という、

裏技、というか、
苦肉の策をとりました。


そのビルは
事務所利用が可能なマンションではなく、
普通の雑居ビルだったので、

当然、シャワーはありません。


ですから、近くの心斎橋のOPAの
裏にある「清水湯」という銭湯に、
3日に1回ほど通っていました。

冬だからその回数ですんだ、
というのもありますね。


なぜ、そんなに資金繰りが悪化しているのに
無理をして、北堀江の仲間に先駆けて
独立をしたかというと、

一つは恐怖であり、
一つは虚栄心でした。


恐怖とは、何かというと、

ぼくは副業時代は全然、売れなかったけれど
「ダイエットカフェ」という「ハコ」を
持つことで売れるようになった、

という自覚があったので、
北堀江のダイエットカフェが
どうなるかわからない、

という不安がたまらなかったのです。


そして、もう一つの虚栄心というのは、
せっかく北堀江のダイエットカフェの
共同経営者として「オーナー」という
肩書きを手に入れたのに、

誰かのダイエットカフェに間借りをして
その肩書きを失うということが
耐えられなかったんだと思います。


だから、お金もまわらなくなってきたのに
父に借金をしてまで、自分でテナントを借り、

心斎橋のダイエットカフェを
ひとりではじめることになったんです。


最初は、はじめて「自分の城」を手に入れて
嬉しくてたまりませんでしたが、

移転前後はやはり、集客も落ち、
売上げが不安定になり、

資金繰りがだんだんと悪化していきます。

近くの郵便局や銀行に記帳しに行くたびに
お金が減っているので、
苦痛でたまらなくなってきました。


そして、ついに、一つのクレジットカードの
支払が完全に滞り、カードの「リボ払い」が
「負債」に変わる日がやってくるのでした。

つづく。

長山 寛

次回の記事は、
⇒ 12.クレジットカードのリボ払いが「債務」に変わると、、、

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