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いつだって行ける海

 茨城に行った。みたもの、きいたおと、感じたこと、忘れる前に書き留めておくメモ

   雨。6時半に鳴る目覚まし時計。髪上手にできた。タイムズ・カーシェアリングはすごいサービス。ヤリスクロス。ハンドブレーキがない。何もかもが洗練されていく。オープン前のココスの前で友人が待っていた。旅。

   筑波宇宙センター。JAXA。葉っぱがたくさん落ちている区画にわざと停める車。宇宙飛行士の模型と、大きなロケットと、宇宙への愛が溢れている解説のおじさま。宇宙兄弟とプラネテス。双子のおじいちゃん。みんな宇宙がすきなんだろうな。わたしもいつか!宇宙飛行士。

   高速飛ばして向かう海。助手席DJ流すKIRINJI。友部サービスエリア。ずっと雨だね。海だ!どうして海を見るとみんな叫ぶんだろう。いつだって興奮する。今年観た中でいちばんよかったあのスクリーンでタクシードライバーの伊藤沙莉は「どこかに行きたいなと思うけど、どこにいったら分からないじゃないですか」と言った。もうひとつ、わたしのだいすきな映画には「どこにでも行けるのに、どこにも行かないわたしたち。」みたいなキャッチコピーがついていた気がするけど調べても出てこなかった。でもとどのつまりわたしが考えていることもおんなじで、仕事の車運転してるときなんかいつでもこのまま海に行く心づもりだけはあって、だから今日は海!と叫んだ。海に行きたかった。ずっと日々の思考の隙間に海があった。海に何があるんだろう? どうして海に来たかったんだっけ。

   駅に併設された海の見えるカフェ、オリジナル・パンケーキとホットコーヒー。海側のテーブルは家族連れが座っていて、もうひとつには「予約席」の三角のプレートが飾られていた。駅に設置されたピアノに隠れるようにして男の人が眠っていた。友人が恥ずかしそうに猫ふんじゃったを弾いてくれた。

   海の近くまで行った。車内bgmは岡田拓郎とスチャダラパーに変わっていた。知らない曲がぜんぶ良い曲に聞こえる魔法。線香花火がいくつも砂浜に刺さっていて、マナーの悪い人間に「お前は夏したのか?」と尋ねられた気がした。夏を動詞に使うなと言いたくて砂浜から抜いた線香花火の先っぽが黒く焦げていて、無性に花火がしたくなった。風が強くて火がつかなくて、2回買い出しに出る羽目になったけれど最後には花火ができた。意地だった気がする。少し離れた波の中に4人のサーファーが見え隠れてして、しばらくしたら雨が降り始めた。海に面した高台にある銭湯からは、露天風呂に浸かっているおじさんたちがずっと地平線を眺めていた。おじさん丸見えビーチ。

   帰りっぽい音楽は何かな、と助手席の声がカネコアヤノの文字をなぞった。カネコアヤノは真面目な女の子が羽目を外す一夜、みたいな音楽でずっとかわいい。かわいい音と声と歌。雨の高速、夜のひかり。わたしもカネコアヤノの歌になりたい。さっきSAでみた大学のバスを追い越して笑い合った。

   後からふりかえって美しいものって、どうしてその刹那は苦しかったりつらかったりしんどかったりめんどくさかったりするんだろう。美しいんだったらぜんぶその瞬間から美しく発光してほしくて、後からその美しさに気づくなんてあまりにも不便で、と眠そうな助手席に話した。友人は「わたしは美化されることはないかな」とSAのスターバックスで買ったゆず&シトラス・ティーを、興奮するわたしを落ち着かせるために飲ませてくれた。

   帰りはひとりでクリープハイプを聴いた。死ぬまで一生愛されてると思ってたよと尾崎世界観が声を枯らした。行きは通らなかった首都高に入り込んで、きれいなビルと車をたくさん見た。いつか住むなら、首都高から見える背の高いマンションの一室とかもいいかもしれない。わたしも誰かが誰かの記憶を重ね合わせるひかりの一室になりたい。

   いつでも行ける海で、いつでも会えるはずだった友人と会った。友人は今月から新しい場所で新しいことをはじめると知った。いつでも会えるはずの友人は、いつでも会えるわけではなくなってしまった、らしい。いつでも行ける海もいつかはいつでも行ける海ではなくなってしまうのなら、会えるうちに、会える人と、会える場所で。

2022.9.2 「ちょっと思い出しただけ」を観ながら

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