香川 一人旅 記録
2023年8月10日-11日の二日間、香川県に一人旅に行った。その時感じたことをここに記しておく
行くまで
バスタ新宿から大阪を経由して高松駅に向かった。早朝の大阪駅はそれまで夜行バスで来たというのもあって一段と眩しく光っていた。工事現場へと入っていく作業着姿の男性たちが、大阪で生まれてすぐに引っ越した私の、数あるifの先にある一つの人生みたいに見えた。途中に立ち寄った淡路島にあるサービスエリアから瀬戸内海が望めた
新屋島水族館
借りたトヨタ・ヤリスのカーステレオでharuka nakamuraの『Waltz of Reflection Eternal』を流しながら最初の目的地であるうどん屋まで走らせる。地元の人しかいない店内で、緊張を悟られないようにセルフ式のオーダーを済ます。身体全体に染み入る美味しさと温かさを感じながら屋島まで登り、頂上のだだっ広い駐車場にある喫煙所で煙草を吸った。耳が壊れるくらいの蝉時雨の森の先に新屋島水族館は佇んでいて、忘れ去られたような屋外に位置するイルカの水槽の周りには人もいなかった。静かな空間にイルカだけが気持ちよく泳いでいて、水槽の縁をなぞり時々思い出したように鳴き声を上げた。地元の小学生の絵が館内の壁面に飾られていた
うみの図書館
友人が館長代理を務めている図書館兼ゲストハウスに泊まった。そこから細い生活路を徒歩15秒ほど抜けると瀬戸内海が右から左まで広がっている海岸に出ることができた。館内にいた女性と一緒に海まで出て、ラムネを飲みながら煙草を吸った。さぬき市に惹かれて移住してきたというその人は「ちょっと嬉しかった話」というトークテーマで恋人と話をするのが好きだと話してくれた。互いの姿をフィルムに収めて別れた
友人
仕事終わりの友人に地元の店に連れていってもらってそのあと銭湯に入った。零れ落ちそうな星の空と夜の海で風が強くなかなか煙草に火がつけられず、奇跡的に灯った友人の煙草に重ねる形で私の煙草にも火を点けた。台風の影響とはいえこんなに荒れている海は初めて見たと友人は笑っていた。コンビニで花火を買うか迷って買わなかった。海に続く細い路地で別れ際、そういえばしてなかったねって軽い抱擁をした
朝起きたら友人はいなくて、共用の洗面台には知らない女性たちがいた。鍵を本の形のキーケースに返却して、その友人に選書してもらった二冊の本を借りて後にした。返却期間は二年間だった
★豊島美術館※鑑賞前のネタバレを含む
高松駅からフェリー乗り場まで向かう。待合室で居合わせた人たちと甲子園を見る時間。狭いフェリーで聞こえた会話がメモに残っていた。島に着いてからまたバスに乗り換えて、一緒に道を間違えた外国人とno wayと笑いあった。金沢21世紀美術館の建築も手掛けた建築家・西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)と美術家・内藤礼(ないとう・れい)による「豊島美術館」は絵画や彫刻が展示されているわけではない。そのことに憤慨し、退屈だと思う人もいるだろう。私は事前に情報を遮断して行ったがそのことだけは知っていて、それに関しては同様に一抹の不安があった。でもこれは後から思ったことだが、そこにはそんなものなど必要なかった。
まずはじめに受付で手渡されたワークシートをクリップボードに挟み、貸し出された鉛筆を片手に淡々と見えるものを記録していく。棚田の色、森や鳥の声。海の音。コナラの木の下で鑑賞客が涼んでいたことや面白い形をしていた葉のスケッチまで、ありとあらゆる「今」を書き留める。遊歩道をぐるりと一周する頃に一つの建物が現れる。そこにあるのは自然と調和し/された、建築そのものの美だった。そこではその建物に辿り着くまで意味も分からぬままワークシートに書き留めていたもの、或いはそれまでの人生の答え合わせができる。同時に新たな問いも生まれる。柱のないコンクリート状の建物内は一切の発言と写真撮影が禁止されていて、動く際の衣擦れさえ神経質にならざるを得ない。開口部から差し込み地面にたゆたう光は、見るものの考えを投影した姿のままで静かに揺れている。ひんやりとした床には水滴がいくつも付着しており、河口を求めて蠢く生き物みたいだった。何もない場所と言えばそれまでだった。何もない場所で、何もかもがまた同時に存在していた。そんな場所があるなんてそれまで知らなかった。知っていたとて、体感できる類のものだとその目で見るまでは信じることなどできなかっただろう。美しいものはすぐそばにあった。ここまで親切に伝えないとわからないのか、と豊島に言われた気がした。絞り値を調整して光線の角度と量を配分した先に徐々に焦点が合うような、そんな美しさだった。ジョン・ブレットやラ・トゥールの名画のように一見してある程度の価値が見い出せるものとは違い、これまでとこれからの人生で過ごす時間のフレームを規定してしまうくらい長尺で、有無を言わさぬ力強さがそこにはあった。これまでの人生が肯定され、これからの人生が祝福された。ほとんど暴力的とまで言えるくらいの美しさだった。
寝っ転がって見る人、膝を抱えて座る人、静かに耳を澄ませている人、目を閉じている人。いろんな人がいた。蝉の声が旋律になって光の影を変えた。重力に逆らい足元を這うように流れる水滴は、絶えず出口を渇望していた。その原理がわからぬまま、ただ自然がすぐそばにあった。さっきまでその自然のただ中を通ってきたのに、私はなにも気づいていなかった
★心臓音のアーカイブ
豊島はその島内の至る所にアート・プロジェクトが施された美術的側面の強い島で、他にも興味深い建物があった。フランスの現代アーティストであるクリスチャン・ボルタンスキーが生きた証としてその心臓音を記録した「心臓音のアーカイブ」は瀬戸内海のすぐ脇に建てられており、名前の通り世界中の人間から収集された心臓音のアーカイブをそこでは聴くことができた。また追加料金を払えば自らの心臓音も恒久的に保存ができる資料館としての役割も同時に担っていた。データ・ベースには検索機能がついていて、学生の頃好きだった女性の名前を打ち込むとこれがヒットした。珍しい名前ではないが、その漢字が好きだった。でも名前がローマ字で表記されていたため本人かどうか確証が今一つ持てず、録音時にその心臓音の主だけが残すことのできるメッセージを併せて読んだ時、人違いではないことを確信した。その人でしか書き得ない文体で、その人の声で自然とそれは読み上げられた。遠く離れた場所で昔好いていた女性の心臓音を聴くことの奇異な偶然性も、でもここでならあり得るという不思議な説得力があった。過去に聞いたはずの音色も、分厚いヘッドフォンを通して聴くとどこか不思議な心地がした
島をあとにして
帰りのフェリーを待つ小さな小屋で、チケット売りのおじさんがベンチに横たわって眠っていた。チケットが買えなかったらどうしようと思っていた頃、顔見知りだという男性が寝ているおじさんを起こしてくれて無事チケットを買うことができた。岡山へ向かうフェリーは行きのすし詰め状態とは違って車やバイクも乗り入れられる大型の船だった。広いデッキは海の青色を反射して緑色に発光していた。煙草を吸った。甲子園が放映されていてテレビの最前列では女性が一人眠り込んでいた
ちょっと岡山
船場の近くで適当な中華食堂に入り、ラーメンとチャーハンを食べた。在来線の駅舎で島にいた外国人と再会し、ハグをして別れた。岡山駅に着いて新幹線まで時間があったので「喫茶 キャッスル」に行く。レトロゲームの筐体がテーブルになっていて、アイスコーヒーを注文したら15秒で出てきた。かわいいママがその日は一人で回していて「おつりなんぼやったっけ?」と言われて一緒に計算した
行ったあと
初めて四国・香川に行ってから一年以上が経った。Twitterのスペースをしていて「なにか書きたいけれどなにを書いていいかアイデアが浮かばない」と一人でぼやいていた時、この旅のことを書こうとふと思った。一年以上も経過しているのにわたしの心の一部は香川、特に豊島に取り残されたままだった。夏に見た豊島は幻影のようだった。文量の関係で削ったが他にも書き留めたものが幾つも手元のメモには残されている。
豊島に行って、それまで生きてきた今までの人生に光が照射された。様々な角度から入念に照らされた対象物はその分だけ多義性を帯びる。異なる入射角によってその季節の日入りと日暮れの時間が変わるように、過去を照らすことはすなわち地続きの未来を照らすことに他ならない。過去を振り返らないことには未来を見ることはできない。過去を肯定することによって、わたしは未来の影さえも束の間脳裏に映すことができた。そんな瞬間に立ち会えることは滅多にない。
暗闇の中でゆっくり瞳孔が開くように、豊島で起きたことを理解するのには時間がかかった。まだすべてを理解したわけではない。でも時間がかかればかかるほど理解は深まると信じている。だからこうしてnoteに書き起こすのも一年以上が経ってしまった。
また豊島に行こうと思う。それまでは日々の仕事を頑張ろうと思う。