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誰かが誰かの記憶を重ね合わせるひかりの一室になりたい

 強く短い雨が降ってレースのカーテンを開けたら家の前の団地のベランダには洗濯物がそのままになっていた。濡れたそれらを見た時その部屋に住む人は何を考えるだろう。今は日曜日の午後だから洗濯し直すことはきっと億劫で、明日から再び始まる仕事と共通してくくりだされる憂鬱をコンクリートにひろがる水滴の染みに重ねて悲しんだり苛立ちを感じたりするのだろうか。

 小さい頃から何もできなかった。クラスで自分だけ逆上がりができなくて泣きながら家のパソコンで「逆上がり 方法」と調べた。当たり障りなく会話をして公園で遊ぶ友人たちはいたけれど夏祭りに誘える友人がいない、みたいな子どもだった。公園でリーダー格の二人が今から行うサッカーのチームに入れたい人を話し合っている時、自ら進んで誰もやりたがらないキーパーに立候補して自分の薄い存在価値をごまかすのに必死だった。

 父親がいなかった代わりに母は平日も夜遅くまで仕事に出ていて、公園で時間を潰してから帰宅しても家に誰もいない時がよくあった。そういう時は家の中に入る前からまだ誰も帰ってきていないとわかる。わたしはその頃団地に住んでいて、母や姉が既に帰宅していたら廊下と天窓で繋がったわたしの部屋からうっすら明かりが漏れていて、だから団地の敷地内に入ってわたしの暗い部屋が視界に入るたび、わたしはあっという間に孤独になれた。
 泥で汚れた靴を脱いで電気を点けてDSやカードゲームを入れたポシェットを自室に放り投げ、足元に転がっているランドセルを横目にリビングに向かうとサランラップを掛けられたチャーハンが置いてある。それをチンして食べながらテレビを見ているとドアの前でスーパーのレジ袋を置く擦れた音が聞こえて、鍵穴に鍵が差し込まれる前に勢いよく駆け寄ってドアを開けて、毎回新鮮に驚く母の顔を見るのが好きだった。

 わたしは幼少期~思春期を団地で過ごした。団地には数えきれないくらいの世帯がいて、それぞれの部屋に生活があって、夜になるとそれらがいっしょくたにひかって、きえて、またひかる。団地のひかりは幼少期の自分にとって安心の象徴だった。自分の家にひかりが灯っていなくても、必ず近くの部屋には明かりがあった。冷たいチャーハンが温かくなるまで自分ができないことを数えて寂しくなって惨めで苦しくなったけれど、わたしは家のほとんどの部屋の電気を点けて母と姉の帰りを待った。彼女たちが帰宅してきて団地を見た時「わたしが帰ってきてるんだな」と知らせるために。

 以前、自分のnoteの中で「わたしも誰かが誰かの記憶を重ね合わせるひかりの一室になりたい」と書いた。書いた時はあまりよく覚えていなくて、最近ツイッターのフォロワーの一人に「この文章が好きだ」と言ってもらえて、読み返して「ああこんな文章書いたな」と思いだし、過去の自分が作り出した文章に依ってひとつの情動が呼び起こされて、それは昔住んでいたあの団地でわたしの帰りを待っていたひかりの一室のこととその文が重なったからだった。

 わたしは18の時に実家を出て一人暮らしをして今年で6年目になる。その間に実家も何度か引っ越しをした。一人暮らしだから仕事から帰ってきても自室から光が漏れていることはなくて、でも家にたどり着くまでにくぐり抜けた住宅街、アパート、マンション、団地、の、ひとつひとつで明滅していた部屋のことを思い出す。あのひかりに励まされている人のことを考える。あのひかりの中にいて、またあのひかりの中に帰ってゆく人々のことを夢想する。夕ご飯の匂いや漏れ聞こえるテレビの音に、わたしのかつての一室をかさねる。
 わたしはひとりの部屋の電気を灯す。近くを通りかかっただれかがわたしの部屋のひかりを見て、大切なだれかを重ねてくれればいいなとつよく祈りながら。


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