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退職記念日/別れについて

退職した。大学を卒業してから二年働いた会社だった。一年目は働きたくないと毎朝三回唱えて出社していた。大学生とのギャップに、目に映るすべてに怯えていた。それでも二年目は私のからだひとつでできることが増え、適度な息の抜き方も覚えた。仕事が楽しいと思えるようになった。任されることも増え、やりがいになった。呼吸が楽になった。冬に病気になった。仕事が原因ではなかった。髪が伸びたから後ろでひとつに結わえるようになった。飲酒と喫煙の量が極端に増えた。二年間の間に二人の恋人と別れた。仕事の内容は堪らなく好きだった。職場も居心地が良く、その一員であることを誇りに思ってすらいた。ただ、仕事という何百年も前から繰り返される行為そのものが嫌いだった。無職になるつもりで退職届をボールペンで濃く強く書いた。でも無職でやっていける筈はなく、私は大学を卒業した時にしなかった選択、できなかった選択、逃げた選択、肢の、その先へ向かおうとしている。それはこの二年間で得た勇気だった。

ただ、今の私の中には喪失感だけがある。退職するこの一週間「なにか一言でも」と言葉を求められる機会が多かった。私は人前で話すことが好きだったし、それなりに慣れていると自負していた。それでも、いざ様々な人間の目の前に立ち言葉を紡ごうとしてもうまくいかない。まるで度数の強い眼鏡をかけた時のように言葉の焦点が合わない。マイクを通した自分の声が酷く弱々しいものに聞こえ、考えていることと考えていること、その二つの端を持って何度結ぼうとしてもすぐにほどけてしまう。
退職の意向を伝えるとみんなが祝福してくれた。私との別れを惜しみ泣いてくれる人すらいた。ただ私は目の前で起こる出来事すべてが他人事に思えていた。転職するということすら自分のことだと思えていなかった。それは自分の人生を真剣に考えていないことの何よりの証左と、もうひとつには自分の決断に責任を負いたくないというささやかな抵抗・防衛本能からだった。さようなら、また会いましょう、大好きです、そういった言葉を受けた時、条件反射のように「やっぱりやめません」と決断をすべて無に帰す情けない言葉が喉元まで出かけた。そんなだから、私は上手く感情を表情として、そして言葉として出力することができなかった。漢字ドリルの薄く書かれたお手本の最初の文字をなぞるように、言われたうれしい言葉をオウム返しにすることしかできなかった。私の当事者意識はどこか遠くに置いてきぼりだった。それでも喪失感を一丁前に感じているのは「失った」という過去の経験に付帯した悲しみの感情が、意識とは別軸で強く本能に刻み込まれてい、それが今回の退職ムードで呼び起こされたに違いなかった。像を結ばぬ言葉は私の身体の中に深く沈殿していき、私の中に巣食う黒い犬に収斂していく。黒い犬は読んで字の如く黙っている。言葉を持たない黒い犬。だから私はその犬がいつかワンと吼えるまで、茫洋と立ち尽くすことしかできない。私は過去の別離の際、どうやってこの気持ちにけじめをつけていただろうかと考え、すぐに思い当たる、私は泣いていたのだった。過去別れを経験した時、私はいつもひどく泣いていた。中学の卒業式、恋人と別れた夜、好きなアイドルの活動休止発表。おそらくこの喪失感は、そういう大きな感情の「揺れ」で帳尻を合わす必要があるのだろう、ただ今は涙など出てきそうにない。じゃあこの喪失感を何に喩えようか。

「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」井伏鱒二
「さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう」寺山修司

別離に纏わる喩えというと、私はいつもこの二人の作家/歌人を連想する。でも私は別に彼らのように今抱えている感情を無理くり言葉にする必要はなくて、曖昧なままの私と犬を抱きしめる。いつかふと口をついて出た言葉や行動で、いつかの自分を救えたらそれでいい。その時、今抱えている感情の答え合わせをするから。だからひとまずは、疲労困憊の自分を労ってやることにする。ビールのプルタブを開ける代わりに、井伏鱒二の有名な言葉を知るきっかけになった村上春樹の言葉で、この文章の挨拶と代えさせていただく。

「まずは人並みにご挨拶。しかし挨拶が終われば、さっそく別れが始まる。ハロー・グッドバイ──花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ」

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

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