見出し画像

年末年始、SNSから離れてみて

昨年のゴールデンウイークにSNSを見ないという試みをして、メリットが多かったので、年末年始もしてみました。
ゴールデンウイークの時は、読書の時間が増えた。部屋の片付けがはかどった。他人の事が気にならなくてストレスを感じることが減ったなどのメリットがありました。

そこで、年末年始もすることに。おそらく、クリスマスくらいから見ないようにして、大晦日から今年の3日くらいまでは、SNSアプリを開かなかったと思います。
私がSNSを見ようと見まいが、人様にはどうでもいいことですが、年末年始はSNSを見ない宣言の記事を書きました。

「よいとし」「ことよろ」「あけおめ」を見ずに過ごしました。
年越しそばや、お節料理自慢も、お高いお酒の見せびらかしも、何も目に入ってきません。あまりそういった慣習にとらわれない私にとって、人様の食卓や、年中行事は興味のない事です。

慣習や、地域によっては、この時期に何をするというのがあるかと思います。それを大事にしている人々もいらっしゃることもわかっています。
私の住む地域は歴史もなく、年中行事に対しておおらかな場所です。今は個の時代というのも強く感じるところで、自分の好きなように過ごすことにしました。
わかりやすく言えば、クリスマス、年越し、お正月らしい事を何もしなかったのです。
何かを信仰しているわけでもなく、年中行事をやりたがる同居人もいない自由人だからできたのかもしれません。

SNSは使い分け

そろそろ「ことよろ」も終わったと思える3日ごろから、SNSアプリを開きました。通知が来ているので、チェックするためです。
その際にタイムラインを見てしまい、イラッとする事もありました。
逆にアプリによっては、楽しそうなイベント情報が流れてきて、参加する予定を入れたりもしました。
媒体によって、つながり具合や、流れる情報が違うと実感しました。
それにより、もうこのSNSは見たくないというものと、これからも活用しようというものに分かれました。
見ないSNSは、機能的にはいいので、アカウントは残して、必要な時に活用することになっていくでしょう。

SNSを離れてみて、必要なものとそうでないものがわかりました。
タイムラインを見て不快になるくらいなら、もう見なければいいのです。

辛辣ですが、私は何が不快かというと…
・ただの日記(凡人の生活を見ても仕方ない)
・外食や食事の紹介(自慢のつもり?)
・家族や友達のアニバーサリー(身内だけで祝えば)
・興味のないものの売り込み
・閃いたこと(自分一人で感動してろ)
だいたい、このような内容の投稿は私にとって意味のないもので、不要な情報です。
一方でこのような投稿にたくさんコメントが付いていたりします。そこは、良好なコミュニケーションができているのだと思います。
どんな投稿をするかは自由です。そして、見る見ないも自由です。
投稿したからといって、なんでも知ってもらっていると思うのは勘違いです。

オンラインもリアルも、情報は人が運んできます。
良い情報が得られるように、SNSを活用して、現実の生活を充実させていけたらと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?