なぜ病床からパリコレに出ると決めたのか
私は10年前に難病「多発性硬化症」になり、一時は寝たきりでした。杖歩行のときに出会ったミセスコンテストを機に、杖を手放し現在も自力歩行をしています。今回は、そのような私がなぜ「パリコレ」に出ると決めたのかをお話しします。
10月の初め、私は入院していた。
体調を崩したわけではない。以前より決まっていた難病「多発性硬化症」の薬を変更するためだ。
私はこの病気の後遺症で、腰から下が麻痺している。感覚機能が失われているのだ。
だが、運動機能は残されているので、感覚のない脚で歩くことはできる。重だるく歩きにくいけれど。
新しい薬は、病気の再発を抑えるだけでなく症状の改善も見込めるらしい。
今よりも歩きやすくなり、一生自分の脚で歩けることを期待しての入院だった。
特に体調が悪かったわけではないので、病院のベッドの上で退屈していた。
そうなると、自然にスマホに手が伸びる。
何気なく開いたSNSのアプリで、知り合いの近況を眺める。
普段なら、お食事や日々の暮らしが画像と共に流れてくる。
しかし、その日の画像はいつもと違った。
「パリのランウェイを歩いてきました」
衝撃を受けた。知り合いが、重厚感のある会場で両サイドにびっしりと座った観客の中のランウェイを歩いているのだ。
まるで世界のトップモデルのようにドレスを纏い、ポーズを決めている知り合いに、美しいと感嘆すると同時に、羨ましいと思った。
知り合いがパリコレに出ている。驚きはそれだけでは終わらなかった。なんと他に3人もパリコレに出ている知り合いがいたのだ。
SNSの知り合いといっても、コンテスト関係で出会い、話したこともある知り合いだ。
この日の私のSNSは、豪華絢爛なパリコレランウェイで埋め尽くされていた。
彼女たちは別のショーに出ているらしく、一緒にいる様子はなく、ドレスなどの衣装も違った。
パリコレに出ている知り合いの女性たちは、スーパーモデルを仕事にしているわけではない。
彼女たちの共通点は、ミセスコンテストの世界大会に出場した経験があること。
私だって、世界大会第2位だ。近いところにいると思いたい。
ではなぜ、彼女たちはパリコレに出られたのだろうか?
そして「私も出たい!」と思った。
慣れない病院のベッドで迎えた翌朝、昨日の感動をもう一度味わいたくてSNSを開いてみると、今度は世界大会で一緒だったヨーロッパ代表もパリコレランウェイを歩いていた。
彼女がwinner(1位)で、私が2位だった。
同じミセスコンテストに出ていたのならば、私にだってチャンスはあるんじゃない?
これで5人もの知り合いがパリコレに出ていることになる。
そして私は、知り合いの投稿から、日本人デザイナーのアカウントを見つけ「来年のパリコレに出たい」とメールをした。
パリコレとは何か
パリコレクション、略してパリコレ。
正しくは「Paris Fashion Week」というようだ。
プレタポルテ(高級既製服)ブランドが年に2回、新作発表をする期間のこと。
世界的なコレクションは、他にもミラノ、ロンドン、ニューヨークなどでも開催されている。
たしかにミラノコレクションという言葉を聞いたことがある。
しかし、その中でもパリコレは最も規模が大きく、集まるメディアの数も圧倒的に多い。
世界中のデザイナー、アパレル関係者、モデル、そしてヘアメイクまでもが憧れて注目しているのが、パリコレなのである。
なお「パリコレモデル」という肩書にも近い呼び方は、日本だけらしい。
パリコレに出た経験のある人は、総じてパリコレモデルと呼ばれている。
パリコレに出演しているのは、モデルだけではない。芸能人も出ている。
そして、モデルのお仕事はコレクションのランウェイだけではない。ブランドのポスターや雑誌の表紙など、写真を撮られるのもモデルの仕事である。
しかし「パリコレモデル」というのは、モデルの中でも別格だ。私のような一般人でも憧れる存在である。
どうしたらパリコレモデルになれるのか
パリコレに出るためには、モデル自身がパリに行き、コレクションの期間中に行われているキャスティング、いわゆるオーディションを受けて採用されたら出演が決まる。
初めから出るところが決まっているわけでない。キャスティングが行われているブランドに直接行って、仕事を勝ち取ってくるのだ。
選ばれなければ仕事はない。
モデルとは過酷な世界だ。
これがパリコレモデルになる方法。
一方でブランドから指名をされて、パリコレの常連になっているのが、いわゆる「スーパーモデル」と呼ばれる人たち。
日本人で有名なスーパーモデルといえば、冨永愛さん、山口小夜子さんなど。世界が認めるスーパーモデルは本当に限られている。
では、私の知り合いはなぜパリコレに出演できたのだろうか。
ミスコンの世界大会で入賞している人は、キャスティングを受けて採用されていた。彼女の努力でブランドに採用され、本当のパリコレモデルになったのだ。
他の4人のミセスコンテストの知り合いはどうやって出演することになったのだろう。
彼女たちの中には身長が150センチ台の人もいる。年齢も主にアラフィフ。パリコレのモデルは、高身長で若い人というイメージがあるが、それだけではないようだ。
パリでキャスティングを受けている様子もない。
本人に直接聞いてはいないのだが、パリコレに出るのには、どうやら裏ワザがあるみたいだった。
私がメールをしたデザイナーは、現地でモデルを採用していたが、日本でも出演したい人を募っていたと知った。
それには、エントリーフィーが必要なようだ。
だからといってフィーを支払えば、誰でもパリコレに出られる、というわけではなさそうだ。
デザイナーにとっても、パリコレは自分の作品を世界で披露する大切な機会である。着こなしてくれるモデルを選ぶだろう。
エントリーした中でオーディションのようなことが行われており、そこで選ばれた人がパリコレに出演できるようだった。
知り合いがパリコレに出演できたのは、他にも方法があると思う。
世界的に注目されるランウェイを歩くのだから、エントリーフィーや「出たい」という思いだけでは解決できない、世界レベルのモデルとしての条件もクリアしているはず。
SNSの中の彼女たちは、堂々としていて圧倒的に美しく、世界のランウェイにふさわしいモデルに見えた。
これもある意味デザイナーが日本国内で行うキャスティングで選ばれて、チャンスをつかんだのには違いない。
なぜパリコレに出たいのか
知り合いのパリコレランウェイへの出演は、私の心に火をつけた。
どうしても、パリコレランウェイを歩きたい。
なぜ出たいのか、はっきりとした目的は言葉では表せない。
「パリコレモデル」の肩書きが欲しい。
世界のファッションショーの裏側が見たい。
そのような簡単な思いではなく、ただただパリコレのランウェイに惹かれるのだ。
ミセスコンテストの世界大会では、開催国の人だけではなく、世界中から集まったファイナリストと国際交流ができた。国によっては、コンテストで入賞するよりも、生きて帰ってくる方が大きな目的にもなった。
普通の海外旅行ではできない、かけがえのない経験ができた。
パリコレでも今までにない、人生の糧となるような経験ができるに違いない。
私は日本の常識がまったく通用しない、海外での刺激的な経験を求めている。
コンテストとモデルは、似て非なる世界だ。人様の前を歩くのは同じでも、目的や表現が全く違う。
パリコレに出演するために、モデルとして自分を高めていく必要がある。
メールを送ったパリコレのデザイナーはどうなったかというと、なんと翌日には返事が来たのだ。
「なぜ、パリのランウェイを歩きたいのか」
デザイナーの質問に、人生の誇りとなるような経験がしたいこと。病気のため、かつては杖歩行をしていたこと。自分の脚で歩けるうちにパリのランウェイに立ちたいこと。デザイナーさんの作るドレスの美しい世界観を纏いたいこと。思いの丈を書き込んで返信した。
メールをしている私は入院中で、パリコレにはほど遠い病衣を着ている。こんな、脚に障害のある人間を、モデルに選んでくれるのだろうか。
再びデザイナーから返事が来た。そこには、
「参加したい。
でなく
参加する。
そう決めて日々を過ごして見てください。
見えるものが変わって来ると思います」
と書かれていた。
断られなかったのだ。
私には、パリコレのランウェイを歩く可能性がある。
デザイナーには、現在入院中であることは、まだ話していない。実際に会う時ときが来たら、話そうと思っている。きっと笑い話になるだろう。
病床での決意。
私は来年パリに行く。そう決めて過ごしている。
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