毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(7)

母が地元では「医大」の呼び名で賑わう病院に主治医から紹介状をもらったのは、2015年の夏だった。

「お前たちに私は充分面倒をみてやった。じいじが死んで、この先生活費を入れてくれないなら、出て行ってほしい。」と言われて、私と娘は非正規の収入だけで部屋を借りなければならなくなった。

母は兄と同居すれば毎月少し金銭がもらえると勘違いしていたようだ。取り返しはつかない。失敗すれば娘ともどものたれ死にだ。

それでも、これで母から解放されるんだという事実は有益だった。

出て行くには、面倒を避けるために母には一切知らせることなく娘と2人で決めた。愛犬を置いてはいけないと悩んでいたが悟ったかのように老衰で逝ってしまった。

今だ!娘と2人で実家を出た。

準備はOK❗️これから新しい生活が始まる❗️

母が一緒に暮らすつもりだった兄は、パートナーを連れて一晩泊まりに来たそうだが、同居はできないと早々に逃げ出したらしい。

やっぱりね(笑)昔から似た者同士で、お互いを見下しているし信用していないので、うまくいかないわ。でも私たちは「出ていって」と言われて部屋を借りていたし、私と子供たちの集合体をこれ以上いびつにしてほしくなかった。

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