毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(9)
肝性脳症で入院した母に容赦ない医療関係者らの屈辱的な言葉が飛び交う。
「どうせすぐ死ぬ」「何言ってもわかんないから」「頭おかしくなった」「手がかかって大変なんだから迷惑だ」
私の心は穴だらけだった。おまけに、ある程度回復したときは置いておけませんから、転院先早く決めてくださいって。
肝性脳症の患者を入院させてくれる病院は、見つからなかった。
唯一、千葉県我孫子市にあるかつて倒産した古ぼけた病院で「なにも治療しない」条件で3カ月は置いてやると言われて転院が決まった。
3か月経ったらどうするか、誰も教えてくれなかった。自宅で在宅医療を受けられないかとネット検索をし、新しくできたばかりの「看護小規模多機能型居宅介護」を利用することにして、申し込んだ。そのころ母は、病院じゃなければどこでもいいと言っていたので、見学がてらお試し利用を依頼した。
お風呂やトイレも「自分でできる」ことが嬉しかったようで、自宅で介護事業を組み合わせれば看取りも可能だった。
契約に迷いはなかった。しかし、いかんせん新規立ち上げの事業でこちらの希望とは3か月ほどで乖離が広がり、介護認定だけしてもらって契約は切った。母が「あそこにいくと気分が暗くなるからイヤ。」と言ったからだ。
娘と相談して母を病院から自宅マンションに連れて帰って介護が始まった。朝昼晩と食事を作り、薬を一日3回分包しておく。薬を先に飲ませないとおなか一杯になって、薬が飲めないといけないから大変だ。
小さなころからいつも母は「幹部」であり「同志」だったので、初めてこのとき「親子」になった。しかし、病状はまた加速度を増して悪くなった。もう素人ができる範囲は超えていた。
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