毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(2)
子供の頃から褒めてもらった記憶がない。習い事も母の言う通りにそろばんと書道を習った。やりたくてやっていたわけでもないので、そろばんは一級の手前まで、書道は面白かったが母の都合で全く違う流派の塾に入れられて萎えた。母のなかでは、上達することを期待しているわけではなく、言った通り指示した塾に行ったかどうかが重要だったようだ。
一度だけ、ピアノを習いたいと頼み込み、知り合いの個人塾に通ったことがあった。先生は母に「この子は絶対音感があるから、続ければ音大行ってピアニストになれるよ。」と言ったそうだ。嬉しくて、当然続けられると思っていたが、「ピアノでは食べていけないからそろばんだけにしなさい」と辞めさせられてしまった。学級委員長をやっても、書道で特選をとったときも「手に職をつけなきゃ食べていけないから、勘違いするな」だって。
兄貴は問題児で期待できないからあんただけはちゃんとしてねが口ぐせだった。当時、飼っていた犬だけが私を癒してくれた。
#自分にとって大切なこと