毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(8)

医大に入院し、カテーテル治療の日が決まった。

その日、母の病室で予定の6時間を過ぎても戻らない母に不安がつきまとう。兄からは何度も母の携帯にショートメールが届いたが、だったら仕事休んで付き添えばよかったのにって、口から出てきそうな言葉を何度も飲み込んだ。娘と二人で病室のイスに座ってひたすら祈っていた。

母が戻ってきたのは始まって7時間30分後のことだった。Vサインをしながらストレッチャーに乗せられてベッドに移動。そのまま眠りについた。「今夜は目が覚めないと思いますのでご自宅にお帰りいただいて結構ですよ。」と看護師が言った。

翌日には意識も戻り、母はどうやらこれで「闘いきって勝った!」と軽く考えていたようだ。とりあえず3つ目のガンの場所が悪くて苦労したが全部やっつけたとだけ医師が説明していたからだ。

肝臓癌については母も兄も全く理解していなかった。やがて肝硬変が進行すれば肝性脳症を引き起こすことも知らずに。

カテーテル治療の後は自宅でしばらく一人暮らしを楽しみ、毎週末は私が通って買い物や役所関係、銀行関係などをすべてやる。「この人、このまま悪化せずにある日ぽっくりいくんかな」と思っていた頃、突然その時はやってきた。カテーテル治療から2年とちょっと。

仕事帰りの電車でスマホが鳴った。

「なんで連絡もよこさないで来ないんだ!」

「え、だって今日は金曜日。行くのは明日の3日のはずだよ」

「何言ってるの。今日が来る日だったのに。今日は2月3日で土曜日なんだから!」

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