日本とフィリピンの間で生きる
私は日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれました。私の母は農村花嫁として日本へ来ました。
日本で外国人花嫁ビジネスが盛んになったきっかけは、1985年に山形県において、行政が主導する形でフィリピン人女性を迎え入れたことだったとされている。その後、民間業者による紹介サービスが広がっていった。
農村の嫁不足を背景に「外国人花嫁ビジネス」
結婚詐欺や誘拐、人身売買の問題も
https://moneyzine.jp/article/detail/185289
貧しい家庭で生まれ育った母は、『日本に行けば幸せになれると思った』、と言っていました。
逆に花嫁の来ない過疎地域に住む父は、『周りに言われるがまま結婚した』、と言っていました。
来日して1年後、私が生まれました。
生まれも育ちも基本は日本でしたが、1年のうちフィリピンで3か月程過ごし、日本に帰るという生活をしていました。
•姑の異常なまでの嫌がらせ
•夫の精神異常ぶり
•日本になじめない
そんな理由から、母は私を連れてフィリピンへ逃げたからです。その度に父や祖父が私達を連れ戻すため、フィリピンに来ていました。
300万もの大金を支払い、成立させた結婚です。
跡取りが生まれるまで、逃がす訳にはいかなかったのでしょう。
私が4歳のとき、弟が生まれました。まちに待った長男です。
それでもなにかと母は理由をつけてフィリピンに私達を連れて帰り、帰りたくないと言い張るが泣く泣く連れ戻される、という生活が9歳まで続きました。
そして10歳のとき、両親は別居。私は母と弟、3人で暮らしました。ボロボロのアパート、生活保護。母に恋人がいる生活。苦痛でした。
またフィリピンに3人で戻ったとき、私と弟は置いていかれるんだと思いました。フィリピンで一生暮らすのかな、と。
でも母は結局日本で一緒に暮らすため、朝から晩まで仕事を掛け持ちして育ててくれました。
11歳のとき、離婚が成立。親権は家庭裁判所に父が現れなかったため、母に。養育費は2年間で途切れました。
しかし、ことあるごとにお金が必要になると、父や祖父母へもらうよう、連れて行かされました。
まとまった金額がもらえると、その度フィリピンへの送金が増えていたこと、土地やアパート、お墓を買うために、私達を日本に残してひとりで帰るようになったこと、知りたくはありませんでした。
もともと裕福な農家だったのが、どんどんフィリピンへ吸い取られていくのを目の当たりにしました。
そんな母を見ているのがイヤでした。
大学卒業後、フィリピンの大学院に行きました。
その頃夫に出合い、フィリピンで就職、結婚。
娘が生まれてやっとわかりました。
母の結婚に愛などなかった。お金と永住権と、日本人の子どもがほしかっただけだと。
日本に住んでいるというだけでチヤホヤされる。
日本人の子どもがいる。
大金が手に入る。
自分が偉くなった気分になる。
ただそんな自分に酔っていた母とは、3年前に縁を切りました。
私を育ててくれたこと自体は、感謝しています。
フィリピンへ頻繁に来ていたから、英語も上達が早かったし、タガログ語もできるようになったし、夫にも会えました。
ただ、そこまでフィリピンに送金する必要はあったのでしょうか?祖父母が亡くなったあとは、父の老後の貯金までも切り崩して。
フィリピンの親戚一同寄ってたかって、仕事はせず母からの送金目当てにするばかりです。
お金があれば幸せになれると思った母は、今幸せ?
私にはそう見えない。
弟は農家を継ぎ、父は独身生活を謳歌している。
私にも家族がいる。愛する夫と娘。
家族の形はそれぞれだけれども、お金で買える幸せや愛は存在しない。
私はこれからも日本とフィリピンの間で、生きていくのです。