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米国映画の健全性を示す映画〜『大いなる陰謀』

ドナルド・トランプの大統領就任に際しては、各方面から批判や注意を喚起する発言が出てきました。ハリウッドも例外ではありません。その急先鋒の一人ともいうべきが、メリル・ストリープ。ゴールデン・グローブ賞の受賞スピーチのなかでトランプ新大統領を批判したことは各種メディアでも大きく取り上げられ、話題になりました。政治に対する彼女のそのような姿勢は、俄仕込みのものではなく作品をとおしても折に触れて表現されてきました。10年前に公開された本作を今見ると、なるほど彼女は納得できない公権力に対しては、ずっと戦い続けてきたのだなと思い知らされます。そういう意味では、賛否は別として彼女の姿勢は一貫しているのではないでしょうか。

『大いなる陰謀』は米国がひこ起こしたイラク戦争に対する批判的視点のうえにたって作られた映画です。
泥沼化したイラク戦争から目を逸らすためにアフガン軍事作戦を立案した若き政治家と彼に独占インタビューする機会を得た記者、かつて軍に志願した優秀な学生を引き止めることができなかった大学教授と現役学生との葛藤、そして、アフガニスタンに派兵された米軍兵士たちの苦闘。この3つの場面が手際よく整理されて、同時進行的に物語が進んでいきます。みずからも大学教授を演じるロバート・レッドフォード監督の演出ぶりは端正で洗練されています。とはいえ、戦場のシーンを除けば全編室内における対話劇といった趣向で、起伏に富んだドラマ作法に慣れた観客からはブーイングを受けるかもしれません。

内容的にもこの映画の弱点を指摘しようと思えば、いくらでもできるでしょう。もっとも違和感を覚えたのは、重要な事柄の多くが個人の決定や選択のみによって為されたかのような単純な設定です。アフガン作戦を立案したのが一人の野心的な与党政治家(トム・クルーズ)ならば、兵士となることを自発的に決めたのも社会への貢献を求める個々の学生たち、という具合。
米軍の一大軍事作戦が一人の若い政治家によって提案され実行に移されるという成りゆきには今一つリアリティが感じられないし、ヒスパニック系米国人や黒人などの学生が入隊するというのも、今日的な視点からすれば、そうせざるをえない、貧富の格差を再生産している社会構造こそが最大の問題のはずです。現に軍のリクルーターたちはそうした貧困層の学生たちに狙いを定めていることが堤未果の著作でも詳述されていました。アフガンに赴いた若い二人の兵士が何やら自分探しというか社会貢献のあり方を考え抜いたあげくに入隊したかのごとき設定(もちろんそういうケースもないとはいえないだろうけれど)は、こうしたテーマの映画にあっては観念的にすぎるように思われます。
メディアの問題点についての言及もやや鮮度を欠いています。メリル・ストリープ扮する政治記者は、メディアとは関係のない巨大資本に買収されたテレビ局の悲哀を体現しているのですが、おそらく米国内ではそのような苦悩じたいありふれたもので「何を今さら」という感じがしました。

それでもやはり私はこの映画を基本的につまらない映画と決めつけたくはありません。何故なら、わが社会のメジャー映画の状況は、少なくとも政府のパフォーマンスを主題にするかぎりにおいて、このレベルにすら達していないのですから。

「9・11」直後から米国内に澎湃として湧き起こった愛国ムードのなかで、米国人が自国のアフガン侵攻に異議を唱えることがいかに困難なことであったかを思い起こせば、こうして米国政府の振る舞いを相対化しようと試みる映画が撮られ、大手の配給ルートにのって興行されたことは、米国映画界のそれなりの健全さを示す事実だろうと思います。そのような映像表現が登場するまでに短くない年月を経なければならなかったことの評価は、人によって違ったものになるのだろうけれど。

私たちが外国政府の言動を非難するのは容易いことですが、米国で仕事を続けている映画作家が自国政府の振る舞いについて疑問を呈するのは、当時の共和党の人気が落ち目とはいえ相応の勇気を要することだったでしょう。私は表現者のそうした心意気に敬意を表したいと思います。

*『大いなる陰謀』
監督:ロバート・レッドフォード
出演:ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ
映画公開:2007年11月(日本公開:2008年4月)
DVD販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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