〈真実〉と〈虚構〉のあわい〜『トスカーナの贋作』
イランの名匠アッバス・キアロスタミが初めて祖国の地を離れて撮った長編劇映画『トスカーナの贋作』(原題《Copie Conforme》)はいかにもこの映画作家らしいトリッキーな仕掛けに富んだ作品です。
英国の作家がイタリアの南トスカーナ地方の小さな村に講演にやって来る。《贋作》という本を書きあげた彼は、芸術における本物と贋作の問題についてひとくさり喋ります。ギャラリーを経営するシングルマザーの女からアプローチされた作家は、誘われるがままに女の運転する車に乗ってドライブに付き合う。
途中立ち寄ったカフェで夫婦に間違われたのきっかけに、二人の関係は変調していきます。女はその間違いを愉しむかのように、そのあと長年連れ添った夫婦を装って会話を続けるのです。しかたなく(?)話を合わせる男。やがてそのゲームは二人を真偽定かならぬ世界へと連れ出し、その対話は真実と虚構の境界線上に溶解していきます。まるでマルグリット・デュラスの戯曲のように。──本当に二人は出会ったばかりの男女なのか。ひょっとすると二人は過去に関係を持っていたのではないか……。
この映画で二重に演技することになる男女──ジュリエット・ビノシュと映画初出演のオペラ歌手ウィリアム・シメル──の存在感は文字どおり映画的魅惑に満ちています。とりわけ熟女の嫌らしさと可愛らしさを兼ね備えたようなジュリエット・ビノシュの蠱惑的な仕草や台詞の一つひとつがこの映画の成立に大きな貢献を果たしているように思います。
キアロスタミの演出もルカ・ビガッツィの撮影も巧みです。
走り始めた車のフロントガラスに映る街並みを長回しで捉えたショットがおもしろい。また薄暗い画廊と好対照をなす秋の陽光に照らされたトスカーナの景観がすばらしい。絵に描いたような糸杉の並木。起伏に富んだ丘陵地帯(キアロスタミではおなじみの風景)。そして二人のミステリアスな関係を暗喩するかのように細い路地と坂道が入りくんだルチニャーノの街並み。
ついでにいっておくと、ビノシュとシメルが夫婦ゲームへと転じていくカフェの場面では、あからさまに小津安二郎的な真正面からのリバースショットが連ねられています。そういえば、私は未見ですが、キアロスタミは2003年に『5five ~小津安二郎に捧げる~』という作品を撮っているのでした。
シメル扮するジェームズは冒頭での講演で言います。本物の価値を証明するという意味で贋作にも価値はあるのだ、と。さらに彼はビノシュ(彼女の役名は不明です)との会話のなかで「《モナ・リザ》だって、ジョコンド夫人の複製にすぎない」と言いだします。
ジェームズと女の成り行きは〈本物/偽物〉〈真実/虚構〉という二項対立的発想の有効性が次第に揺らいでいく過程をうきぼりにします。その意味では『トスカーナの贋作』は、映画という表現が生まれついたときから孕み持っている〈贋作〉的な要素を、芸術の聖地ともいえるトスカーナの美しい風景にくるみ込んで自己言及的に描出しているというべきかもしれません。
キアロスタミは、この次に日本を舞台にした『ライク・サムワン・イン・ラブ』を撮った後、2016年に他界しました。もっともっと彼の作品を観たかった。残念無念というほかありません。
*『トスカーナの贋作』
監督:アッバス・キアロスタミ
出演:ジュリエット・ビノシュ、ウィリアム・シメル
映画公開:2010年5月(日本公開:2011年2月)
DVD販売元:キングレコード