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原田芳雄、渾身の遺作〜『大鹿村騒動記』

南アルプス連峰が間近にそびえる長野県の大鹿村。この村には江戸時代に発祥する村歌舞伎の伝統が受け継がれてきました。あの竹下政権下の「ふるさと創成事業」では、豪華な歌舞伎衣装を新調して今も村の財産として村民の目を楽しませているというほどの村歌舞伎の古里なのです。
映画『大鹿村騒動記』はこの小さな村の伝統を基に、晴れの舞台をめぐって人々が織り成す悲喜交々を大人のユーモアと遊び心で描き出した群像劇の佳品といえます。

映画は公演5日前から説き起こされ公演本番までを描いていく。最終的には大団円を迎える群像劇としてのパターンを踏み外すことはないという点で予定調和の作品には違いありませんが、ここまできっちりと「調和」させてくれるなら文句をつける方が野暮というものでしょう。

冒頭、紅葉色づく山沿いに進んで行くバスからの主観ショットで、この映画の舞台=祝祭的空間の孤絶性が示されます。けれどもそんな村にもリニア中央新幹線の駅建設話が持ち上がっている。歴史と伝統と自然のみに囲まれた無垢の土地でもないことがこの後のシークエンスで提示されるのです。
土木業を営む計画推進派の権三(石橋蓮司)、若者が出ていくだけと反対している野菜農家の満(小倉一郎)、なだめ役に回る商店主の玄一郎(でんでん)。立場によって意見は異なるものの、いずれも村歌舞伎の役者たち。鹿料理店「ディア・イーター」を一人で切り盛りしている風祭善(原田芳雄)は花形役者らしく「早く芝居の稽古しようよ」と議論には関心を示しません。

稽古が始まったと思ったらそこに現われたのが、善の女房・貴子(大楠道代)と幼なじみの治(岸部一徳)。二人は18年前に駆け落ちして、善の前から姿を消していたのでした。
「ごめん、どうしようもなくて……返す」
貴子は認知症を煩い、自分が駆け落ちしたことさえ忘れてしまっている。「目ん玉くり抜いてやる」と治に殴りかかる善でしたが、貴子に水をぶっかけられて争いは水入り。治もそのまま村に居残り、役者の面々はリニア新幹線の意見対立がもとで俺は降りるのあんな奴とは一緒にやれないだのと騒動の種は尽きません。

このほか中堅・若手の役どころも実力派揃い。村役場の総務課職員・美江(松たか子)は東京に出て行った彼氏と煮え切らない関係が続き、そんな彼女に思いを寄せている風なのが歌舞伎では女形を演じているバス運転手の一平(佐藤浩市)。ディア・イーターに住み込みのバイトにやってくるワケアリの雷音(冨浦智嗣)、廻り舞台を縁の下で動かすイケメン郵便局員(瑛太)などなど、彼らの存在も騒動に彩りを添えます。
もっとも性同一性障害に悩む雷音の挿話はいささか消化不良の感なきにしもあらずだし、歌舞伎の場面以外に役者陣とエキストラの村人たちとが交わるような日常的なシーンに乏しいのがやや残念に思われました。が、あれやこれやネガティブな感想はこの際、鹿にでも食わせてやりましょう。

認知症になりながらもかつて演じた芝居のセリフは忘れていなかったという難しい役どころを大楠道代が魅力的に演じています。その大楠に絡んでいく松たか子のさりげない変化もこの種の群像劇にはお決まりの役回りとはいえ、悪くありません。
終盤、村歌舞伎が無事に終わって墓参りに行く長老役の三國連太郎、背景の山の紅葉と三國が首に巻いたマフラーの色を「調和」させたシーンが見事に決まっています。
また、劇中劇として演じられる《六千両後日文章 重忠館の段》は大鹿歌舞伎だけに伝わるという貴重な演目らしいのですが、そこでの景清の物語はこの映画の展開と絶妙の「調和」を示していることもやはり指摘しておかねばならないでしょう。

        *        *

封切り早々に『大鹿村騒動記』を観た時にはこれが原田芳雄の最後の作品になろうとは夢にも思っていませんでした。プレミア試写会に車イス姿で現れたことはネットのニュースで知っていたけれど、こんなに突然に逝ってしまうとは……。
『竜馬暗殺』も『浪人街』も『ツィゴイネルワイゼン』も私の好きな映画。彼のフィルモグラフィを語り出せばキリがないのですが、近年では、宮沢りえと共演した『父と暮らせば』、頑固一徹の親爺役を自然体で演じた『歩いても歩いても』など、地味だけど滋味豊かな作品での演技が印象に残っています。

『大鹿村騒動記』は大鹿歌舞伎の存在を知った原田自身が監督の阪本順治に話を持ちかけて始まった企画。原田にとってそれは「娯楽の原点」であり「芸能本来の姿」のように思われたのだといいます。
この映画ではそんな主演俳優の熱い思いが決して押しつけがましくない形で、荒井晴彦=阪本順治の職人芸的な脚本・演出を得て嫌味なく表現されているように感じられます。結果、それは芸能本来の姿という自身の拠って立つ地点をはるかに超え出て、人々が共同して生きていくことの困難と愉悦を美事に浮かびあがらせることにもなりました。
村民の熱気をあますところなく捉えたクライマックスの大磧神社における歌舞伎シーンの素晴らしさはいうまでもありません。さらに三國に相対する場面、テンガロンハットだけで芝居をする原田に寄り添ったクロースアップもみどころの一つといっておきましょう。

仇も恨も是まで是まで。──俗世のつまらない邪心を洗い流したような台詞を残して原田芳雄は旅立っていきました。
景清は源氏の世は見たくないとばかりに最後にはみずからの両眼をくり抜いてしまう。しかし私たちはいつまでも両の眼を見開いて、この世界のありさまを、そして原田芳雄の遺した作品を見続けていきたいと思います。
仇も恨も是まで是まで。原田景清の台詞をかみしめて。

*『大鹿村騒動記』
監督:阪本順治
出演:原田芳雄、大楠道代
映画公開:2011年7月
DVD販売元:東映

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