声の記憶
ホルモンバランスの乱れだっていうのはわかっていた。
毎月じゃないにしろ、たまにそういう時があるのは長年の経験で自覚している。
自分ではどうにも出来ない不安、孤独、焦燥感。
世界中の誰からも愛されないという根拠のない確信。
どうしようもなく誰かを欲しているのに、足枷を嵌められたように自分からは動き出せない。
「声が聴きたくて…5分だけ電話していい?」
何度も打っては消して、
送信ボタンが押せないままそこに居座って数時間。
そもそも声にコンプレックスがある私は電話が苦手だ。
通話ボタンを押すのは大概が待ち合わせ場所に着いた時。相手の位置確認と会うまでの手段としてだけだった。
ただ今日は違った。手の中の通信機から聞こえる君の声が欲しかった。
いつもの声を聴いて、安心して眠りたかった。
独りじゃないと、思いたかったんだ。
そして23時を目前にして判断力が鈍ってきた頃、えいっと送信ボタンをタップし、ようやくそれはトーク画面の一部になった。
「今電車なんだけど」
返信が来たのは23時を回ってから。
あ、今日は仕事遅くまでかかったんだなと思う。
申し訳なさとともに、じゃあまた今度にしようと送ってすぐ、「次の駅で降りるから」と返ってきた。
慌てて、そこまでしなくて良いよ、もう遅いからまた今度に、そう打ちかけているタイミングでスマホが軽快な音楽を奏でる。
…もしもし。
イヤホンの調子が悪いらしく、遥か遠いところから小さく声が聴こえた。あれ?聞こえてる?そんなことを言いながら、突然クリアに「あ、繋がった」という君の声が耳元に届く。
それだけで全ての不安がかき消されたかのように心が穏やかになる。
思わず口元が綻んで、もしもしと返す。
珍しい私からのワガママに「飲んでたの?」と君が問う。
飲んでたわけじゃないけど…と口籠る私に何を察したのか、君は今日あったこと、明日の予定、次の休みはーと話し始める。
他愛のない話ってきっとこういうのを言うんだろう。
だとしたら、好きな人の他愛のない話って、どんな名作映画よりも心温まるものだ。
うんうん、と相槌を打ちながら、不安や孤独感が溶けてなくなっていくのを感じていた。
後ろから電車のアナウンスが聞こえる。
気付けばもう30分は話していた。
終電の時間が近い。半ば強引に、電車に乗るよう促して電話を切った。
再度LINEのトーク画面を開いて感謝の気持ちを伝え、おやすみを言い合った。
夏の終わりに深く心地の良い眠りにつけたのは、多分ここ数日の涼しさのせいだけじゃないと思う。
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