雨女の憂鬱
昨夜の中秋の名月は見事だった。
8年ぶりにその暦と満月が重なったのだとネットのニュースは言っていた。
SNSのタイムラインはこぞって月の写真で賑わい、あるものはスマホの画質の良さを、あるものは一眼の腕前を自慢し合っていた。
こういう時に、その写真を送りたいと思える相手がいるのは幸せなことだなとも思ったりする。
結局写真が下手すぎて送らなかったけど。
例年その真円状の月を隠しがちな雲も昨日ばかりは身を潜めていた。そして一夜明けた今日も、見事な秋晴れであった。職場の大きすぎる窓からは、夏のそれとは違う、柔らかさを含んだ青空が広がる。こういう時、必ず私の脳裏を過ぎる言葉がある。
「ああ、今日が休みだったらー…」
そう、私は雨女だ。休みの日に限って雨予報。仕事の日に限って快晴。今なら降っていないぞ、さあ今のうちに、と思って玄関を出ると雨が降り始める。もしくは小雨のうちにと思って出掛けると、車を降りる時には豪雨になっている。傘が長年の連れ合いだが、持ってる日に限って降らなかったりするので、仲良くはなれそうにない。
でもごく稀に、この体質に感謝することがある。
昔、好きだった人とデートに出かけた。
晴れ男を自負する彼と会う日はことごとく快晴。毎回雨の心配よりも、熱中症や日焼けの心配をしていた。数人で会う時などは台風の予報を綺麗な青空に書き換えてみせるくらいだった。
そんな彼と会う日に一度だけ土砂降りの日があった。今日ばかりは雨女の私が勝っちゃったね、なんて笑って見せたのも束の間、待ち合わせに着いた彼の手元を見て驚いた。傘は?
そう、彼はあまりの晴れ男ぶりに、文字通り「傘を持たない」人だったのだ。
その日も待ち合わせ場所まで傘を差さずに濡れてきた途中のコンビニで傘を買わない事は彼の晴れ男なりの矜持らしかった。
それにしたってこの雨で?と苦笑いしながら、自然と傘を差し出した。
背の高い彼を大雨からカバーするのは難しい。見かねた彼が持ち手を代わってくれるが、普段傘を差さない彼の手元も辿々しかった。
二人で肩を濡らし、笑い合いながらランチの場所に向かった。
結局彼と会ったのはそれが最後だったし、振り返ってみるとなかなかに手痛い別れ方をしたものだと思う。痛手のない別れなどないのかもしれないけれど。
今でも突然の雨に降られると思い出す。
一本の傘のおかげで偶発的に縮まる距離があることを。
時折触れ合う肩の心地良い緊張感を。
雨に感謝する時があることを。
それでもやっぱり私は、空から降り注ぐ雨粒を仰いでは、ため息をひとつついてしまうのだった。
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