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わきまえなければ、愛されなかった

少し前に話題になった元首相の発言からジェンダー論が各界から出ている。元首相の発言を非難する女性たちのどの意見にも「もっともだ」と思う自分がいながら、なぜかその論調に乗れない自分がいた。どうしてだろうと、しばらくこの問題に触れるたびに揺れる自分の心を見つめつつ、そのままにしていた。

ふと、出てきた言葉がある。「わきまえなければ、愛されなかった」という言葉だ。

私の父はよく「女は愛嬌」と言っていた。祖母にはよく「笑ったら損するみたいな顔をしている」と言われていた。母は「生意気なこと言ってお父さんを怒らせないで」という。「笑顔」と「大和撫子的であれ」という期待を幼い頃から求められていたが、私は苦手だった。

親戚が集まると、「男の席」と「女の席」を祖母は作る。私は従兄弟たちの中で成績が一番だったけれど褒められたことがない。「成績がいいことを、みんなに言うんじゃないよ。自慢しちゃいけないよ」といつも祖母に口止めされていた。そのくせ、サッカーで勝ったり、ソフトボールの部長になったいとこはみんなの前で拍手されて褒められる。作文が選ばれて学校の文集にのったことも、全校生徒の前で読んだことも、すべて伏せられた私は当然、面白くない。それでみんなが盛り上がっている何かの話題に、ちょっと自分の知識をひけらかしたりするとあとでこっぴどく母に叱られた。

でも私はめげなかった。戦った。「今両親が求めている女性像は古い。今はそんな時代じゃない」そんな文献はあの頃だってうなるほどあった。私はそれらを読み漁って大人たちを論破しようと躍起になった。でも、無駄だった。何を言っても通じなかった。

やがて私は「わきまえる」ようになった。両親の前でも親戚の前でも。演じたのだ。外の場所でシナリオという場所を得た私は、そこで少しずつ自分を開き、本当の自分をさらけ出すと非難してくる人たちの前では「わきまえた女子」を演じていた。その方が平和だったし、何より両親の機嫌が良かった。親戚のウケも確実に良くなった。

父をはじめとする昔気質な家父長制度を支えていたのは、同類の男性たちだけじゃない。女性たちもだ。その構図が子供の頃から嫌いだった。だから一人で戦う羽目になったのだけれど、ことごとく力でねじ伏せられてある意味、私はそういう人たちを下に見ていた。「この人たちには何を言っても無駄」「早く、外に出よう」そう思っていた。

とはいえ家族というのは捨てがたい。普通より自立が遅かったのは、家族の変化への期待を捨てきれず、中途半端な反抗を繰り返していたからだとそこは反省している。

某元首相の炎上を見ていて、私の気持ちが「そうだそうだ!」と盛り上がらなかったのは、そういう論議に自分自身がすでに疲れ果てていたからだと思う。発言への非難も、それを庇う言葉も「ああ、言ったことある。言われたことある。あるあるあるある……。もう、いいよ……」論議に疲れ果てていて、そのニュースを見るだけでうんざりした。そこはもう、私の主戦場じゃない。とっくに、脱走してしまった。

でも今、その問題が活発になっていると、蓋をしていた何かがうずく。「女のくせに」「女は愛嬌だ」と言われて、経済的に無力で唇を噛み締め、求められた「良い子」を演じるしかなかった私が、私を見つめている。

「今よ、今。言いたいことを、言ったら?今なら伝わるかもしれないよ」あの時伝えたかった人たちには、今も伝わらないだろう。でも別の味方が現れるかもしれないよ、と。

それでもなかなか口を開けない理由が、過去を思い出してわかった。問題はああいう親父たちにもあるけれど、むしろ「私たちと同じ苦労をしろ」と後輩に強いてきた女性側にもかなり大きな問題が潜んでいるのではないか、と思っているからだ。私が小さな世界で戦っていた頃、こっそり庇ってくれる人はいなかった。むしろ、嫌がられた。蓋をしたものを何故わざわざ開けるのか?お前が余計なことを言わなければ、丸くおさまるのに、また余計なことを言って。と私を責めるのは、いつも女性たちだった。

私は、女を馬鹿にする男も嫌いだけれど、これから大人の女性になる少女に向かってそんな処世術を訳知り顔で諭す女も嫌いだ。彼女たちの言葉は、確実に私の翼を、何度ももいだ。

「私たちと同じような想いを味合わないで」と闘ってくれた先輩たちがいる。心から尊敬している。戦わなかった人たちもいる。仕方ない、と思う。でも、戦わず、さらに、自分と同じ生き方を後輩たちに強いた女性たちには怒りを感じてしまう。だからこの件に関して、声高に何かを言いづらいのだと気づいた。

そもそも、祖母も母も決して「わきまえた女」ではなかった。祖母は、戦争から帰ってきた祖父を(今思えば祖父は戦争後遺症でかなり精神的に参っていたのではないかと思うが)働かないからと追い出し、シングルマザーとなって会社を起こして4人の子供を育て上げつつ、自身も浪費家だったので借金もすごかった。

母は、一見良妻賢母風で「わきまえた女」に見えるけれど、あまり忍耐できない性格で溜まり溜まって親戚や社員さんたちの前で逆ギレしたのを何度かみている。それに、感情が昂ったときに手が早い。そして相手は女性、つまり私に限っていた。弟は一度も手をあげられたことがない。あの頃は気づかなかったけれど、これって女性による女性差別じゃないだろうか。

父の余命がわかった時、母に言われた。「孫を産んだのがあなたの最大の親孝行ね」と。涙ぐんでいたから、嫌味で言ったのではないことはわかっている。それでも、そこになんとも言えないわだかまりを感じずにはいられなかった。上の子は当時8歳。つまり、8年前に産んだ。私と父の付き合いは、50年近い。子供を産む前の時間の方がずっとずっと長いのに、最大の親孝行が、それ?

いやいやいやいや、違うでしょう。もっと、たくさん、たくさん……!あるでしょう!そう言ったら、どんな言い訳が返ってくるか想像つく。傷つくだけだ、ということも経験が教えてくれているので、母に言うことはないけど。

祖母も母も、あまり幸せではなかったのかもしれない。「こんなはずじゃなかった」と思いながら、子供を育て「自分のような失敗はするな」という思いで「わきまえろ」と言っていたのかもしれない。それは、彼女たち自身がやはり親たちからそう言われ、それを守れなかったからこその行為かもしれない。残念ながら、それは負の連鎖だ。

悲しいけれど、そういう連鎖が今でも、そこかしこで見ることができる。「可愛い方が得」とモテキャラファッションに身を包み、自分を「可愛く」見せて愛嬌を振りまく女性たち。彼女たちも、上の世代に「可愛くあれ」と教えられ、男性たちの作った社会で生き伸びる方法として、自ら進んで「わきまえた女」を自分の本質だと信じているのだろうか。それとも、世間の流れを見て「わきまえた方が得」と逆襲を計画しながら、演じているのだろうか。

私は言いたい。わきまえて、可愛くしても幸せは手に入らない。幸せは、覚悟して、本当に望むものに手を伸ばした人間のもとにしかやってこない。自分以外の誰かの「あるべき理想」を叶えて、抱え切れないほどの花束をもらえたとしても、それは一瞬。花はいつか枯れる。

女性だろうと男性だろうと、幸せは、掴むものではない。もらうものでもない。創るものなのだ。


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昌子仁香
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