アンズ飴 その11
下北沢駅から歩いて30分の少し遠い場所に劇場はあった。昭和の経済成長期に建てられたビルを劇場に改装したモノのなのか、表からみる劇場は、中で芝居を遣っているようにはみえなかった。ビルの中は役者が舞台になっているではなく、会社員が働いている事務所が入っていてるように見えて、最初は中に入るのも躊躇われた。玄関を入ると廊下になっていて、公演を見に来た人達がずらりと並んでいた。
先頭の前に受付があり、受付には男女一人づつ居た。男の人は立って対応している。横で女の人は座ってチケットをもぎって渡し、お金を受け取って手提げ金庫に入れてたりしているようだ。受付を待っていた人は10人くらいで、15分、20分くらいしたら僕の番になった。
「あの、○○○○(彼女の本名)さんの知り合いなんです。****と言います。チケット一枚良いですか?」
「○○さんのお知り合い?」
受付の男性は見た目からするとすでに40才くらいはいっているだうが、しゃべり方はハキハキとして、声は十代の学生のように若わかしかった。きっとこの男の人もあとで舞台に立つのかもしれない。
「はい。初出演だから見に来ないかと誘われまして…」
「そうなの。…聞いてないけど。でも○○さんの知り合いなんだね。確かに初舞台だから彼女。チケット一枚で良いの? 友達と一緒に来ているってことはないかな。チケットならまだ余裕があるけど」
「いいえ。僕一人です」
隣の女の人は20代後半くらいの、”彼女”ほどではないがキレイな顔をした人だったから、女の人も舞台に立つのかもしれない。3500円を女の人に渡すと、チケットをもぎって渡してくれた。そのもぎりの女の人の説明では、いったんエレベーターで3階まで上がり、エレベーターホールにいる劇団の誘導係にチケットも見せて劇場の中に入るらしい。言われたとおりエレベーターで三階まで上がり、三階のホールでお客を待っている誘導係に女の子にチケットを見せて、会社や学校などで見かけるパーティションの両開きのドアを一方だけ開け劇場と称する中に入った。劇場はビルの三階の天井、四階を床をぶち抜きワンフロアにしたようで、想像と違い天井が思いのほか高かった。座席は100人から150人が座れるだろう。舞台に向かって縦長で、横列10席から12席、10列または12列くらい折りたたみイスを並べられる大きさだ。今日は11席10列並べてあった。仮四階まであるので、ステージは客席から1メートルくらい高い場所にあり、照明もステージの天井からぶら下がっているが狭苦しさ息苦しさは見たかんじ感じられない。ステージの大きさは10メートル四方にステージ袖が1~2メートルあるようで、少し狭いと思った。今日の芝居に総勢で何人出演するのか分からないが、それなりに出演するのなら、隠れて番を待っている場所も必要だろうし、場面転換をするなら、今見える桜の木の書き割りの他にも、何枚か書き割り、大道具小道具を置いとく場所も必要だと思う。そうなら、書き割りの後ろも、舞台の左右の横も意外と広くあるのかもしれない。
席は特に指定席というわけではなく、来場してきた順に好きな場所の折りたたみイスに座って、開演を待つようになるらしい。とうぜん席は最前列から埋まっていて、僕が入った頃には会場の席の三分の二はすでに誰かが座っていた。名前も聞いたことがない劇団でも、100人ちかいお客が来るということは、人気があるのか、リピーターが多い劇団のなのか、親戚友人が多い劇団員が多数在籍して努力の結果なのか、と考えた。
肝心の芝居【南風吹く山ノ手のアテナはその日に転んだ】 はというと、小(笑)劇場的な芝居で、一昔二昔前のワハハ○舗、東京○ンシャイン○ーイズのようなコメディ色の強いものだった。彼女は芝居の途中になぜか、アテナにマッチを買ってくれとせがむマッチ売りの少女、携帯カイロを買ってくれとせがむカイロ売りの少女、リアカーを牽きながら焼き芋を買ってくれとせがむ万印の石焼き芋屋などになりちょっとづつ三回舞台に立った。あれは笑うところだったのだろうか。シュールですらなく。アテナとの関係性、暖かい街で温かい物を売る、深く考えてしまう、不思議な役柄だった。
90数分の上演時間を見終わっての総評としては、学生たちがアイデアを持ち寄ってシナリオを作っただろう、素人演劇に毛が何本か生えたような出来と思った。ニホンザルかやっとクロマニヨン人になったか、ネアンデルタール人になったかという感じのもの。演技に関しては、普通の二十代男女が大声を出したり、裏声を出したり、跳んだり跳ねたりしているだけの感じだろうか。普通の存在が一番難しいと言われれば、普通を維持し続けている団員たちは全員凄いのかもしれない。別の意味で凄いのは、顔も芝居の様子も何もかもが、見終わったあと残らず、エレベーターで一階受付に下りた時には記憶にも残っていないことだった。
一階受付には始めに会った男女のうち女の人だけが居て、男の人に変わり60代の年配の女の人が居た。今度は二人とも立って応対していた。
僕は最初からいる女の人に声をかけた。
「あのー、○○○○さんは…。挨拶をして帰ろうと思って…」
「あー、さっきの……」
「はい。来るときに○○○○さんの名前を出した、****です」
「さっきはご免ね。○○さんに聞いたら、**さんのこと知ってたわ」
それは知ってるだろう。知らない関係でなかったんだから。彼女の連絡ミスか、彼女が先日は電話であー言ったが劇団関係者に僕のことを知らせてなかっただけだろう。おそらく後者だとおもうが。
「いま、別の方への挨拶もあって。彼女、うちの▽▽▽▽さんが見つけてきたお気に入りでさ。彼の関係者に一緒に挨拶に回ってるんだ」
「じゃあ、伝言だけ……」
「まって。そう言わずに、彼女すごく会いたがってたから」
「それでも、彼女、疲れてるだろうし。二言、三言の「元気?」「どう?」「楽しくやってるみたいだね」くらいですので…」
▽▽さんが新しいカレシだろうし。その彼と一緒に挨拶をしているてことは、彼女と共に▽▽さんも付いてくるということだろう。
正直面倒くさい。
「今日の芝居どうでした?」
間を埋めるためか、女の子が僕に聞いてきた。
「そうですねぇ…。楽しめました……、はい」
「…………」
僕のかえしは期待外れだったらしい。
「彼女の役柄は、何なんです?」
疑問を直接ぶつけることで、興味を持って観ていたと繕ってみた。
「○○さんの役ね。んー、特に意味はないのよ。▽▽さんが○○さんのために今回の芝居の中に作っただけだから」
「あーそうですか。▽▽さんは脚本を書かれる人だったんですか?」
「脚本を書く人ではないわ。シナリオと演出は別に居るし、座長も別の人。▽▽さんは創立メンバーの一人だから…、演出プランにも口を出せるってことなのね…、とにかく偉い人なのよ」
▽▽さんははっきりと言いたくない、圧力を持っている男の人らしい。
今日の芝居を観に来た人のほとんどが帰ったようだ。受付には僕だけが立って待っている。
出演者と関係者とおぼしき人達の笑い声が上の階から時どき聞こえる。
「ちょっと遅いねー」
女の人が僕に同情して言った。彼女に連絡はいったんだろうか。60代の女の人の姿がいつの間にか見えないので、年配の女の人が彼女に知らせにいってくれたのかもしれない。
「もう帰ってもいいと思いますけどね」受付に残っている女の人に、僕は笑顔で言った。
「そ、そうねぇ…、じゃあ伝言だけ貰っておいて、○○さんからは電話を差し上げるように伝えるということで…」
女の人はエレベーターの方を見て、いまにエレベーターが一階に下りてきて役目を解放してくれるのを期待しているようだった。
「今日は楽しかったです。また機会があったら芝居を観に来たいと思います。その時は久しぶりに会いましょう。と、言っておいてくれますか」
女の人が僕を引き留めて置こうというのを無視するように、スラスラと彼女への伝言を言った。そして、さようならと頭を下げてビルを素早く出た。
つもりだった、が。ビルを出て10メートルも下北沢の駅に向かって歩かないうちに、呼び止められた。ビルから受付の女の人が道まで出てきていた。
「**さん! 待ってください。○○さんと▽▽さんが下りて来ました」
女の人の顔は必死で、先生に怒られないように怯える生徒のようだった。
僕は足を止めて振り向き、頷いた。
「**さん。▽▽さんが挨拶だけでもと言ってます」
「……分かりました」もう一度頷いた。
(つづく)
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