肝試し そのあと
一週間が経ち山田豊臣と柳瀬幸輔が学校に帰ってきた。正確にいえば、あのビルでの肝試しの夜から一週間ぶりに二人は登校してきた。
幸輔は元気だった。豊臣は少し疲れていてまだ体力が戻っていない感じだ。さっそく義隆を中心に益男と秀嗣は豊臣と幸輔を囲み、あの夜に豊臣と幸輔に何があったのかを聞いた。
まず豊臣の話しでは、神隠しにあった気分らしい。義隆、秀嗣、益男、凱了と別れて各々の目の前の部屋に入った。そこまでは覚えていると言った。部屋に入って直ぐに豊臣は目眩を起こし気を失ったらしい。そして気がつけば病院のベッドの上に居たそうだ。腕には点滴の針が刺さっていて、動かないように毛布で厳重に包まれていた、と。
豊臣が気を失ったあとの話しは幸輔がしてくれた。誰かが七階の弁護士事務所に上がってきた夜の出来事は、整理するとこんな話しだった。幸輔は、あの鍵の閉まった部屋の隣の部屋の床に倒れていたのを幸輔が発見した。不気味な誰かに見つからないように声を出さずに豊臣を起こそうとした。身体を揺すったり頬を叩いたりしたが豊臣は目を覚まなかった。そうこうするうちに誰かは弁護士事務所に入って来てしまった。だから義隆たちを呼ぶことも出来ずに、暗い部屋の中で息を殺して豊臣に覆い被さるようにして動かなかったそうだ。幸輔はミスをしていた。部屋に入るときに暗いながら豊臣が倒れていることに気付き動転して駆け寄ったので、ドアを閉め忘れていた。誰かは、すぐに事務所に入ってくると豊臣が倒れている部屋に来たらしい。六十代の路上生活と思われる男だった。あとで姿をはっきり見たので間違いとか。その六十代の男は最初部屋の前で黙って立っていたそうだ。(たぶんそのころ義隆を先頭に秀嗣たちは事務所の外に出ていて、六階に階段で下りていたと思う)部屋に入って来て、豊臣の側で小さく固まっている幸輔に、静かに嗄れた声で「ガキが、どうして、入った!?」と言ったそうだ。と、階段をドタドタと下りる複数の音が男にも幸輔にも聞こえたそうだ。部屋は暗かったが男の顔から血の気が引くのを分かるくらい男はアワアワとなったそうだ。緊張しながらも男の反応を幸輔は見ていた。「仲間が居るのか?」と聞かれたから、幸輔は素直に頷いた。男は息を止めて様子を見ていた、その時間は三十分くらい。「俺も、このビルに不法侵入しているから見つかりたくない。仲間が諦めて帰るまで一緒にいて貰うからな」と言ったそうだ。男は折刃型の大きなカッターを持っていて、幸輔に見せたらしい。なんなら寝ている豊臣も目を覚ますことなく切り刻むと脅してきた。幸輔は男の言うことを聞かないと成らないと諦めたそうだ。「何が目的で、この場所に入った?」と聞かれたので、「肝試しをしに来た」と怖ごわ答えたら、ふーんといた感じに男は関心を示さなかったらしい。泥棒に入ったんじゃねぇんだな、とぼっそっと言ったとか。「ドアが錆び付いて開かなかったはずだがどうやって事務所に入ってきた?」と問われたので、事務所の階段に近い隅の部屋のパーティションが壊れていて、子供力でも押せば隙間ができ入れたのだと説明したら、また「ふーん」と言った。
二時間そんな感じで男と、目を覚まさない豊臣と、幸輔は部屋で息を潜めていたそうだ。二時間経った頃、幸輔は思い出しLINEを男に断って見たそうだ。一番新しいメッセージには「どこに居る? 連絡すぐにくれ。一旦家に帰るが、助けがいるなら直ぐに駆けつける」と義隆からのメッセージが、零時三十分にあった。その前の時間から、LINEのメッセージが五分おきくらいに、着信電話が十五分おきくらいに何度もあったのわかった。
「たぶん友達は帰ったと思う。ビルから帰してくれ」と頼んだら、男は素直に聞き入れてくれた。目覚めない豊臣を一階まで、ビルの外、江戸通りの所まで抱えて運んでくれた。豊臣を下ろしたところで、男のことは絶対他言無用でいること、もうビルに戻って来ないことを約束さえられて解放されたそうだ。そこで119番で救急車を呼び、同時に豊臣のお母さんに電話して助けを呼んだそうだ。豊臣のお母さんとお父さんはもう少しで交番に行き、迷子の届けをする所だったらしい。救急車のほうが早く着いたが、病院はなかなか見つからなかったので、豊臣のお母さんとお父さんは間に合った。そして連れ帰るとお父さんがいったが、豊臣がまったく目覚めないのを救急隊員から指摘され、脳の検査を含めた検査をすることに納得して、病院に一旦行くことになった。幸輔は、そこまでで帰された。
そのあと、豊臣が目覚め、両親から聞いた話しによると、脳を含めて身体は何も問題が無かったそうだ。ただ病院のベッドでも朝まで目覚めなかったようだ。「気絶するほど、そんなに眠かったのか」と冗談交じりで父親から言われた。「一日二日入院して様子を見た方がいいと(医者の)先生が言っていた」というので次ぎの日の昼まで入院してたそうだ。そのあとも豊臣の具合は以前の状態に戻らなかったので一週間家で休養を取っていたそうだ。
幸輔の方も、緊張から解放されたからか、またはビルの空気が悪かったからか、熱と咳が一週間止まらなかったので一週間休んだ。連絡をして来なかったのは、二人ともスマホを取り上げられていたのと、天野先生には事情が通じていて全員の許しと引き換えに、登校するまで義隆や秀嗣、益男、凱了の誰にも連絡をしないことと約束さえられていたからだとか。
しかし結局、豊臣と幸輔が登校してきた日の放課後に、六人は職員室の呼び出され、一組担任の天野先生、三組担任の本田先生(鐘岡凱了は五年三組だから)にこっぴどく怒られた。危うく六人は停学処分になるところだった。だが、元准陸尉の幸輔のお父さんが東神田小にわざわざ出向いてきて、「幸輔のバカに付き合わせてしまった子供たちを許してやってくれ」とお願いされたので、許された。
幸輔のお父さんは十二年の従軍して奉仕した、防衛大学校出身ではな者、として経験によって士官待遇にまで上り詰めた英雄だ。千島列島警備、樺太警備、カムチャッカ警備でどんな経験をしたか幸輔にも多くを語らないらしいが、准陸尉にまで成ったのだから戦闘を何度か経験し、命と死の背中合わせを生き抜いただろうと、秀嗣は父ちゃんから以前に聞いた。
ついでに言えば、同じ五年一組の山崎芙巳子の父ちゃんは元一等陸尉で、さらに偉いそうだ。一等陸尉という位は防衛大学校出身の幹部候補だっただろうと、このことも秀嗣は父ちゃんから前に教えてもらった。
芙巳子の父ちゃんは家から出ない人なので、秀嗣は会ったことがない。
ともかく、幸輔のお父さんのお陰で六人は停学を免れ、助かった。
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