シリアルキラーが女を愛するわけ 15
次の日の朝から「鑑とり」班が二子玉川に投入された。
殿山、白木も二子玉川に入った。昨日までと引き続きアパートを捜索する旨を吉岡係長に言って許可をもらった。ただし、男のモンタージュと一緒に被害女性のモンタージュも持って、聞き込みをするように注文が付いた。
「二子玉川にアパート借りている可能性があると考えていますか?」不動産や目指しながら歩いている途中、白木が話しかけてきた。
「被害女性の場合はあるかもしれない。部屋が突き止められれば、女性の身元は判明するだろう」殿山は答えたが、白木は疑問がある顔だった。
「何かあるのか? 女性が二子玉川に暮らしていないかもしれないと思うところが」
「ここは東京でも、以外と家賃が高い場所なんです。新婚の夫婦とかに人気がある場所で、女性が何の仕事をしていた分かりませんが、一人暮らししたいと考えて住む場所ではないと思います」
「親がお金持ちかもしれない。今まで考えなかったが、多額の援助を受けていたかもしれないじゃないか」
「たしかに、昨日の夜の会議の続きですが、援助交際をしてお金を得ていたより親からの援助の方がしっくりきます」
午前中、十五軒の不動産屋に聞き込みをした。アパートとマンションなどで、二、三日連絡が取れない二十代前半くらいの女性がいないか、女性のモンタージュを見せながら聞いた。どの不動産屋の管理責任者も、分からないと首を横に振った。
午後からは実際にアパートも巡って、アパートの管理人に女性のモンタージュを見せて聞き込みをすることに切り替えることにした。
自由が丘、上野毛方面ではなく、砧公園に向かって不動産屋を巡っていたので住宅地を歩いていた。適当なランチの場所が見るからなかった。岡本公園民家園の近くまで進むと、民家園の緑と並ぶように大きな庭の有る蕎麦屋が見つかった。店の内装も田舎蕎麦屋風で、神田や日本橋の蕎麦屋とは違って心和む感じがする。二人とも店主の薦めで鴨南蛮を頼んだ。何でも鴨肉はフランス産らしい。蕎麦は店主の打ち立て切り立てだ。
「そろそろ私たちも何かしら成果を上げたいですね」出された温かい焙じ茶を静かに啜りながら白木が言った。
「焦りは禁物だよ。まだ一週間経ってない。一ヶ月何もなく手ぶらというなら、吉岡係長の期待を裏切ったと、どやされるだろうけどね」
「焦りますよ。被害女性の名前すら分かっていないんですから」
鴨南蛮が意外と早くテーブルにきた。打ち立て切り立てという割に、料理の出来上がりが早いのは刑事としては助かる。
一度に高く蕎麦を持ち上げ、フーフーしている白木を見るとなぜか親心のようなものを彼女へ殿山は感じる。
「考えたんですが、被害者は男と事件当日お酒を飲んだのなら、二子玉川のどこかのバーか居酒屋で一緒に飲んだじゃないですか」白木は蕎麦が熱くてまだ食べられずにいる。
「そうだな。吉岡係長も「鑑とり」班の一部をそこへ回してる」鴨肉は四枚入っている。一枚を口に含むとジワリと鴨の脂が旨味と共にあふれた。
「決まった居酒屋があったのなら、被害者と犯人の人となりが分かって一石二鳥なんですけどね」やっと蕎麦をスルスルと食べ、美味しいと白木は笑顔を殿山に見せる。殿山も鴨肉に続きソバを啜った。蕎麦の爽快な風味が口の中に広がり上手い。
「覚醒剤を一グラムも持っているってことは、男は元もとジャンキーだったんでしょうか。それとも身近に中毒者、売人がいるんでしょうか」今度は鴨肉を口をとがらせて吹いている白木は、その仕草まで可愛く見える。
「少なくともクスリが身近にある男だろう。そして覚醒剤と注射器が容易に手に入る」
「市場価格五万はしますよ。それを殺しに使ったといえ、他人(ひと)に使ってもったいないと思わなかったんですかね。私たちの常識では理解できない心理です」
「捨てるのはもったいない。しかし処分したいという心理かもしれない。…でも、それだと矛盾するか」
「何がですか?」
「殺害のためにわざわざ覚醒剤を選んだんじゃないかという私の推理と」
「あぁ…矛盾しますね。主任の説を採るとして、疑問が湧きます。男はまだ覚醒剤を殺すために持っているんでしょうか?」
「持っているかもしれない。他にもクスリを持っているかもしれない。別の毒を用意しているかもしれない」
「毒殺に拘りますかね」
「毒殺の拘らないかもしれない。ただ、被害女性一人で終わらない気がする。だから証拠を消していったんだと思う」
白木の蕎麦も食べられるくらいに冷めたのか、彼女は黙って鴨南蛮を食べた。
事件発生から一ヶ月が経った。未だに被害女性の身元と犯人の男の姿が様として分からなかった。
誰もが中延三丁目の殺害事件が暗礁に乗り上げ感じがして、毎日の捜査もマンネリを感じ始めていた時に新たな殺害事件の報が入った。場所は大森北三丁目。京浜東北線大森駅から京急本線平和島駅の間にある。大森北三丁目にあるこれまたいつ解体して更地にしてもいいようなボロボロの空き家の中で十代と思われる男性が、またもや殺された後に男性器を切り取られていた。死後三十日以上経っていると検視担当者は言った。つまり中延の女性の殺害と前後して殺人が行われていたことになる。十代男性が先か、二十代女性が先かは検死解剖しただけでは分からないと言うことだった。一週間以内に二件の殺人を行ったと推定された。短い間隔での連続殺人は、犯人の焦りなのか。余裕なのか意見が分かれた。しかし、この男性も身元を示す物が、中延の被害女性と同じように全て持ち去られていた。また人相と着ている物から捜索しないとならない。「物とり」班は捜査員は捜索物が増えて、かなりナーバスになっていた。
荏原署と同じように大森署にも捜査本部設置された。警視庁捜査一課は引き続き第八係が二つの事件を担当するを立花課長から言い渡された。しかし、殺害事件が二件に止まっていればという条件で。もし殺害事件が三件、四件と広がって行くようなら現在の表番十係、次の表番十一係に応援させると言われた。
空き家の中に被害男性の遺体を発見した大森海岸交番に殿山と白木は、殺害現場からの帰りに寄った。
当然、交番の中は巡査が一人しか残っていなかった。その巡査もまだ春に警察学校を卒業したばかりの若い巡査だった。彼は春原といった。
「春原巡査は、よくあの空き家の周りを巡回するのか」殿山が聞いた。
「はい。三交代制ですが、私も毎日自転車で管轄内を見回っています」初々しく春原は答えた。
「空き家の戸締まりなども一日一回は確かめるのかな」
「いいえ、戸締まりまでは調べません。目視です。しかし、一週間に一度くらいの頻度で、戸の鍵は手で確認しますし、庭のような場所まで不法侵入に成らない程度には覗いて危険がないか調べます。泥棒や今回のような殺人事件も心配ですが、放火を一番心配していますので」
「では空き家の中までは調べない訳だな。とすると、最近あの空き家の中から臭いがすると感じなかったのか。また変な臭いがすると近所から苦情が出てはいなかったのか」
「臭いは特に気にとめて居ませんでした。空き家なのでカビ臭いとかほこり臭いと、獣の臭いが臭いとか野良猫が多く居ますから、などがありました特には。近所からの苦情も無かったと思います」
「浮浪者や寝泊まりするとか、子供たちがあの空き家で悪さをするとかも以前に無かったのかしら」白木が聞くと、春原は白木の方に身体を向けた。そして、ハッと息を飲んだようだった。白木も殿山の慣れているので流した。
「はっ…、いいえ。何も有りませんでした。近頃の浮浪者も、火事を心配して人の目があるのを分かっているので、大雨の日や大雪の日にどうしても一泊するということでもない限り、空き家の中に入ろうとはしないようです」
「何か気になったことはないだろうか? あの空き家を巡回していて」
「そうですねぇー……、最近、オレオレ詐欺や特殊詐欺の受け子が、直接被害者の老人宅に出向いて行くというのが多いんですが、それも有って見守っていると怪しい男がうろうろしている気がします」殿山は男のモンタージュを春原に見せた。
春原巡査はモンタージュの男の顔を見た瞬間から顔色が変わった。どうした? 殿山が聞いたら、「はい…」と言って、
「確かかと言われれば自信はありませんが、この男に大森北三丁目の付近で、午後七時頃職務質問した気がします」
「職務質問したのなら、この男の顔を間近で見たの?」と白木が驚いた。
「顔は曖昧にしか覚えていないんですが、とても生臭かったのを覚えてます」
「生臭いとは、生肉のような? 生魚が腐ったような?」
「はい、そうです。血生臭かったです。確か、犬にやるホルモンを知り合いの焼き肉屋から貰ってきたとか。ジップロックとかしてもらえばよかったのに、ビニール袋に入れて持ち帰るところだったとか。注意したら何度もペコペコと頭を下げて大森駅の方へ行きました」
「一月も前のはずだけど覚えているの?」と白木はますます驚いた。
「はい。忘れられないほど臭かったので」春原はまだ臭いが残っているというふうに鼻に皺寄せた。
「その男は、酒に酔ってる風だったとか、クスリでハイだとかローだとかに見えたか?」殿山は、男がクスリやアルコールで被害女性や被害男性に近づいていると考えている。本人はクスリやアルコールを遣っているのか確かめたかった。
「いいえ。クスリでラリっているとか、アルコールで酔っているという感じではありませんでした。普通だった気がします。クスリを疑ったのなら大森署に連行したはずです」
そうだね、と殿山は答えた。しかし、男がクスリやアルコールを二十代の被害者二人に与えているはず。少なくとも、覚醒剤もアルコールも事前に用意しているのかもしれない。男自身はもしかして、酒も煙草もクスリもやらない人間なのかもしれない。都内では路上喫煙も二千円の罰金が取られる。また若者の煙草離れアルコール離れが顕著だとも聞く。男のターゲットが少し自堕落な少女、少年だとしたら、男の連続殺人は捕まるまで止まらないかもしれない。クスリやアルコールと交換に身体の取引があったとしたら、実際に関係はなくても、男がわざと持ちかけて、身体を自由にしても良いと答えた若者を殺し、戒めとして性器を切り取っているとしたら、それを男は正義と考えているとしたら。そう考えるの考えすぎだろうか。
春原巡査にお礼を言って、殿山と白木は大森署に向かった。大森署の捜査本部に吉岡係長が移動したと連絡が春原巡査の聞き込みの途中であったので。
大森署の捜査本部がある6階の講堂に上がると、まだ机やイス、パソコン、ホワイトボードなどの備えが揃っていず、若い巡査が階段を持ち上げて混んでいた。
吉岡は講堂の大きなテーブルに大森署管内の地図を広げて睨んでいた。殿山と白木が側まで寄ってもまだ気づかなかった。
「係長」殿山が声を掛けると初めて顔を上げた。吉岡の顔は怖いくらいに厳しかった。
「来たか。俺は、これからしばらくは荏原署と大森署を日に何度か行き来する」
「はい」
「今日の午後の会議は大森署で行う。荏原署の刑事も来る。明日からは自分の所轄に戻るが、捜査一課八係は大森署に移る。朝の会議も夜の会議もここになる」
「はい」
「おれは朝の会議は荏原署で行い、夜は大森署に来る。朝の大森署の全体会議の司会は大森署の刑事部長の竹山が行う。連絡は全て俺にしてくれれば良い」
「はい」
「何か質問はあるか?」吉岡は充血した目で殿山と白木を順に見た。
「係長。大森の被害者男性は覚醒剤反応は出ましたか?」
「確かなことは分からないが、簡易には覚醒剤反応が髪から出たそうだ」
「やはり、死後直前の一回限りのものですか」
「うん。確かではないが、どうもそうらしい」
犯人は今回も覚醒剤で毒殺したようだ。なぜ覚醒剤を使うのだろう。本当に入手しやすいのか。それとも青酸カリなどの毒物は入手できなのか。工場で働いているけども、そのようなケミカルやインダストリアルな仕事に就いてないのだろうか。
「係長もう一つ。被害者男性の身元を示す者は見つかりませんでしたか」
「それなんだが、実は捜索願が出ていたようだ。司法解剖が終わったあとに、被害者の両親が確認することになっている」
「一ヶ月前に捜索願が出ていたんですか?」白木が興奮しながら聞いた。
「捜索願は少年が、十五才の男性らしい、家出をしてから十日後に出したようだ。なので二十日前になる」
「じゃあ、今回は身元が分かりそうですね」
うむ、と吉岡は頷いた。そして殿山は大森駅前交番での聞き込みで得た情報を吉岡に話した。吉岡も興味を示した。
「そう遠くないうちに、犯人も割れるかもしれない。連続殺人になってしまったが、この一件でぐっと犯人逮捕に皮肉だが近づいたのかもしれないな」殿山と白木も頷いた。
被害者男性は覚醒剤で毒殺され、たぶん最初の被害者女性と同じ覚醒剤が使われたと思われる。また性的行為は今回の被害者男性にもなく、ただ男性器だけ死後切り取られていた。アルコールは検出されなかったが、死後一ヶ月経っていることから正確には分からないようだ。殺された以外は健康で、年齢も(両親に確認を取る前だが十三~十五才までと推定され生きていれば中学生と思われる。胃の内容物から死ぬ前にご飯を食べたことが分かり、大森駅周辺の店を捜索することが決まった。
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