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アーモンド・スウィート

 道は続く。北海道まで、鹿児島まで。太陽が昇る場所にも、太陽が沈む場所にも。
 稲垣邦孝は日常という名の鎖を壊し、家族という名の引力によって引っ張られた足も解放して自由になりたかった。勉強が嫌いだった。勉強が好きなどと言うヤツはクソ食らえと思った。優しい言葉で近づいてくるおためごかしのヤツも一目で分かった。学校も嫌いだった。もう自分には学校は必要ないと思っていた。義務教育の九年間で学べる物なんてたかがしれている。中学を卒業した十六歳からの人生のほうが長い。国語算数理科社会英語の五教科がその後の人生にどれくらい役立つというのだ。必要だと答える人間も大学を卒業したあとはまったく五教科は必要なくなるじゃないか。大学だって、卒業証書をだしてベルトコンベアー式に大勢の学生を卒業させてしまうだろう。商売だからな、と思っていた。
 もう五年我慢して学校に通ったじゃないか。あと一年以上も学校に通うなんて耐えられない、と叫びたい思いでいた。
 邦孝の父は長距離トラックの運転手をしている。父が羨ましい。父は自由だ。父の長距離トラックは父の現生活であり、今までの人生の全てだ。母と邦孝と弟と弟、四人の扶養家族がいる。もしかしたら港々に女が居ると演歌で歌われているように、愛人が日本全国にいるかもしれない。その女の人には父との間の子供がいるかもしれない。邦孝とは腹違いの兄弟になるな。しかし父はなにものにも縛られず自由だ。父が長距離トラックの運転手になる夢を持ったのは中学二年生の冬だったそうだ。父は思った、もうおれに学校の勉強は必要ないと。そして高校には最初進まなかったらしい。中卒で運送会社に入ったが、その会社の社長さんと奥さんから高校くらいは卒業しなさいと言われ、それに大型免許は二十一歳からの取得になるから十分に高校くらいは出られると説得され、三年間は助手席で運転手の手伝いをして十八歳からは普通免許をとった。積載量五トンまでのトラックを運転して、主に宅配便のような仕事や食材を小売店に配送する仕事を経験して、二十一歳に念願の大型免許を直ぐに取った。そのお世話になった会社のは全国を走る回るような輸送の仕事がなかったので、全国を走る配送の仕事がある会社に紹介して貰って移り、長距離トラックの運転手になった。
 父は中二だったが邦孝は小五で目覚めた。もう自分の未来が見えている。早く学校を出て、この街も出て、自由に生きたい。父は二十一歳まで会社で働いたが、真面目な性格は尊敬する、自分は旅にでようと思う。日本を見て回ったら、次は世界を見て回る。
 陽が昇る方に向かって、邦孝は歩き出した。学校に向かう生徒、会社に向かう大人に逆らうように歩いた。歩けば邦孝の世界があり、未来が待っている。九年から十年あれば世界を巡り、見たいと思った物は全部見られるだろう。今日こそ町を出てやる。今日こそ輝かしい場所に行ってやる。
 昨日までの挫折ばかりの自分とはサヨナラして、と胸を高鳴らせ邦孝は歩いていた。

 夕方にはまた……何十度目かの挫折があったけども。

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