シリアルキラーが女を愛するわけ 7
被害者の身元が分からないこともあり、犯人の痕跡がげそ痕しかないこともあり、二人が歩いてきた想定で警察犬が投入された。当然犯人が空き家まで自分の車やオートバイに被害者を乗せて移動してきたことは想定された。しかしなにより手がかりが少ない、初動捜査を充実させるために、空き家にめぼしい証拠がないと判断した鑑識班はすぐに警察犬を出動させた。中延の空き家から警察犬は犯人の足の臭いを追って、地下鉄浅草線中延駅の改札まで行った。そのことで犯人は電車で移動したことが推察できた。警察犬の匂いの反応から、犯人は逃走に地下鉄浅草線を使ったと、特捜はさらに予想した。そのことを一日の終わりの合同会議で発表された。合わせて、中延駅の改札からホームのカメラで犯人の特定、地下鉄浅草線全駅のホームの映像の解析するように指示が出された。
地上六階地下二階の荏原署の五階にある大会議室に、今回の『中延三丁目身元不明女性殺人事件』の特捜本部は設置された。午後十時に始まった会議の時点では、女性の身元はまだ分からなかった。ゆえに昼前から捜索をしていた全捜査員の顔には、捜査初日なのにもう疲労感と焦燥感が見て取れた。何人かは会議室に置かれた折りたたみイスに倒れ込むように座ると会議室の天井を見上げてため息をついた。
殿山と門田、白木と法本、服部たちも帰ってきた。本庁八係の捜査員は手を動かし、会議が始まるまで自分専用の手帳に今日の成果、留意点などをメモして待っているか、ノートパソコンで提出書類の作成をもう始めていた。所轄の門田、法本は腕を組んで何もせず、会議室の前方に陣取っている幹部たちを睨むというより品定めをするように見ていた。
吉岡係長の号令で、捜査会議は始まった。
「日毎の地道な捜査が、沢山の手柄を持って帰ってきてくれたと信じている。今日はご苦労さん。君たちが持って帰った成果は会議のあと聞かせてもらう。その前に司法解剖と鑑識から報告が上がっている。その情報を共有することにしよう。では被害者の解剖報告を聞かせてくれ」と張りのある声で吉岡が言って座り直した。荏原署の署長、同署の刑事部長は慣れていないらしく、幾分緊張しているように殿山、白木には見えた。門田、法本は自分たちの上司が緊張している姿を情けなく思っていた。
吉岡のあと、警視庁の司法解剖担当がすぐに立ち上がった。
「被害者は推定二十才から二十五才頃と推定されます。身長は百五十センチ、体重は五十六キロです。生前に妊娠の兆候はなし、またレイプの痕跡もありませんでした。しかし、女性器全体を深さ六十二ミリ、長さ百二十六ミリ、幅百二十ミリの大きさで切り取った痕があります」ここで会議室に居た捜査員から唸るような声が漏れた。
「使われた刃物は鋭利なアーミーナイフまたは包丁のような物と推定されます。被害女性の身体の表面よりトリクロロエチレンが検出、被害女性を損傷させたあとにトリクロロエチレンで拭払したものと考えられます。それと被害者の臀部および太腿裏辺りに三百ミリ大の円形の圧迫痕があり。洗面器か桶のような容器を其所に置いて、性器の損壊をしたものと推測します。切り取られた女性器は、空き家のどこからも発見出来ませんでした。犯人が持ち去ったと考えるのが妥当だと思います」ここでは捜査員全員が息を飲む気配があった。
「もう一つ、被害者の特徴しまして右腕の肘に内側に覚醒剤を注射器で接収した痕がありました。この覚醒剤が被害者の死亡原因と考えられます。その量おそび、成分は現在も検査中です。二、三日中には分かると思います。あと、被害者は覚醒剤に強い拒否反応を示し、注射をされたあと直ぐに胃の内容物を戻した模様です。もう一つ付け加えて血液検査からわかったこで、被害者は血中アルコール度数が0.20%ありました。おそらく被害者一人で立っている歩いている、ことも困難だった可能性があります」そこまで言って解剖担当の刑事は座った。続いて現場空き家を捜索した鑑識班の班長が立ち上がった。
「では鑑識より発表します。先ほど検視担当者からも名前が挙がりましたトリクロロエチレンと灯油とで、玄関の戸および三和土、上がり框、被害者がいました板敷きの廊下などが拭かれた痕がありました。なのですが犯人の物と思われるゲソ痕が一組残されて有りました。場所は三和土と廊下、玄関を出て公道に出るまでの敷地の敷石の上です。サイズは二十六センチ。履き物の裏は激しく摩耗して居る状態と思われます。滑り止めのデザインのような物はほぼありません。私見ですが、雨の日などマンホール、駅のタイルの上を歩くとツルッと滑るかと思います」殿山を含め多くの刑事たちは、犯人は捨ててもイイ使い古しの履き物を準備していたと考えた。またすでに捨てられているだろう事も予想した。
「続きましての報告です。元須田宅は二階建てでありまして、一階は玄関、六畳の居間、六畳の洋室、台所、厠、敷地内に増築されて風呂場となっています。二階には廊下突き当たりの居間の脇の階段から上がり、二階は六畳の和室、四畳半、二畳ほどの物置という間取りになっています。その全てを調べてました結果、一階の居間、洋間、台所、厠、それから階段と二階の全ての場所からは第一発見者の解体業者の複数の足跡が残っていました。簡単な調べですが今日、現場に来ていた作業員、現場監督などのブーツの裏を採取して検証して確認しました。また指紋も階段の手すり階段横の壁、一階の窓ガラス、二階の二部屋の壁、ガラス窓からは指紋も採取され、それも解体業者の全員と照らし合わせ確認をとりました。しかし、一階の遺棄現場と廊下からは、犯人のゲソ痕一組があるだけで他は解体業者の靴跡も指紋も採取出来ませんでした。」またも会議室内の捜査員全員が息を飲む気配がした。
「水道は今日解体される訳ですので当然止まっています。なので台所で水道を使った形跡はありませんでした。最後に、犯人の毛髪は見つかりませんでした。ただし、埃を多数採取しました。解体業者の体皮と須田家家族からも体皮の協力を頂きましたので、選別が終わりましたら犯人の体皮を採取できると思われます。そのあとDNAも検出して後日ご報告したいと思います。この後に警察犬捜査に当たっていた鑑識の者からの報告があります」と鑑識班班長が報告を終わり座った。吉岡係長がうむと頷いた。三十代くらいの警察犬捜査の担当が、鑑識と入れ替わりに立った。
「わしは今日は現場から地下鉄中延駅まで犬を使い捜索しました。それで得ました情報を報告した思います。中延三丁目の現場から一旦は東急大井町線方向に犬が捜索を開始しました。そこから営団地下鉄浅草線中延駅方面に移動しました。そして真っ直ぐに浅草線中延駅の改札まで行きました。犬の反応から、犯人は地下鉄浅草線を利用して逃走したと考えられます。捜索途中に犯人の物とおぼしき物は発見出来ませんでした」と報告して警察犬捜査の捜査員は座った。
「続いて機動捜査隊の方からの報告」と吉岡は言った。機捜の隊長が立ち上がった。
「第二機動捜査隊は通報が入ったあとすぐに中延三丁目の現場に駆けつけ、午前八時十五分までに殺人事件を確認し、直ちに周辺の捜索を開始しました。ですが怪しい人間は発見できませんでした。捜索途中にゴミ集積所、路地などにも目を光らせましたが、血痕が付いた物、被害者の物と思われる遺留品も見つかりませんでした。明日も範囲を広げ捜索したと考えています」と言って機捜の隊長は腰を下ろした。
「その他に、初日の捜査で犯人につながる、被害女性につながる発見をした者は居るか」
手を上げて発言機会を求める者は居なかった。
「では初日の成果は以上だな。はっきり言うぞ。半日の遅れだ。いや一日半の出遅れだ。指紋もありません、ゲソ痕は当てに出来ません、被害者女性の遺留品は一つもありません、だから誰を探して良いのか分かりません。ってお前ら少年探偵団か。颯爽と明智探偵が現れて解決してくれるとも思っているのか」吉岡は会議の始めに捜査員を労っておきながら、最後は声を荒げるというちぐはぐさを見せた。吉岡係長は元々、会議室に冷静に座っているタイプではなく、気持ちの熱い人だと言うことが荏原署の刑事にも伝わったと、白木は思った。この情熱は捜査員を動かす「魔法の水」になる。
「足で探すだけじゃなく、頭もつかえ。明日までには最低でも被害者の身元くらい調べだしてこい。一気に犯人逮捕でも良いんだぞ。被害女性の無念を思ったら今日の三倍働け、良いな。今日分かった事で全捜査員が共有すべき情報は明日の朝までにペラにまとめておく。私からは以上。田中刑事部長、何か?」荏原署の刑事部長は立ち上がらずに一言、「わたしも同じ気持ちです」とマイクを使ってやっと聞こえるくらいの声で答えた。
「では佐藤署長、今日の会議の締めの挨拶と、捜査員への明日の激励をお願いします」と言われ荏原署の佐藤署長が立ち上がり、全捜査員の今日の労いと明日の激励を行った。
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