アーモンド・スウィート
秀嗣の自分の部屋での楽しみは絵を描くことだった。特別絵が上手いわけではない。ただただ描くのが好きなだけ。小学校に上がる前には週刊少年漫画誌の模写をするのが大好きだった。小学校に上がり、一年生から六年生まで全員参加の学校の催し「東神田小学校写生遠足」で北の丸公園に行って、そこで描いた「大きな木のある風景」が美術の村山先生の褒められて嬉しかった。それから漫画の模写を止めて風景画を描くようになった。小学生が風景画? と疑問に思ったり不思議に感じたりする子供、大人も多いかもしれない。しかし風景画を描くようになったのには理由がもう一つあって、秀嗣の父方の祖父は千葉や神奈川の海に行っては浜辺の絵を、あるいは千葉や神奈川の埼玉・東京の秩父にある川に行っては渓谷の絵を、あるいは祖父の故郷秋田、途中の山形、隣の福島、宮城、岩手、青森の山々に行って森や山の絵を写生するのが趣味の人だった。祖父は大掛かりな物から、小さい携帯用まで沢山の写生道具を持っていて、秀嗣に貸してくれた。貸してくれ時は厳しく、壊したり、無くしたりするなと念を押されたが、一度も写生道具を嫌がって貸してくれないことはなかった。祖父はまだ子供の秀嗣と一緒に写生に行くことはなかった。子供だからうるさい、落ち着きがない、すぐに飽きてこらえ性がないと理由を想像して一緒に行くとは言わなかった。自分と一緒に写生旅行に行こうと誘ってもくれなかった。それだから、子供の秀嗣を心配して秀嗣の父が一緒についてきてくれた。父の趣味が魚釣だった。父の釣は下手の横好きで、どちらかと言えば道具をいろいろと揃えるのが楽しい人で、また新しい釣り具で釣をするというのが好きだった。
秀嗣は五年生にもなると祖父の写生道具は邪魔になり、水彩絵の具の道具も、色鉛筆のセットも、クレパスのセット持って行くことがなくなった。もっぱらF2(245×192 でB5版より少し小さいサイズ)のスケッチブックと3B、4Bの鉛筆を持って写生に出かけるようになった。いつの時点か、美術の村山先生に写生した自分の絵を見せれば良かったのかもしれないが、秀嗣が恥ずかしくって一度も見せてはいなかった。というのも、幸か不幸か秀嗣の一つ上に、有名か無名か分からないが画家を父親に持つ女の先輩がいて、その彼女は美術部に入っていて特別待遇だった。もちろんどんな道具で絵を描いても上手かった。先輩には弟が二人居て秀嗣の一つ下に一人、五つ下に一人いた。一つ下の弟くんが漫画を描くのが好きでとても上手かった。シャシャッと漫画の主人公、アニメの登場人物を手本を見なくても書けた。五つ下の弟くんは美術の村山先生が表現するには「お父さまの遺伝子を一番受け継いでいる。将来がとても楽しみ」なんだそうだ。秀嗣の同級生にも絵が上手いヤツが二人居て、一人は五年二組の下世敏行で彼は車や電車、飛行機、戦車などメカニックな対象を丁寧に細かく書いた。もう一人は五年三組の出水玲温(れおん)で、彼はクラスに友達や先生の似顔絵を描くのがとても上手かった。
東神田小にも放課後の部活に美術部、音楽部、考古学(郷土史)部、バスケット部、サッカー部、陸上部があった。考古学部は、説明をすると六年生の担任の三クラスの先生うち二名の先生が社会学に熱心で、一人は遺跡、埋蔵物発掘が趣味で副業として会社にも籍を置いていて、年に数度埋蔵物、遺物発掘の現場に行っている。もう一人の先生は専門が社会地理だとかで、大きく興味を拡げれば地域社会学、小さくみれば郷土史を大学生のことから専門に勉強してきたらしい。この二人の先生が顧問をしている部活である。
話しは美術部に戻って、秀嗣の一つ上の女の先輩は美術部に所属していて、彼女は一人だけ油絵を許されて描いている。主に静物画がという物で、果物や花瓶、村山先生が旅に行った先で買ったお土産(置物)などを、ぼんやりと描いている。秀嗣は先輩の美術科準備室に置いてある絵を不思議な感覚で見ていた。
最近は、リンゴとバナナとブドウ、ガラスのティーポッド、陶器のマグカップが並べられた途中の絵が置いてあり、それを見た。
「油絵を許されている先輩は絵が学校でも一番上手いんだ。なら、この先輩の絵は上手いだ。へーっ……」という感じに、この日も思った。
だいたい秀嗣は絵を描くのは好きだったが、美術の時間に教えられる外国の有名な画家が描いた絵を見るのは頭が痛くなるから好きではなかった。外人の描いた絵は、ぼんやりとして、描いてある対象が平凡でつまらなかった。上野の美術館や(三○や高○屋などの)デパートの展示場に行ってお金を払って本物を見ないとダメと――村山から――言われ、図鑑などでは見る気がしなかった。浮世絵、屏風絵、襖絵も上手いのか下手なのか判断ができないから好きになれず。唯一好きなのが『鳥獣戯画』と、日本一の美女小野小町が死んで土に還るまでを描いたとされる『九相図』と地獄を含めた仏教の教えを描いた『六道図』が、西洋の有名な絵描きの絵にはなくて珍しく、好きだった。
しかし最近、秀嗣はスケッチブックに風景画を描かずに、中嶋彩葉と渡辺珠恵の顔を描いている。ある日は真面目に似顔絵風に、ある日は可愛らしくマンガ風に、ある日は遠足や校外学習のときに学校の写真屋さんが撮った写真を密かに(彩葉と珠恵が写っている写真を)買ってあるのでそれをじっくり見てリアルに描いてみたりしている。
この日も美術科準備室に入り、先輩の絵を覗いてみた。先輩の絵は新しい物になっていた。しかし、まだ木炭か太い鉛筆で書かれた下書きで、対象は同じクラスの女の友達がモデルなのか、空想の子なのか、襟元までフリルがあり、長いスカートには細かいプリーツとリボンとガーリーなドレスを着た女の子が描かれていた。
「いつも、こっそりと私の絵を見ているよね。きみ?」と、秀嗣は後ろから突然声をかけられた。
ビックリして、後ろ斜めに大きくジャンプして、信じられないがバレエの人か、フィギュアスケートの選手のようにクルリと一回転した。
あの一つ上の先輩がそこに、腕を組んで立っていた。
「わたしの絵をどう思う?」
「えっ?」
「何か思うことがあるから、わたしの絵をときどき見に来るんだよね。何も関心がなかったらときどきでも見に来ないでしょ?」
「……、すみません」と秀嗣が頭を下げて、美術科準備室を急いで出ていこうとした。だけど先輩は秀嗣の腕を掴み、逃げるのを許してくれなかった。
「謝って欲しいわけでもないし、消えて欲しいと言ってるわけでもない。見られるのも構わない。ただ今までわたしの絵を見てきて、あなたの感想を聞かせて」
「…感想ですか? …ぼく絵が分からないから…ありません」
「じゃあ、絵は好き? 見るのは好き? 描くのが好き?」
先輩は掴んだ手に力を加えながら聞いてきた。
「……見るのは分かりません。描くのは好きです」
「そう。じゃあ明日美術部があるから、明日必ず来なさい。あなた何年生? 何組の、誰?」
腕をグイッと引っ張られ、顔と顔が近づき、先輩の興奮した息が秀嗣の頬に触れた。少し生暖かく、人の臭いがして、何だか先輩に告白されているような妙な気分になった。
「…五年…一組の…遊海…秀嗣です…」
「五年一組の遊海くんね。来なかったら、探してでも向かいに行くから。だから逃げたり隠れたりしても無駄だからね」
「…はい、…分かりました。…なるべく、来るように、なんとかします」
最後は指切りげんまんまでさせられて、やっと先輩は秀嗣を解放してくれた。
薄暗く、沢山の物が置かれ狭い、そして偶然にしろ自分と先輩の二人だけの美術科準備室で、先輩に腕を乱暴に掴まれ、先輩の息を顔の近くで感じ、指切りげんまんという形だが指まで絡ませられた体験に、美術科準備室を出てからも秀嗣の胸はドキドキしていた。
(つづく)