シリアルキラーが女を愛するわけ 12
朝の会議が終わり、白木は殿山より早く立ち上がった。
「今日から一緒に行動することになりました」と言った。白木はもう新人ではないので、特別頭を下げるような行為はしなかった。
「新木場周辺の焼却炉がある工場を回ろうと思う。特に毎日燃やしている所を回ろう」殿山が言うと白木は黙って頷いた。
地下鉄東西線の新木場駅に着いた。捜査本部が東京湾岸警察署に依頼して手に入れた地図を広げた。地図には近隣の工場の区画と名前が詳しく入っている。焼却炉有無、焼却炉の大きさも追録されている。駅から出て右手の南砂町の方へ行くか、東手の深川の方へ行くか、真っ直ぐ進んで辰巳の方へ進むか。
「班長、木製家具の工場は真っ直ぐ進んだ辰巳方面にあります。男は辰巳方面に詳しいとは考えられませんか」と白木が地図を見つめながら言った。
「辰巳のアパート群に向かって歩いてみるか」
「はい」
「海まで出たら、今度は豊洲駅に向かって歩く。男が見ているだろう景色の雰囲気が掴めるかもしれない」
「男はこの近辺に暮らしていて、周辺の工場で働いているんでしょうか?」
「江東区の辰巳、豊洲周辺は私営なら賃貸でひと月二十二から二十四万円はする。公営に単身者が入れる確率はかなり低い。家族がいるなら公営アパートに住んでいる可能性はあるが、しかし今回の犯行を、被害女性のタイプからすれば妻や子供の居る男の犯行とは考えにくい」
「家族に内緒で女性と付き合い、そして殺す。また平凡な暮らしに戻るというのは異常な心理ですものね」と白木も同意した。
辰巳アパート群に向かって歩いた。一つひとつの工場の外から、焼却炉がどの場所にあるか確認し。捜査と断って敷地に入り、守衛がいるならその場所から焼却炉が見えるか、防犯カメラが焼却炉周辺を映しているかを確認して歩いた。
「焼却炉も、一日五回朝七時、昼十二時、夕方五時、夜十時、深夜三時に見回るね。その他の時間もモニターを常に見ていて、怪しい人物がカメラに見えたり、何か異変があれば直ぐに駆けつけますね。雑用の係以外は焼却炉で何かを燃やすということはないね。それは彼らの仕事だから」四件目の工場の守衛は七十代の朗らかな雰囲気の男性で、白木は焼却炉を一日何度くらい巡回するのか、守衛が会社の人間から頼まれて何か燃やすこともあるのか聞いたら、そう答えてくれた。
「新木場、豊洲の工場に詰めている守衛は、大手の警備会社から派遣で来ているんでしょうか」
「直接会社と契約している人も半分くらいいるんじゃないかな。雑用をする人も会社と契約しているだろうし」
「変な質問ですが、他の守衛さんと情報の交換とかしてないんですか」
「警備会社の本部からの通達以外はないね」
「じゃあ個人個人で契約している人ともない感じですか」
「ないよ。だってぼくたち、言ってもサラリーマンだから。それに今は秘密遵守とかコンプライアンスとか言われてうるさいもの」なるほどと白木は頷いた。殿山が念の為に焼却炉を見せて貰えないかといって、二人は守衛から離れ焼却炉を調べに行った。
「防犯カメラが至る所にあって、その映像を守衛室で契約時間の間ずーっと見守っているようですし。一日五回も巡回しているなら、中の様子に詳しくない者はなかなか立ち入ってみようと考えないかもしれませんね」
「でも犯人の男は、気軽に工場の敷地内に立ち入っているのかもしれない。それを守衛も不思議に思わなかったのかもしれないよ」
「ですよね。木製家具の工場の映像を映像を確認するまで、男の存在に気付いてなかったようですし。工場の守衛も工場長も、会社の管理責任者も誰も、自分の敷地に立ち入った映像の男の姿に見覚えがなくて、なのに入ってきていることに驚いた感じでしたからね」
焼却炉は大型の物で木製家具の工場の焼却炉のように自分で点火するようなタイプではなかった。灯油かガスを使い電子制御のスイッチで稼働する物だ。
「ここまで四件見てきましたが、ガス、灯油を使い、制御盤のある新しいタイプの焼却炉が多いですね」と白木は、焼却炉の周辺を見ながら言った。
扉の開け閉めも電子制御で安全にできる物で、高カロリーの熱で燃やしダイオキシンなどを出さない方式になっているようだ。
「昨日の木製家具の工場のように、犯行の証拠が燃え残ったのは奇跡です」
「そうだな。わざとじゃないなら、男のミスだな」
「えっ、…犯人が燃え残して、置いて警察に発見させよとしたと思うんですか」
「わざと燃え残しを置いたかは分からない。しかし、ここまで四件の工場を見てきて、いま白木が言ったように最新式の焼却炉がほとんどだった。これからは木製家具工場のような古いタイプの焼却炉を気をつけて見たほうが良いとおもう。最新式の焼却炉を無視してはならないが、古いタイプの焼却炉を持っている工場に聞き込みをしよう。男の素性に早く近づく気がする」
殿山は木製家具の工場の他にも男が下見をしていると考えている。
辰巳のアパート群まで進んでみた。現在的な下町の雰囲気とでもいうのだろうか、若い主婦が自転車を漕ぎ、年配の女性が車輪の付いた買い物カゴを牽いて、ポロシャツ、デニムのズボンを履いた年配の男性が缶コーヒーを片手に片手に煙草を持って散歩している。
男の人相がはっきりと分かれば目撃情報が得られるかもしれないのに、と思うと白木は歯がゆく感じた。
「東京のどこにでもある、人びとの距離感も遠くなく、冷たくない感じの平和な町に見えます。ストレスを感じていて、突然、人を殺して見たくなったんでしょうか」
「多くの市民はストレスを感じても人殺しや強盗や放火はしないよね。犯罪を犯す以外のストレス発散する方法を見つけているものだ。しかし何千人に一人、何百人に一人という感じに、脱法した方法でストレスを発散する人間がいる。でも本当はストレスとは関係ないと思うね」
「生まれつきに犯罪者予備軍がいる、と想いですか」
「少し難しく考えれば性善説、性悪説だろうね。でも人は生まれながら良い心と悪い心の両方持っているとぼくは考える。成長すると善も悪も沢山見聞きするようになって、知識として得た悪い行為に魅力を感じてしまう人がいるんだと思う」
「じゃあ救われないですね、人間は」
「救われようとする人には宗教があるんじゃないか。僕は宗教や教義がなくても、人は神や仏を想像出来るし、神や仏の導きを信じられると思うんだ。一人では悪い行為の方にフラついたり、毎日正直に真面目に生きること不安を感じたりする人たちに宗教があると思っている。それとか生活を怠けたり、未来に不安を感じたりするする人の助けとして宗教があるんだと思う」
「班長、何かの宗教道場に通ってられてます?」白木は驚いて殿山の顔を見た。
「いや、どこの寺の住職にも知り合いはいないし、神社の禰宜の知り合いもいない。自分で勝手にそう信じているだけだよ」
辰巳のアパート群を端から端まで見て回ったあと、豊洲の方へ殿山と白木は歩を向けた。
豊洲、ゆりかもめの駅が目の前の所まで来た時にお昼になった。殿山が軽く食べようと言い、駅周辺を見ると小さな子供たちを連れた母親たちが店に向かうのが見えた。どこの店も小さな子供たちの声とママ友たちの話し声でうるさいように感じられた。
自然光を取り入れた造りの店内が暗く落ち着いた雰囲気のコーヒーショップがあったので、そこに入ることにした。
コーヒーショップの店内に小さな子供を連れた母親たちは居なかった。店主が騒々しいお客は入店前に断っているか、母親たちが落ち着いた雰囲気に子供を連れてくるのを遠慮するのかもしれない。厚い一枚板のカウンターに数種類の焙煎前の生豆が地名ごとのラベルが貼ってあるガラス瓶に並べられ、カウンター中の店主が背にする壁の所には焙煎機と業務用のコーヒーミルがきれいに手入れされ鎮座していた。二人が入ってゆくと店主が「空いている席、どこでも好きな場所にどうぞ」という感じに手で示した。
店主のオススメを聞くと「今日のコーヒーは、イエメン・モカマタリです」と答えた。それを二つホットで頼み、あと「店主の気まぐれサンドイッチ」と「ソーセージとクリームチーズ・パンケーキ」も一緒に頼んだ。
「班長、パンケーキなんて食べるんですね」と白木はおかしそうに笑った。
「ぼくは子供の頃から喫茶店のホットケーキが好きだったんだよ。家でも母が焼いてくれたけどね。小学校のときには同級生は喫茶店でホットケーキを食べてなかったんじゃないかな。ぼくは月二回は、父親にねだって喫茶店に行ってた」
「へー、可愛がられていたんですね。勉強のご褒美とかですか」
「いいや。父は忙しい人だったんだ。仕事も忙しいし、飲み歩くのも忙しいし、休日はゴルフが好きな人とはゴルフに、釣りが好きな人とは釣りに行って忙しかった。罪滅ぼしのつもりだったんじゃないかな」
「お父様はなにをやられて居たんですか?」
「最初は町会長。しばらくして区議会議員、都議会議員」
「実家はなにを? まさか政治家が生業と言うわけじゃないですよね」
「出版、印刷製本、不動産なんかを祖父はしていたよ。父は大学在学中から国会議員の秘書だか書生だかをしていたらしい。都議会議員ではなく、本当は衆議院の代議士か参議院の議員になりたかったと思う」
「知りませんでした。主任が警察官に成られたのはなぜですか? お祖父さまやお父さまの後を継ぐことを考えなかったのですか」
「大学入学したまでは考えてたかな。弁護士から政治家への道を考えていた。出版社、印刷会社は祖父が亡くなった時に閉じた。あとは、妹が居て、妹と旦那が不動産屋とマンションを継いでるよ」
サンドイッチとパンケーキ、良い香りのするコーヒーが二人分同時に運ばれてきた。
「東京大学を出ていらっしゃるのは…」白木が頼んだ「店長の気まぐれサンドイッチ」はポテトサラダと生ハム、野菜を細かく刻んだゴブサラダとオムレツのサンドイッチのようだ。
「そう東大を入学する前は政治家を目指していた。卒業する前に警視庁の捜査一課の刑事に成ると変更した」
「なぜです?」白い形の良い歯で食べると、サンドイッチに残る後まできれいだ。
「ぼくもとある代議士の先生の手伝いをした経験があるんだ。衆議院選挙も手伝った。面白くもあったが、同時に理非曲直の世界だったから、ぼくの正義感がついていけなかった」
「弁護士か裁判官になっても良かったんじゃないですか」
「弁護士や裁判官は結局、裁判所でのやりとりが仕事だよ。それより直接事件現場に行き犯人を見つけ、逮捕するほうに魅力的に感じたんだ」殿山もパンケーキを食べ始めた。クリームチーズにはハーブが練り込まれているらしい。ソーセージは少し塩気が強く感じた。パンケーキはボソボソした食感で、どれも殿山の好みではなかった。
「まあ結局、起訴するかしないかは検事が決めるから。事件解決の爽快感は大学生の頃に想像していたほどにはないからガッカリしたけど」
「爽快感ですか…。始めて聞きました」白木は皿に載ったサンドイッチを半分食べ終わった。刑事になるのが夢だった以前聞いたから、普通の女の人より早く食べるのも必要な技として覚えたんだろう。
「白木は、刑事になるのが中学校の時からの夢だったと言っていたが、成ってみてどう?」
「わたしですか?」考える間を取るように、コーヒーを一口すすった。
「仕事としては充実していると感じてます。でも達成感は得られず、やり切れなさがいつも残ります」と白木は長いまつげの付いた瞼を下げた。
「捜査一課は放火、強盗、殺人が生業です。捕まえる人間とも接しますが、被害者とも時には長く接します。犯人を捕まえても、元通りにはなりません。修復されることも解決できることも、少ないです。」
事件の捜査、推理を一番にしている殿山も、事件後の未処理感にはいつも胸を苦しくしている。まだ出来るこが残っているんじゃないか。自分たちにも出来ることがあるんじゃないかと思いつつ、送検して終わる。
「さて出るか。豊洲から越中島、門前仲町駅の方へ戻ろう」
昼間からネガティブに成るわけにはいかないと思い、元来ネガティブ思考は好きではないから、殿山は立ち上がった。
門前仲町商店街の端まで歩いて来ても特になかった。豊洲の駅前は高層マンションの林立する未来感という圧迫を感じた。そこから木場、門前仲町に行く道路の両側は大きな工場や倉庫が並ぶ、昼間でも人通りの少ない寂しい所だった。通りには人は見えないが、大きな動力の音やフォークリフトの走り回る音、ブレーキをかける音がコンクリートの高い塀の向こうから常にしている。
「犯人の男は、普段どういった生活をしているんでしょうね。過去も現在も変わらないんですかね。殺人を経験して変わったんでしょうか」
「殺人を経験して人間的に成長する、とは考えたくないね。しかし、できれば後悔して、反省して自首して欲しいものだね」殿山は、自身の本音とは違う建前を言った。本音は事件を推理し、自分の手で犯人を捕まえたいと思っていた。
「反省して自首するような、普通の感性を持った男なんでしょうか」
「ああ……、ただ疑問に感じていることがある」
「何でしょう」
「男は、なぜ被害女性の性器だけを切り取ったんだろう。殺してしまう前にキスをするとか、セックスに持ち込むとかしないで、覚醒剤でショック死させて、女性を死せた後もなぜ悪戯をせず女性器だけを切り取って消えたんだろう」
「行きずりの犯行だから…きっと違いますね。童貞だから女性の扱い方が分からず、初めから性的な悪戯には怖じ気づいていた」
「今どきソープを始め、性風俗は沢山あるだろう。童貞を気にしているならお金を払えば、いくらでも経験できる。また風俗店は特別怖い場所でもない。SMに興味があって、過激な行為の延長線上に人をどうにかしたい願望があったのなら、なぜ被害者は痛めつけられていないのか。痛みを感じないように覚醒剤使ったにしてもなぜ痛めつけないのか」
「全ての性的なことに興味がない男なのかもしれないです、ね」
「では、こう考えてみよう。男は殺すことが目的だったのか、女性器を切り取ることが目的だったのか」
駅前で話す内容でもないので、殿山と白木は深川公園、深川不動尊、豊岡八幡宮の方へ移動した。
「性器を切り取ることが目的だったのしょうか?」白木は疑問を感じながら答えた。
「僕もそう思う。男の目的は性器の切り取りだろう」
「女性を物として扱って優越感を感じる。…許せない」白木の雪のように白い肌の色が、怒りで上気し赤くなった。冷静な判断をするときの白い肌の白木も魅力的だが、闘志に燃えている赤く火照った顔の白木も魅力的だと、殿山も近くにいて思う。
「被害者のあてを何人も用意してあるかもしれない。まだ三日だが、連続してやらないと保証はない」
「そうですね。男が働いて居るとは限らないですもね。親の遺産で悠々自適で、殺人だけが生き甲斐と思っているかもしれないですもね」
殿山は、白木の顔を驚き見た。
「なるほど! 豊洲、新木場場周辺に暮らす不労所得の男。夜な夜な女性と遊び、時期を見て殺す、か」
「可能性です」白木は、殿山から褒められているのかバカにされているのか分からなかったが、どっちにしろ自分の発言を否定した。
「周辺で働いていると考えるのは、誤りかもしれないな……」
殿山は、白木の否定の言葉が耳に入っていないようだった。
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