アーモンド・スウィート
初谷泰志の両耳は生まれつき聞こえづらい。特に左耳はくしゃくしゃしたセロファンが耳の内側にいつもあるみたいに、人の声も車の音も風の音も回りの音も全部ガサガサと聞こえる。辛うじて右耳はたぶん普通の人の半分くらいの音量で聞こえると思う。正常な人がどのくらい聞こえるか分からないけど。いつも先生の声は遠くで聞こえている感じ。常に授業中は黒板の前に立つ先生をぼーっと眺めている。左耳の側で何か音がしても気づくは気づくけども、はっきりと意味の分かる言葉、分かる音として認識できない。右耳の側から声をかけられないと反応がまったくできない。両耳ともに内緒話しには向かない耳なので、秘密の約束の場合はその友達と自分以外がいない場所でする。教室の後ろなどでの約束は、回りに沢山いる人に聞こえても良い物に限る。
正直、幼稚園に通う前、幼稚園に入ってから、小学校に上がってからもよく耳のことで虐められた。虐められなくなったのは十歳になってからで、それまでの経験から聞こえる言葉の音(おん)から推測して聞こえない分を唇などを見て先読みできるようになったから。それも相手の口が見える正面からしか使えない技なんだが。
泰志はいつものように休み時間、校庭の隅に高杉晋作と連れだって、校庭から一階校舎に入る階段に座って、遊んでいる人達を見ていた。
「常に(ニュー・イングラド)ペイトリオッツが優勝している現状がおかしいと思うわけ」
晋作はアメリカのNFCが大好きなので、家では専門チャンネルにも契約して見ているから、年中、話題に困ったり、暇過ぎたりするとアメリカンフットボールの話しを泰志に聞かせる。
「トム・ブレイディはカッコイイし、凄く優秀なクォーターバックだと思うけど。八年で五度も世界一に成るってどうなのよ。ドラフトの意味やサラリーキャップの意味をぶっ壊していると思うわけ、ね」
「まあペイトリオッツの監督が優秀だから、優勝を沢山できるんじゃない」
泰志も晋作の影響でアメリカンフットボールに詳しくなった。
「ベリチックはたしかに優秀な監督だよ。でも神様じゃないんだから、勝ちたいと願うだけで好きなだけ、何度も優勝出来ないだろう、よ」
晋作は興奮すると声が大きくなるので、彼の口を見なくても校庭を眺めつつ、泰志の右耳でも会話が出来るので嬉しい。
「今年からブレイディは別のチームに移ったから、面白くなるよ」
昨日晋作は、ブレイディがタンパベイ・バッカニアーズに移籍したことを「山が動いた」大ニュースと騒いでいた。
「(面白く)成るかなぁ。結局、ペイトリオッツにキャム・ニュートンが入ったじゃねぇ」
「監督かクォーターバックか、ペイトリオッツかバッカニアーズか、両チームのどっちがより上位にくるか、優勝するかで決着がつくだろう? きっと面白くなるよ」
泰志はNFLのことは、晋作から聞いたことだけしか分からないが間違ってない確信出来た。
「まあ俺はAFCはブロンコス、NFCは49ersが勝ち残れば良いんで」
「西部地区のチームびいきだよね」泰志は笑顔をみせた。
「じゃあ、おまえはどこチームを応援してるんだよ」晋作はムッとして泰志に突っかかってくる。
「ぼくは……パッカーズかな。NHKでやったNFLのアーカイブで、ファーブの映像を見たけどカッコイイと思ったし、その後のロジャースも『NFLウィークリー』で見てカッコイイと思ってる」
「パッカーズか…常に優勝を狙える良いチームだよな」
泰志は、晋作とは何でもなく、どんなことでも話せるので好きだ。
実のところ晋作は東神田小は当然のところ、近隣の小学校の生徒たちにも「高杉晋作ケンカ強え」「高杉マジ怖え」と恐れられている。だから晋作と一緒に居るだけで前のようなイジメに合わない。晋作はアメリカンプロレスWWEも好きで、泰志と居るときに話題をふってくる。WWEは有料チャンネルに入らないと見られないので泰志には皆目分からないけども、NFLはNHKと日テレが毎週ダイジェストをやってくれるので、LIVEで見ている晋作に遅れながらも話題に付いていける。東神田小でアメリカンフットボールに興味があるのは泰志と晋作の二人だけだろ。
晋作は身体的ハンデや見ため、家がお金持ちかそうじゃないかで意地悪をしない。アホでも勉強が出来なくても、それを理由にイジメに加わらない。プライドは人一倍高い、自分の好きなことしかしない。図工、音楽、家庭、何をやってもぶきっちょ、それに力加減も知らないけど、友達になれば良いヤツだ。
泰志は晋作を友達成れてつくづく良かったと思う。
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