アーモンド・スウィート
「まん防、効果なかったね。またオンラインで授業になるんだって」
今日も懲りずに秀嗣は人志の前の席に座り、話しかけている。
「なにやっても効果はないんじゃない、コビット-19は。まだ世界中の研究者の誰にも分からないんだから」
毎日毎日、迷惑なやつだなー、と思いながら塾の問題集とノートを広げ、塾の予習をしている倉岳人志。
「今年も一年、家での自習と言うことになるのかね? 中学受験、大丈夫? 塾こそオンラインでしょ」
「塾もいずれ早いうちに、またオンラインに戻るんじゃないかな。受験の方は受験先の中学の先生方が考えることだから、落ちるか受かるか、僕たちがあれこれ悩んでも仕方がないよね。ただ受かったあとも、中学の勉強がまともに行われなかったら、何の為に希望した学校に入ったんだかと思っちゃうよ」
「オンライン授業でも、他の私立や、ただの公立中学とはひと味違うんじゃない。そこは偏差値トップの学校なんだから、学習システムもオンライン授業してくれる先生も特別でしょ」
人志は塾の問題集か顔を上げて、秀嗣を見る。
「去年から本格的に始まったオンライン授業だぜ。急に上手くなったりはしないだろう。もともと日本は長らく、対面での先生から生徒への直接的な学習指導を佳としてきたんだから」
秀嗣は、ふーんといって頷いた。
「ぼくさ、オンライン授業苦手。家に居て、勉強する形でしょ。なんだか、急には勉強モードに切り替わらないんだ。それにテレビも音消して点いてたりするし」
「テレビを横目に見ながら、オンライン授業受けてちゃ勉強モードに切り替わらないし、授業なんて頭に入らないだろう。テレビ消せよ!」
人志は、大きく溜め息を吐いた。
「しょうがないよ。祖母ちゃんがN○Kの朝ドラから朝の番組好きなんだもの。祖母ちゃんもぼくに気を遣って、テレビの音はイヤホンで聞いてくれてるんだから。ここはぼくの方も譲らないと」
「はーっ…、あのさ。テレビをチラチラ見ながら勉強出るわけ。自分の部屋にノートパソコンか、タブレットを持っていって勉強したらいいだろう」
「ノートパソコンは父ちゃんの物しかないし。父ちゃん、ぼくに貸してくれない。何でもインターネットを勝手に見るからダメとか、履歴も見るかもしれないからダメだとか――」
人志は秀嗣の言葉に被せるように言って、
「秀嗣のお父さん、いかがわしい動画でも見てるんじゃないか? それで履歴を見られるの嫌がって貸さないんじゃ」
「まあ…、分からないけど。あるかもしれない。タブレットは学校から借りられなかったんだ。買うには高いし」
「Am○zo○で、一万円しない値段から、高くても三万円くらいで買えるけど。そのくらいのお金も、秀嗣っちないの?」
「そこは人志の家とは違うよ。子供のぼくに一万円もする機械を買ってくれるんてないよ」秀嗣は顔の前で、手をブンブン振る。
「子供の将来を考えて。投資として、買うっていう発想はないの?」
「コツコツとやるっていう考えだね。塾だって、必要? て父ちゃん言うもの?」
コツコツやるって何だ? 今どき学校支給の教科書と紙のノートだけで、良いと思ってるのか。塾も要らないって!? 人志は頭を抱えたくなった。秀嗣の親は、絶望的に、社会階層が底辺の人間の思考だなと感じた。
「ところで、ノートパソコンもない、タブレットも持ってなくて、何でオンライン授業受けてるの?」
「あっ!? スマホ。父ちゃんのスマホ」
「お父さん、スマホも持ってるの?」
「そう。父ちゃん自体は、子供の頃から新しい機械が大好きだったんだって。スマホもアイホン、アンドロイドと二台持ってる。天野先生がアイホンが良いだろうと保護者説明会で言ったから、アイホンをオンライン授業の時だけ、父ちゃんに借りて使ってる」
「秀嗣のお父さん、自分はスマホ二台持ちなんだ。そしてノートパソコンも持ってるんだ」人志は、秀嗣を妙に可哀想に思えてきた。自分の両親なら、一台を子供の自分のために買ってくれるのに。秀嗣とお父さんは、自分はデジタル機種を沢山所有しているのに、子供為には一台も買ってあげようとなんて考えないんだと思って。
「お母さんは、買ってあげようと言わないの?」
「母ちゃんはお金ないし。父ちゃんが共働きの給料の半分以上、自分の小遣いとして先に持っていってしまうから。あとは、ぼくと博嗣の学校のお金と、国民保険のお金と健康保険のお金と、税金と年金のお金を払って……なんだかんだ、ないみたい」
自分の買いたい物は我慢せずに買うんだ? 秀嗣のお父さん。あとはお母さんが生活費とか保険と税金とか払うんだ。これで友達とお酒を飲み歩いているかとか、女性がいる飲み屋に通っているとか、麻雀をするとか、競馬や宝くじを買うとかギャンブル好きだったら、考えれば最悪だな。
「大学まで通わせてくれるのか? お父さんは」
「それも、分からないよ。大学行きたければ奨学金貰って行けばいいって言ってる」
「奨学金って無利子のもあるけど、ほぼお金を借りる制度だよ。最近は大学側が学費を免除する形もあるらしいけど。ただじゃないと思うよ」
「あっ、お金を借りるっていう話しだったんだ。ふーん。借金して大学に行くのかぁ」
「テレビで見たくらいの知識しかないけど、大学を出てから十年、二十年かけて完済したっていう人の話しを聞いたよ。借金は借金だと思う。出して貰えるなら、親に出してもらったほうが良いと思うよ」
秀嗣は腕組みをして、ウンウン唸りだした。
「借金してまで大学行く意味ある? この間、ネット社長の誰だったかが、テレビニュースのインタビューに答えていたけど、「大学に漫然と行っても、意味ないよね。動画編集の技術を身につけてYouTubeやTikTokで稼ぐとか、プログラムの技術を身につけてアプリを開発するとか、新しいサービス、イノベーションを考え出す人間にならないと」と言ってたけど。人志はどう思う?」
新しいサービスとイノベーション…て。日本に一握りも居ない、成功したIT社長の言葉を鵜呑みにして…。こいつ大人になったら、生活保護受給者になってやしないか。心配だな。と人志は秀嗣を顔を見つめてしまう。
「真面目に勉強しろ。それが一番、易しい人生の成功の方法って、東大受験をトップで合格して、主席で卒業した元・財務書のキャリアで、現在弁護士と大学准教授をしている女の人が言ってたぞ。ぼくもそう思う。YouTuberの成功よりも、ライブコマースでの成功するよりも、大学に行かずにネット社長、インフルエンサーを目指すより、確かじゃないかな」
「そうなんだ。人志はそう思うんだ。……分かった」
秀嗣の頭の中には、中嶋彩葉と渡辺珠恵の顔が浮かんでいた。二人も人志と同じ考えかな。人志も彩葉も、珠恵も東大に入ることを考えてるんだろうな。東大は国立だから学費が安いて、母ちゃんが言ってな。でも、ぼくは東大は無理そうだな。
秀嗣の頭の中は、いつも間にか大学に行く=東大に行くなっていた。