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アーモンド・スウィート

 水元英利の家は元々は魚屋だったが、父が芸術系大学を卒業して陶芸家に成ると決め家を出って行ったことで、現在は母と父の父、父の母三人で切り盛りできる焼き鳥屋になっている。物心ついたときには父は家には居なかった。今も二年、三年毎に焼物の里を変え父は陶芸の勉強をしている。
 魚屋から焼き鳥屋に業種換えしたのは、祖父(父の父)が身体を悪くして入院した為に魚の仕入れから仕込みまでを、母か祖母(父の母)がやらなければ成らなくなり、魚屋は無理と母と祖母の二人は判断し――それと、父は家に居ないし魚屋の修行を元々してないので頼りにならないから――母の実家が焼き鳥屋だったので、母が自分の両親から手ほどきうけて水谷の家でもやり始めたからだ。
 父は三年くらい前から信楽焼の里に腰を落ち着けて作陶するようになった。またすぐにでも移動するかも知れないが、自分の理想する器の肌、姿形が信楽の茶碗の中にあるんだとか。父の話だと、滋賀県信楽は周りが丘陵だから良質の陶土がとれるらしい。その信楽の土は、耐火性に富み、形を保つ力が強く、コシも強いので細工しやすいそうだ。また信楽の器は日本六古窯に数えられているほど長い歴史があり、登窯(のぼりがま)、窖窯(あながま)の焼成によって得られる温かみのある火色(緋色)や、窯のなかの炎の勢いにより器物に灰がふり、灰かぶりによる自然降灰釉(ビードロ釉)、また、薪の灰に埋まり黒褐色になる「焦げ」も含めた器の肌、姿が最高で、土と炎が織りなす自然と人間の融合芸術だと感動していた。
 しかし、英利は密かに思うのは、父の世話をしてくれている近所に住む三十前の未亡人の存在が父を信楽に留まらせているんじゃないかと思っている。未亡人には英利と同い年の男のが一人と四つ下の今年小学校一年になった女の子がいる。上の男の子を父は普段から可愛がり、男の子は英利の父のことを「おじちゃん」「おじちゃん」と呼んで懐いているようだ。下の女の子は未亡人に似て美人で、笑うと可愛いと週一回の電話でときどき話題にする。英利と同じ年頃の上の男の子を特に可愛がっているとは英利の手前言えないでいるかものしれないが、きっと女の子と同じくらい可愛がっていることだろう。
 英利の母も未亡人のこと兄妹ことを知っているけども、何も言わない。何かかにかと言うのは祖母で、
「芸術家にかこつけて日本中で浮気をしている。港港に女が居るようだ。陶芸家に成らないで船乗りにでもなったら良かったんだ。そしたら、一年海の上で毎日浮気の心配はせずに済んだし、海の向こうの海外の女との浮気なんて俺らは分かりようもないんだから」と、英利の耳に入るのを構わず、祖父に言っている。私たちの育て方が間違ってたんだとか。祖父は必ず、
「バカ言え。船乗りに成って海の上だったら、お前は毎日オロオロと「船が沈んだらどうしよう。太平洋のど真ん中で海に投げ出され、何日も漂うようになったらどうしよう」って心配して、眠れなくなるどころか、メシも喉を通らなくなっちまうだろうが」と言い返す。
 英利も母も、祖母と祖父の話を右の耳から左の耳に聞き流し、今まで溜め息を沢山落としてきた。母とは、父はこの世に居ないつもりで、期待せず待っていようと二人で話している。
 
 父が一ヶ月後に久しぶりに家に帰ってくる。何でも権威ある審査会、選考会で金賞を貰ったようで、その授賞式が東京のホテルであるから。何年ぶりかで親と妻と子供の顔を見に来るという話しだ。久々なので家でゆっくりしてゆくのかと母が聞いたらば、三日くらいは、のんびり家に帰ってくるということだ。三日の帰宅がのんびりなのかせわしないのか英利には判断できない。――自分の実家だろ!?――スマホの中の姿と声だけだった父親に実の父という実感は湧かないので、三日くらいの再会で十分だと思う。冷たいようだが、英利の中では半分他人の男の人、もしくは水谷の家系の親戚のおじさんという感じだから。
                              (つづく)

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