シリアルキラーが女を愛するわけ 10
見つかったレインコートと小刀から人の血液の反応は出たが、そのDNAまでは解析は困難と鑑識に言われた。わざと置いたと見る意見と焼却に失敗してレインコートと小刀の形だけかろうじて残ったと見る意見が捜査員の中から出た。当然、警視庁は中延三丁目の殺人事件の物的証拠と考えた。
殿山はレインコートと小刀が発見された工場の敷地内を、深川署から直行して歩いた。工場の敷地は広く、工場も大きい。二十四時間体制で木製の机や棚などを三百人くらいで、百人三交代制で作っていると聞いた。レインコートと小刀を目にして、15㎝の小刀は中延の女性を殺した犯人が遺棄して行ったものと殿山は考えていた。犯人はなぜ、この工場の焼却炉にレインコートと小刀を捨てて行ったのか、歩きながら考えていた。中延駅から、浅草線⇒東西線に乗り換えて木場駅に至る。わざわざ30分も証拠を持って移動したのなぜか。レインコートはかさばるし、人間の血は臭う。人目を気にしなかったのか? 人目の無い移動ルートを知っているのか? 犯人には車、バイク、自転車などの移動手段が犯行現場の近くにあったのか? また、もしこの工場の労働者なら、証拠隠滅として工場の焼却炉を使った行動は簡単であるが安易だといえる。仮に以前ここで働いていた者だとしても安易だ。見つけてくださいという風なメッセージにも考えられる。別の考えは、この工場の前をよく通る人間だとして、敷きに入れば防犯カメラに撮られているとは考えなかったのか。それでも構わない考えるのは、監視カメラに映っても普段から見慣れている人間として認識されると考えての事だろうか。
白木が殿山も後を小走りに追うように付いてきた。白木の履いている靴音に振り返ると、
「わざと置いたんでしょうか?」白木はせっつくように問うてきた。
「ぼくはわざとだと思うよ」
「レインコートの外側からはルミノールと内側から犯人の汗のDNAが出るだろうという話です。小刀は、何か、それこそ石油系の何かで洗われた形跡があるらしいですね。なぜ犯人は小刀だけ洗ったんでしょうか」
「解らない。レインコートを洗う時間がない、人目に触れず洗う場所がなかった、などからレインコートは洗わなかった理由は考えられるが」
「レインコートを別の形で処分するとか、細かく切って燃やせばもっと簡単に早く証拠隠滅できたと思います」と白木はこめかみに手をもっていって考えるポーズをした。
「わたしも考えていたんだ。なぜ犯人は証拠を残したまま立ち去ったのか」
「はい」
「もう一つ、大井町線のホームのカメラに犯人が映っていると思うが、この工場でも犯人は防犯カメラにも映っていると思う。こんなに大胆に行動するのはなぜだろう」
「はい。犯行現場をきれいにしている行動、被害者の身元を隠すように所持品を持ち去った行動。その慎重さに反するような、犯行に使った道具を捨てて行く、駅や工場のカメラに写るといった無頓着さはなぜでしょうか」
防犯カメラの映像が警備員室に一ヶ月分取ってある。工場の警備は大手の警備会社なので、本部にも工場の映像が届くシステムになっていた。昨日の工場の敷地内の様子をモニターしていた社員が本部にもいることが分かった。複数の目があったのだ。
昨日一日分の映像を早回しだが、工場長と普段工場を警備している複数の警備員と本部の当日の警備員に見直してもらった。工場の作業服を着用していない背広姿の男が映っていた。男は焼却炉に向かって真っ直ぐに行く、鞄に持って来ていたレインコートと小刀を焼却炉に放り込む、鞄から燃焼促進剤のようなも出してかけた後火を付けた、燃えて灰になったかを確認することなく工場の敷地から立ち去るまでが写っていた。複数の雑役係の工員、工場長、工場のライン責任者なども動画を確認したが、だれも男に心当たりが無かった。あとで警視庁の解析班が調べて分かったことだが、その前の一ヶ月間に一度も工場の敷地の中に立ち入る男の姿はなかった。まるで焼却炉の位置が分かっているような動きを見せたが、事前に下見をしていないで場当たり的に成功したように見えた。それは考えられないので、映像を確認して貰う工員の範囲を広げて、三つのシフト時の工場のベテラン工員にも見て貰った。だれも以前に働いていた男として記憶がないと証言した。親会社の生産部門の部長、課長、係長には関係先の会社で出会った中に居ないか記憶を辿ってもらった。部長、課長、係長も自身の仕事先の知り合いに、男の立ち姿、歩く姿に思い当る者を知らないと証言した。
殿山は、工場での証拠発見の一報があるまで警視庁に居て、過去に今回と似た女性器を切り取る事例がなかったか調べていた。いくつか興味深い事例は見つかったが、そのほとんどが古い事件で犯人がすでに高齢と考えられる物、死刑判決出て執行を待っている物などだった。再犯は考えられず、また模倣犯を考えると時間が経ち行き過ぎている思った。
殿山は、犯人が計画的に犯行を行って居ることまでは想像したが、次の犯行の計画がどういう物かまだ想像出来なかった。
午後八時なり二日目の合同会議が始まった。
吉岡係長が昨日からの事件の概要を整理した話をした。まだ被害女性の身元は分かっていない。家出人及び行方不明者の捜索願いの中に被害女性と合致する特徴がなかった。家族は行方が分からないということに気づいていない可能性が出てきた。その面で、捜査は難航が予想された。また犯人とおぼしき男は東急大井町線で中延駅から木場駅まで移動して下りたことは確認された。だが、男の顔がはっきり映っている映像が一つもなく、男は駅のカメラの位置、角度をよく分かって居ることが予想された。ただ警視庁の解析班が誇る技術「人物歩行軌跡の解析」を使えば背格好、男の歩き方で個人識別が出来るので、もし可能であれば東京都下の交差点や商店街に多く設置されている監視カメラを活用して、映像の解析できれば男の居場所も一週間もかからなず、早ければ一日で見つかると鑑識班、解析班から上がっていると吉岡係長は付け足した。ただしこれには各自治会の区長、市長、町会長の許可と警視庁刑事部長の判断がいる。
鑑識班からは事件現場の廊下に、指紋や足痕を消すために散布されていた石油系の物質がトリクロロエチレンと灯油に確定したと報告された。これトリクロロエチレンを普段から使う印刷製本に詳しい人間と予想でき。また石油を機械の洗浄に使う、古い習わしを残している中小の工場、自動車工場、もしくはクルマ、オートバイなどの愛好者という予想がついたと吉岡係長は言った。
もしクルマ、オートバイのドライバーなら範囲が広くなる。古い習慣と吉岡係長はいうが、灯油を使ってエンジンの部品やチェーンなどを洗う行為は三十代四十代男性の中に、父親や先輩から教わってする者が今も多い。それを応用したのなら、範囲は狭まらず広いままだ。
もう一つ、昼間に木製家具の組み立て工場の焼却炉から発見されたレインコートからは、熱により変化が著しく人間の血液と分かる物が出たがやはりDNAの詳しい解析は無理だろうと、小刀はトリクロロエチレンと灯油で柄の中まで洗われていて人間の血液かどうか分からないらしい。よって被害者の血液かは判断できないとか。また焼却炉内の灰や微粒物を採取して調べたら人の髪の毛らしい物が数個見つかったらしい。レインコートの内部の汗からはDNAが検出されたそうだ。だから犯人が発見されれば、その被疑者と照合できると朗報が付け足された。ただし、過去の犯罪からのDNA照合で合致して者は見つからなかったそうだ。
「二日目だ。まだ被害女性の身元も犯人の男の身元も分かっていない。二日目で言うのは早いが、お宮入りさせたくないならもっと実のある報告を持ってこい」と吉岡は激励をした。もちろん事件発生からまだ二日目なので、苛立ちは見せてないが捜査が進んでいないことに不満を感じているのは会議室にいる全捜査員に分かった。荏原署の刑事部長も吉岡と同じく不満の顔をしていた。荏原署署長と蜂谷管理官はまだ冷静な顔をして真っ直ぐを前を向いていたが、明日も進捗状況に目に見えるものが無かったら吉岡以上に怒り出すかもしれない。会議は三十分で終了した。
その後、会議場ひな壇に一列に並んでいる上層部に、警視庁捜査一課八係の者は吉岡係長の元に、荏原署の捜査員は田中刑事部長の元に行き、自分が足で掴んだ情報や捜査しながら疑問に思ったこと、閃いたことを話に行く。
テレビや映画の刑事物のように全体会議で、捜査員が会議場にいる全員に聞こえるように自分が掴んだ情報を披露したり、捜査員全員で共有したりはしない。捜査に当たっている全員が知っておくべき情報は、捜査本部の上層部が毎日の朝と夜の会議で通達する。つまり多くの情報を持って、事件の推理をするのは吉岡係長や蜂谷管理官、荏原署の田中刑事部長たちだ。捜査員は犬よろしく情報を嗅ぎつけ、見つけ、咥えて持って帰ってくるのが仕事だ。自分も推理をしたければ試験に受かり、また警視総監賞をもらうような手柄を沢山あげて出世すれば良いのだ。殿山はこの資格がある。でも自分の意見が完全に固まるまで上層部に自分の推理を披露することはない。そこは自分の立場をよく分かっている。推理小説を読むような気軽な感じに、ロッキングチェア探偵よろしくの事件推理などできない。だから吉岡係長、蜂谷管理官を含めた上司に信頼されている。
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