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アーモンド・スウィート

 先輩の家は、学校から南に向かって歩き15分くらい進んだ通りの、一階、二階、地下に飲食店が入っている十階建て以上のビルに周りを囲まれた場所、さらに一本路地を入った所に、テラコッタの焼き物の破片が埋まった南欧風と表現するのか、地中海風と表現するのか他とは違う壁に周囲を囲まれていた。カメラ付きインターホンをピンポンと押すと、「良いわよ。押して入って来て」と先輩の声が返ってきた。インターホンの側には焦げ茶色のノミで削ったか、ナタで削ったのか斜めにザクザクと縞模様がついた木製の扉があった。前に、秀嗣の家の近所に住むおばさん家族がハワイへ行ったお土産といって持ってきたマカデミアンナッツチョコレートの箱にあった木彫りの像の絵に似ている。重そうだなと思いながら押したら、意外と軽くスーッと内側に開いたから驚いた。扉の中は鬱蒼とした庭で、植物に詳しくない秀嗣は何が何やら分からないが、ソテツみたいなギザギザした大きな葉っぱや、パイナップルを食べずに放っていたら5メートルも10メートル大きく成ったシュロやビロウみたない物から、梅、桜、柚、枇杷、小蜜柑、姫リンゴなどなど、そうかなーと思うものが幹の太さも丈の大きさも不揃いに植わっていた。平たい石が飛び石として置かれ、その上を歩いてゆくと奥に瀟洒な二階建ての三角屋根の家があった。絵本にでも出てきそうな庭と家、いかにも芸術家家族が隠れて住んでいそうだなと秀嗣は思った。

 家の玄関の扉の脇の柱に呼び鈴があり、押すとカラン・コロンとヨーロッパの教会の鐘が鳴っているような音が家の中で響いた。
 すぐに先輩は扉を開けて顔をだしてくれた。もしかしたら扉の前で待っていてくれたのかもしれない。秋色のいカーディガンが暖かそうで、ゴワッとしたオフホワイトにシャツ、藍色のスカート、スリッパという出で立ちで先輩は秀嗣を迎えた。「どうぞ入って。弟たちはお友達と外に出って行っちゃったし。ママもお友達と女子会、パパは横浜へに行って、わたししか居ないから」
「本当に誰も家に居ないんですね。先輩も先輩たちと買い物でも行ったら良かったじゃないですか?」
「遊海くんに家に遊びに来るように誘って、勝手にドタキャンしてクラスの誰かと買い物に行くっていうの?」
「……」
「迷惑な性格ね。わたしはそんな自分勝手じゃない。常識人よ」
 ボーッと立ってないで入ってと言われて、秀嗣は緊張しながら内玄関を入った。

 居間には、二人の女の人と一人の男の人、三人が並んで赤黒く暗い雰囲気の中に立っている絵が飾ってあった。絵の前で秀嗣がじーっと動かずに見ていたから、
「関根正二の『三星』のレプリカよ」
「さんせい? なんだか絵本の『すてきな三にんぐみ』か『11ぴきのねこ』を連想させる絵ですね。『100万回生きたねこ』にも似た雰囲気があります」
「(フフッと鼻で笑って)なに言ってるか分からない」
「前に、美術の教科書かな、学校の図書室にあった図鑑で見たのかな、目が異様に細く長い顔が四角い毛糸のマントを着た女の人の絵にも雰囲気が似ている気がするけど…あと、新巻鮭の絵にも似てる」
「……。目が細くて長い女の人は岸田劉生の『麗子像』でしょ? あと、『新巻鮭』はたぶん、高橋由一の『鮭図』かな? 高橋由一には焼き豆腐と油揚げを描いた『豆腐』という絵もあるのよ]
「豆腐っ! 身近ってうか、鮭とか豆腐とか家にある物を何でも絵にして良いんだな。今度僕もプリンとか鯛焼きなんかを絵にしてみるかな」
 冗談のつもり? と先輩は怒った顔をした。
「あなた描くばかりと言いながら、かなり絵をみてるじゃない」と先輩は言ったあとまた機嫌が替わり笑った。秀嗣は、怒ったりすぐに笑ったり忙しい人だな、ちょっと怖いなと思った。
「三人とも同じ年代の人なんですか?」
「さあ…? 高橋由一は江戸の終わりの人だったと思うけど。岸田劉生と関根正二は明治の頃の人だから…。高橋由一の油絵の影響を岸田劉生も関根正二も受けたかもしれないけど、詳しくは分からないな。明日、村山先生に聞いてみたら。美術の先生なんだから詳しいんじゃない」
 とにかく座って。飲み物を持ってくるから、と言って先輩は居間を出ていった。残された秀嗣は座らずに、先輩の家の中を眺めて歩いた。
 居間には『三星』の他にも、長く燃え立つ炎に吸い寄せられる蛾や蝶など虫たちを描いた物や、月夜の砂漠をあるくラクダのキャラバン隊の絵、壺に乗った男の人を赤、青の衣を着た二人の女性が下から支えるヘンな絵など沢山の絵が居間の四方の壁に飾られてあった。居間の中央に置かれているソファーセットもこだわりありそうで、イスは厚手の布地で出来ていて、柄はインディアンが着てそうな、インカ帝国の末裔のペルーの人達が着てそうな細かい不思議なボーダー柄で、テーブルは手作りなのか天板の周りがキレイに切り落とされてないままの厚い一枚板で、表面は磨かれて飴色に光っている。天井からはステンドガラスの笠の中に暖色系のLEDライト、光る川と星と蔦とペガサスと、メルヘン柄の床に敷くには小さい、テーブルに敷くには大きい絨毯みたいな縦1メートル横1メートルくらいの布が壁に飾られてあったり、陶器製の指ぬきが2~30個飾ってある棚と、なにもかにも秀嗣の好奇心が刺激されるヘンなもので居間はいっぱいだった。
 先輩がティーカップとティーポットを載せた銀のお盆を持って戻ってきた。お盆には砂糖掛けのラスク、干した果物も一緒にあった。
「うちね、コーラーとかサイダーなどのジュース類はママから買って貰えないからないのよ。あとカフェインも神経によくないらしくコーヒーもあまり飲まないのね。あるのはカモミールやカミツレのハーブティーかノンカフェインの紅茶だけ」
「あー、何でもかまいません。おかまいなく」
「このドライフルーツはママが電子レンジで作ったのよ。イチゴもマンゴーもアンズも。食べてみて、おいしいから」
 先輩はティーポットからティーカップに白湯のように白い、オレンジのようなリンゴのような匂いのものを注いだ。その間に秀嗣は薦められたマンゴーのドライフルーツを取り、口に入れた。
「どう? 美味しいでしょ。美味しいよね」
 秀嗣は干しぶどうと干しアンズ以外のドライフルーツを食べたことがなかったのでマンゴーを選んだんだが、イチゴはやっぱり生が一番と思ったし、生で食べるマンゴーに比べ干しマンゴーは酸っぱくはなかったが甘さも足りない気がするし、なんだか果物と言うより野菜のような匂いがして次は欲しいと思えない味だった。
「微妙ですね」と秀嗣は愛想笑いをした。
「微妙って感想はないんじゃない。美味しいか美味しくないかでしょ。口直しがいるってこと?」
「んー、次にラスクを頂きます。これも先輩のお母さんの手作りですか?」
「それは高○屋で買ってきたやつ。普通に美味しいと思う。じゃあ、イチゴを食べてみてよ。生で食べるイチゴと同じくらい美味しいから」
 先輩はかなり気分を害したようで、手渡しでイチゴのドライフルーツを秀嗣に渡してくる。秀嗣の考えすぎだろうが、貰ったイチゴには先輩の手の温もりがそのまま付いてきたように感じ、食べるときに胸が少しドキドキした。そしてイチゴの香りの他に先輩の手の匂いも付いているようで、イチゴ本来の匂いの他にある干し果物の匂いか先輩の手に匂いか分からない匂いに、イチゴのドライフルーツがマンゴーのドライフルーツ以上に表現し難い味に変わって感じられた。
「どう? イチゴは美味しいでしょ?」
「…はい。生と違った味ですけど、これはこれでアリだと思います」
「なにそれ。やっぱりダメ。遊海くん味音痴じゃないの?」
 味音痴と言われて秀嗣は傷ついた。普通に美味い不味いは分かるつもりだ。余所の家に呼ばれていくと、緊張していつも通りにいかないことはある。ここは話題を変えないとヘンなヤツと思われる、と秀嗣は考えた。
「そこの絵、『月の沙漠』の挿絵のような雰囲気がある絵ですね」
 座った先輩の背後にあった砂漠を渡るラクダのキャラバン隊の絵を指して秀嗣が言うと、先輩は後ろに反るように見た。
「藤島武二の『蒙古の日の出』ね。確かに、「月の沙漠をはるばると~」「金と銀との鞍置いて~」て感じの絵よね。砂漠とラクダといえば平山郁夫の絵が最近では有名だけど、藤島武二のこの絵のほうが『月の沙漠』っぽいよね」
「『月の沙漠』の頃に描かれた絵ですか?」
「たぶん違うと思う。それに『月の沙漠』は千葉の御宿の砂浜から連想して作られた曲じゃなかったかな」
「サハラ砂漠とかタクラマカン砂漠じゃなく、御宿の砂浜。御宿の砂浜ってばかデカかったですかね。砂漠をイメージするほど大きくなかった気がするけど」
「何度か海水浴に行ったけど、大きくないわね」
「そうでしたよね。…じゃあ、あっち男の人が乗った壺を下から二人の女の人が支えている絵はなんですか?」
 今度は先輩の左隣の壁に飾られている絵を秀嗣が指す。
「青木繁の『わだつみのいろこの宮』という絵。よく壺の上に乗った人を男の人と分かったわね。大概は女の人が三人描かれている絵とみんな思うのよ。上に男の人は神話に出てくる『海幸彦 山幸彦』の海幸彦なの」
「昔話の『海幸彦 山幸彦』。海幸彦は居るけど、山幸彦はいない?」
「海幸彦が竜宮城のような綿津見(わだつみ)の宮を訪れて、豊玉姫と恋に落ちる瞬間の場面を描いている絵らしいのよ。だから山幸彦はいないの」
 先輩はソファーに深く座り、片脚をもう一方の脚に組んでからティーカップを持ってゆっくりとハーブティーを飲んだ。飲みながら、真っ直ぐに秀嗣を観察するように見た。秀嗣は先輩の真っ直ぐな視線に恥ずかしくなった。顔がだんだん赤くなるのを隠すように次の質問をした。
「絨毯のような物を壁に飾ってるんですね」
「ああ、これはタペストリーていって部屋を飾るインテリアなの。絨毯とはちがうのよ。織物の絵のような感じね。作品なの」
「家の外も中も芸術って感じで、全部、本物に触れる主義なんですね。先輩の家は」
「絵は全部3Dプリンターのレプリカよ。贋作防止で本物の絵と縮尺も違うし。作家の筆の線とか絵の具の厚みなんかを近くで見たり、あまりやるとパパに怒られちゃうんだけど実際に絵に触ってみたりして、わしたち三人の子供たちの絵の勉強の為に父が買って飾ってあるのよね」
「英才教育というやつですか?」
 秀嗣は意味も分からず難しい言葉を使ってみた。先輩が秀嗣に話してくれる話しの半分しか分からず、なにかそれらしい言葉を使わないとバカにされると思ったし、逆にガッカリさせてしまうんじゃないかと思って。
「英才教育ね? パパは私たち三人を画家にするつもりはないはずよ。例えば東京藝術大学を出て画家で生きてゆこうと思ったとして、100人に一人かな、500人に一人かな、まー卒業生10年に一人くらいしか思い通りに絵一本で生活できないと思うわ。時代の寵児か、まぐれ当たりのラッキーマン、ラッキーガールか、50年に一人の天才100年に一人の天才か、とパパは私たちに言ってる」
「一生の趣味として、絵を描いて欲しいわけじゃないでしょ?」
 先輩に話しは秀嗣にはピンとこない。つまり先輩のお父さんは子供たちに自分の後を継いで画家に欲しいと思っていないということだろう。なのに子供たちの為にレプリカの絵を家に沢山飾ってる。画家になって欲しいとは思ってないと子供たち言いながら絵の勉強をさせて、画家か、もしくは美術の先生になって欲しいと思っているんじゃないのかな?
「パパは確かに画家よ。まあ1年に一枚か二、三枚絵が売れる作家だけども。絵を売ったお金だけでこの家に住むことも、わしたちを養うこともできないのよ。それこそ趣味で絵を描きたい人に絵を教えているし。東京藝大などの美術大学に入りたいと思っている受験生に個人レッスンでデッサンを教えてお金を稼いでいるのよ」
「つまり正確にはプロではない。…セミプロ?」
「画家や小説家にプロもセミプロもないんじゃない。絵が売れる、書いた小説が売れる。売れた作品だけで生活できる。副業が他にある。書く以外にバイトをしている。と違いがあるだけで。新聞記者も雑誌記者もある意味自分が書いたもので生活しているならプロと呼ばれるでしょうし。小説家や脚本家という創作のウェイトが重い人達をプロと呼んでいる人達からすれば、違うと言われるでしょう。絵も、挿絵画家、イラストレーター、デザイナーなどいわゆるみんながイメージする画家とは違う仕事をして絵を売っている人もいるわけで、そこに優劣はないでしょう。分かる?」
 秀嗣は、なんだか先輩を怒らせてしまったようだ。
「分かるような気がします。じゃあ、先輩は絵を売って生活できる画家に将来なりたいと思ってますか? 芸術家になるという、線路が敷かれてる今に縛られたくないですか?」
「別、画家になるように敷かれている線路はないわよ。学校で美術部に入って絵を描いているのも好きだからで。パパやママに強制されているわけでも、描くようにお願いされているわけでもないから」
 秀嗣は興奮している先輩に冷静になってもらおうと思い、間を置くためにわざとらしくハーブティーを一口飲んだ。先輩も興奮してしゃべって喉が渇いたらしく秀嗣と同じようにハーブティーを一口飲んだ。
「先輩は、絵を描くのが小さな子供の頃から好きだったんですか? 物語りを書こうとか、歌手になろうとか思ったことは?」
「絵は好きだから描いているんで、歌が嫌いなわけじゃないし。カラオケにクラスのみんなと学校に内緒で行けばアイドルソングでもアニソンでも歌うし。それにショートストリーも書いてみることがたまにあるかな。まあいろいろ、自分の可能性を狭めない工夫はしてる」
 先輩は多彩な才能を持ってるんだな。僕とは大違いだと思った。
「好きな画家は誰ですか? 絵に限らず憧れてる人でも」
 先輩はカップをテーブル戻し、秋色のカーディガンの前を引くように合わせてから腕を組んだ。
「そうね……、ノエ○ア化粧品の広告で有名な鶴田一郎さんとか、最近注目されている中原亜梨沙さんとか大竹彩奈さんとか、美しい女の人を明るい色で書く人が好きね」
「えーっと……教科書に載ってる人ですか?」
「まだ教科書に載ってないし、たぶん学校の教科書に載ることはないんじゃない。最近の現役の作家さんたちだけど、日本美術の年代的に価値があるという風にはならないと思うから。ただ絵画好きの間では有名な三方よ。覚えておいて損はないよ、遊海くん」
 秀嗣は、かなり先輩に圧倒されていた。自分が教科書で見た偉い作家の絵だけではなく、現在の日本人の画家も知っているなんて。十歳と十一歳、十二歳の一才の差では埋まらない、生まれながら古今東西の絵に親しんでいる先輩と自分とでの情報量は差は、何なんだろう。先輩が羨ましいのか、先輩とお茶を飲んで話しているのが恥ずかしいのか、上手く頭が回らないから、頭も胸もカーッと熱くなっていて、胸とお腹の間はむず痒くて、先輩を前にして座っているの堪らない。
「あと、憧れてる人ね……」と天井を見つめながら、ウ、フ、フッ…と先輩は笑って。
「内緒」と言ってから、また先輩は秀嗣の目を真っ直ぐに見た。
                            (つづく)

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