シリアルキラーが女を愛するわけ 17

 男は翔馬を殺し、彼の性器を切り取った後にすることがあった。それは、学生の頃にバイトしてた工場の敷地に飼われている犬に、茹でた翔馬の性器を食べさせて消すこと。杏紗あずさ、翔馬の殺害に使った覚醒剤のパケ袋、注射器、性器切り取りに使った小刀、レジャーシート、洗面器、風呂敷、雑巾、トリクロロエチレンと灯油が入っていたガラスの容器、杏紗殺害の時に着ていた服一式、翔馬殺害の時に着ていた服一式、靴など全てを燃やし何も残らないようすること。
 杏紗と翔馬の殺害の後も、本田あやみと福田辰弥殺害の予定がある。
 殺し続けることは、本当は間違っているかもしれない。

 人を殺すことは男にとって、精神を安定させる一番効き目がある行為だった。いくつも精神科クリニックに通った、沢山のカウンセリングも受けた、沢山のプログラムを真面目に実行した。でも駄目だった。男の心は穏やかにはならなかった。どんどん暴力的になっていった。
 最初は、日常的にイライラする気持ちをどうにかして抑えたかった。上司からは「アンガーコントロール」の講座にでも通って、怒りをコントロールする術を学ぶなさいと言われた。怒りのコントロールの仕方は分かったが、イライラは絶え間なく男を襲った。
 男は学生の頃から格闘技系の運動はおろか、球技、陸上すらやってこなかった。暴力は振るいたいが、喧嘩にはなりたくない。一方的に誰かを痛めつけたいと思った。

 ある深夜、目の前を無防備に酔っ払って千鳥足で歩く女を見かけた。女は揺れる船に乗ってでもいるように、何度も道端に両手ついた。レイプできるかもしれないと想像した。しかし、酔っているとはいえ大声は出せるだろう。後ろから口を塞ぐだけで、女は言うことを聞くだろか。たぶん聞かない。大声を出して暴れるにちがいないと思った。
 でも、見ず知らずの人間に対して暴力的な行為ができるチャンスかもしれない。男と女以外には、奇跡的に誰も歩いていなかった。素早く事を行ったならば、誰にも知られずに暴力行為が終われるかもしれないと思った。
 心臓と言わず、胸、お腹、身体全体がドキドキと脈打った。

 男は慎重に雑種が飼われてる工場の敷地に向かった。もしかしたら警察が工場を辿り着いているかもしれないから。駅から工場に向かう途中、塀の周りの隠れられる場所を真剣に観察して歩いた。警察官が隠れている様子は無かった。警察車両とおぼしき車も不自然な場所に停まっていなかった。決心して工場の門をくぐり、守衛室の前で初老の守衛に声を掛けた。以前の守衛と人が違っていた。初老の守衛は男がバイトしていた当時は見かけなかった男だ。初老といえど身体を鍛えている雰囲気がある。警備会社の人間ではなく、警察官だったら男の計画もここで終わる。
「裏に飼われている犬に茹でた肉をあげようと思って」
 男は自然なように声を掛けた。工場の敷地内を少し入らせて貰えないかと、茹でたスジ肉と翔馬の男性器の入ったビニール袋を掲げて見せた。
「犬? 犬にあげる為に立ち入るつもりかね。ちょっと会社の人間に電話で確認するから待ってて」と守衛の男は祐輔に言った。
「いや、今忙しい時間帯でしょ? わたし、以前ここでバイトしていたから知ってるんだ。本当に犬に肉をあげるためにちょっと立ち入るだけだから。なんなら、以前働いて居た○○○○が来たと、後で報告したらいい」
 男はそう言って待った。初老の守衛はすぐに、工場へ内線で連絡をした。
「○○○○なる者が、犬に会いに来たと言っている」
 後で、男が来たと伝えれば良いと言ったのに、初老の警備員は会社内の誰かに男が来た伝えた。今が深夜で、誰も側にいなくて、監視カメラも動いてなかったら、警備員を殺していたかもしれないと、男は思った。
「あっ……そう、…はい。じゃあ入らせて、犬の所まで私がついて行けば良い訳ですね」
 人とは接触したくないと男は思っていたが、セキュリティーを万全にする昨今の流れからすればしかたがないと諦めた。
 守衛は、「ただいま巡回中」の札を守衛室の窓口に吊して、ドアの鍵を閉めて出てきた。
「貴方は三週間前も来たそうですね。そんなに犬が好きなんですか? それとも、ここの犬に特別思い出があって来ているんですか?」
 少し迷惑そうに初老の守衛は男の前を歩くようにして言った。男は黙って守衛の後を付いて敷地の中に入った。
 守衛は自分の問いに何も答えない男を振り返り一睨みしてきた。犬に肉を食べさせ、翔馬の男性器を隠滅すれば割り切っていたので、あとは無駄話しは必要ないと答えなかった。きっと不審な男と、守衛は男を覚えるかもしれない。
 工場の裏に回って、ゴールデンリトリバーの雑種が入っている大きな檻の所まで二人で行った。犬は昼寝の最中だったようで、男と守衛が近づいても耳をピクピク動かして様子を聞いているだけで、顔を上げなかった。守衛と男が目に前に立って、やっと薄目を開けて二人を見るが、まだ身体を起こそうともしなかった。
「ポチ、ポチ、ポチ……。今日も肉を持ってきてやったぞ」
 男は犬の本当の名前を知らなかった。犬なら「ポチ」、猫なら「タマ」と普通の日本人が言うのをマネして言ってみた。ビニール袋からまずスジ肉の大きな塊を出して犬の鼻先に近づけた。犬は大きなアクビを一つしてから身体を起こし、一回背筋を伸ばすノビをして、身体を大きくブルブルと震わしてから、男が手にしているスジ肉の大きな塊に近づいて来て檻越しガブリと食べた。四・五階咀嚼したらゴクンと飲み込んだので、次に中くらいのスジ肉の塊を犬に出した。それは一噛み一飲みだった。翔馬の肉を素早く出し犬の口に押し込んだ。一飲みに消えた。最後にもう一つスジ肉の塊を出そうとしたら、後ろに立っていた守衛が、
「もう良いだろう。この犬、二日前まで腹を下していてゲーゲー食べた物を吐いていたんだから」
 二日前まで食べた物を吐いて居たと聞いて男は青くなった。消化されず、糞にならず吐き出されたらたまらない。仮に警察がその犬の吐瀉物を持ち帰って鑑識で調べられたら、翔馬のDNAが出てしまうかもいれない。それは計算外だった。
「飼い主の、工場のオーナーにそんなに可愛がられていない犬なんだよ。獣医に診せることもなかったよ。あんた、この犬が可愛くて以前の職場に来て犬に餌をあげに来るんだろう。そういう人が一人でも居るってことは、犬でも人間でも幸せだよな」
 犬に同情するような眼差しで初老の守衛は言った。根は男より優しい人なのかもしれない。
「はい。今日はこんな物で止めておきます。…じゃあな。ポチ」
 と言って男は檻の前から離れた。そして守衛の後に付いて行くかたちで帰りも従った。

 処分する道具を取りに部屋に帰った。途中、大手のレンタカーハウスでミニバンを五日間借りた。運転するのは五年ぶりくらいになる。大学入学と同時に車の運転免許は習得していたけれど、車をローンで買う金はあっても都内に車庫を借りるお金まではなかった。車を使うときはもっぱらレンタカーを利用していた。それも都内では電車が発達して便利だし、それより短い距離は自転車を使ったほうが安上がりで便利だと気がついた。今ではほとんど車を使ってない。今回は運ぶ荷物が多すぎる。目立ちたくないのに大きな荷物を幾つも持って電車移動すれば嫌でも目立ってしまう。それに少女殺害と少年殺害に使った道具を消滅させたら、明日でも引っ越しをしようと考えている。用心に超したことはない。あやみは結局訪ねてこなかった。福田辰弥に元に戻って、二人で笑って居るんだろう。
 道具をミニバンの荷台に全て積み込んだ。歯槽膿漏で苦しんでいる用務員の老人がいるクリーニング工場がある。その工場は知っている中で一番火力がある焼却炉を使っている。工場では、三十くらいの男と老人と二人で焼却処分する物を燃やしている。三十代の男が居ない時を見計らって、老人の元に通っている。規則、法令とうるさいので避けてきただけだが、殺人計画を思いついてからは、何もかもが終わった後の証拠隠滅に使おうと関係を続けてきた。用務員の老人とは近所の二百五十円弁当を売っていたお店で知り合った。老人は歯と歯茎が弱くなっていたので硬い物は食べられない。これ以上歯にお金が掛かるのを嫌がって、食べる物にお金を使わないようにしているらしかった。歯医者に通ってもちっとも良くならないのは、老人が甘い物に目がないからだ。甘くて噛まなくても良い物が大好物だった。
 工場に向かう途中、日本橋『長○』に寄って、名物の「くず餅」を一つ買って来た。ここのはくず餅と包み紙に書いてあるが本当はわらび餅なのだ。普通の人がイメージするくず餅より相当柔らかいお菓子だ。老人もきっと喜ぶだろうと思う。
 クリーニング工場に着いた。ここのクリーニング工場は主に近隣の工場の作業着を扱っている。他には老人ホームや養護施設などから出る洗濯物も扱っているらしい。工場の稼働は二十四時間、三交代制で機械が動いている。定期的に洗濯をしているとすぐに駄目になり、ボロ着が出る。繕うサービスもしているらしいが、大概の場合は処分をお願いされるそうだ。そこで大型の焼却施設がいり、大量に出るボロを燃やす。火力は相当あるようで、布製品だけでなくクリーニング工場から出る諸々の物も、地域に汚染をばらまかない範囲で一緒に燃やしているそうだ。その仕事を、用務員も三交代で行っている。
 老人のの勤務時間は朝の七時から夕方の四時、五時まで。午後三時頃、丁度三時のおやつ休憩の時間を狙って行く。工場の側に車を停め、敷地の中を、囲んでいる壁の上から覗いてみる。
 午後三時という時間なので三十代の男は勝手に、おやつならず煙草休憩をとってどこかに行っていた。車を門の所まで移動させた。守衛が出てきてミニバンに近寄って来た。
「どんなご用です?」ミニバンを怪しむでもなく聞いてきた。
「中央区役所の養護施設から。洗濯物と処分をお願いしている物を持って来ました」
「あっ、そう」
 ミニバンの荷台に載っている風呂敷に包まれた四個の荷物を見て言った。
「今日は聞いていないけどねぇ」
 やはり不審がる様子もなく守衛は答えた。
「じゃあ、連絡がまだなんですね。役所仕事ですから、直ぐやれって他人には言いながら、自分たちはのんびりと午後連絡すればいいや、明日連絡すればいいやって感じでいるんでしょ」
 と普通の事のように答えた。
「分かった、分かった。後から連絡が来るんだね。入って良し」
 守衛は納得して通してくれた。当然、クリーニング工場の方には車を回さず、裏の焼却施設の方へミニバンを回した。
 老人は焼却炉の下に設置させている灰取り窓から、冷却した灰を掻き出していた。ミニバンが近づいて行くと、曲がった腰を伸ばしながら腰を強く何度も叩き、車の運転席の祐輔を確認して驚いた顔をした。それも直ぐに笑顔に変わった。
「こんにちは」
 ミニバンの運転席の窓を開け祐輔は笑顔で挨拶した。
「おう。久しぶりだな。ケーキの工場辞めたんだってぇ」
「ええ、一ヶ月前くらいに。別の仕事場に移りたくなっちゃって」
「うん。まあ…若いヤツはしょうがないな。若いうちはどうにも足下が浮ついていて」
 くず餅を持って、ミニバンから下りた。
「これ食べて」
「おっ、くず餅って書いてあるね。しかも日本橋『長○』のだね」
 灰を掃除する手を止めて相好を崩した。
「これなら柔らかいし、おじさん甘いの好きだろう」
「柔らかくて甘いのは目がないよ。歯槽膿漏でも良かったと思うのは、歯茎や歯が悪いのはちっとも良くないけどね、柔らかいものなら歯茎が残っていれば問題なく食べられることだよ。辛いの酸っぱいのは染みるけど、甘いのは我慢できちゃうだよね不思議に」
「お願いがあるんだけど」
「じゃあ、これは賄賂かい?」
 老人はニカッと笑った。
「そういう訳じゃないんだけど。一番は、おじさんに約束していた『長○』のくず餅をね、食べさせたくて」
 約束という言葉をわざと入れて老人に聞かせた。
「有難いね。まあ、一つくらいは言うことを聞いてやなくちゃ罰が当たるね」
 ミニバンの後ろに回って、バックドアーを開けて風呂敷を一つ持ち上げて老人に見せた。
「これなんだけど。四つ有るけど、良いかな?」
「風呂敷四つね。中は何が入ってるんだい」
 老人はミニバンの後ろまで来て、荷台を覗いた。殺人の時に使った、一度は洗濯した服の上下が包まっている風呂敷を開けて見せた。そしてレジャーシートが入った風呂敷も開けて見せた。
「こんな感じに、燃える物と普通に燃やすと有害物質が心配な物と分けてはあるんだけど」
「近所のゴミ集積所に出しても持って行ってくれるだろうに」
「いや、近所にゴミを漁るおじさんが居てね。そのおじさんの家は近所からゴミ屋敷なんて言われているんだ。漁られるのが嫌だなと思って」
 老人は納得して頷いた。
「ああいう男や女やつらは困ったもんだよね。テレビで言ってるけど、淋しいのか、世の中に不満があるのか知らないけどさ」
 服が包まった風呂敷とレジャーシートが包まった風呂敷をおじさんに渡し、自分は洗面器やガラス瓶、小刀、血が付いた大量のボロ切れが包まった二つの風呂敷を持って、おじさんの後ろを追った。
「一度火が落ちたあとだが、すぐ午後の分の燃やすぶんが出てきて、また焼却炉の釜一杯になるさ。釜の奥の方へ投げて置けば分からないし、あとのヤツもわざわざ引っ張り出して分けようとは思わないよ。火力が凄いから、結局燃やしてしまえば有害物質も何も、空に広がって「はい、さよなら」ってもんさ」
 老人は焼却炉の釜の蓋をスイッチで開けた。釜の中は一畳・二畳ほどあり、おじさんは大きな手鞠でも投げるように持っていた風呂敷二つを釜の奥に投げた。自分が持っている風呂敷二つも、老人が投げた場所に投げた。
「そろそろ、ペアを組んでいる男の人が煙草休憩から帰ってくる頃だね。彼はうるさ型だからね。そろそろ消えるよ」
「なぁに、ヤツにだって何も言わせないよ。…でも、居ない方がいいかな。急に工場長が自分で持ってきて釜に放り込んで行ったとでも言うよ」
「またね。また甘い物持って、おじさんの顔を見に時々来るよ。今度は頼み事なしだよ」
「まあ良いって、何でも理由を付けて会いに来てくれよ。今時間は、おれも暇してんだから」
 ミニバンの運転席に戻ってエンジンを始動させた。老人は一方の手に持ったくず餅も掲げて、「またな、またな」と手を振って見送ってくれた。こちらもハンドル片手に、一方の手で何度も手を振った。
 工場の出入り口の所にそのまま戻り、もちろん中央区役所から来たというのは嘘で、養護施設の洗濯物など最初からない、門の所で車を乗降させて守衛に軽く頭を下げて工場の敷地から出た。焼却炉に火が入るまで見届けられなかったは心残りだが、しかし三十代の男に祐輔の姿も車も焼却炉の側で見られるのは危険だと考えた。このクリーニング工場で姿を見られたのは、守衛と老人だけだ。守衛は沢山の人間が出入りするので忘れてしまうだろう。老人とは特別に約束した訳じゃないが、今日のことはしゃべらないと思う。それは持ち込まれた物を規則に反して燃やしていけない分かったうえで、焼却処分を引き受けてくれたからだ。もし不燃ゴミを燃やしたと分かれば、時々は工場から出る物を無頓着に燃やすのに、老人は工場の用務員を即クビになるかもしれない。そう考えれば、今日持ち込まれたゴミのことは、黙っているのがいい。そう誰もが考える。
 究極的には賭けになる。三十代の男が見つけない、見つけても風呂敷を引っ張り出さない。警察が見立てと違って隠れて居ない、警察が後を追ってクリーニング工場に辿り着いても風呂敷を発見しない。警察は証拠が燃え切るまでに辿り着けない。などなど賭けているところがある。逆目なら計画はここで終わる。あやみと福田辰弥に辿り着く前にゲームセットというわけだ。

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