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アーモンド・スウィート 肝試し③

 六人で階段を上がって、二階は診療所の受付だった。胸の高さくらいカウンターで、受付事務所と患者が分けられていた跡だけが残っている。沢山の書類が入っていただろう棚類は全部取り払われていて今は無い。受け付け事務所の机もイスも電話もない。患者が待つソファーもない。
「本当に何もないな」豊臣がカウンターをトントンと叩きながら言った。
「奥に処置室と天井から札が下がった部屋があったが、何も残ってないんだ。点滴の薬袋やアルコールが入ったペットボトルでも残っていたら良かったんだけどな」義隆が残念そうに言う。
「上がろうか」
「だな」
 三階は検査室が三部屋と診察室が二部屋あった。検査室は四畳半くらいの大きさのが三部屋あり、レントゲンと撮ったり、胃カメラを撮ったりする部屋と、別れていたようだ。想像だけども。診察室は、勤務医が二人居てひと部屋ずつ与えられていたにかもしれない。やっぱり三階の奥にも処置室あったようだ。
「怨霊も出てこないな。壁に黒い染みでもあらば期待出来るのにな」
「ただホコリっぽいだけで、つまらん」益男がイライラしている。
「夜逃げした感じに、もう少し色んな物が残っていれば良いのにな」言い訳がましい言葉しかでない義隆もイラついている。
 四階は大きい院長室があったようだ。院長専用の診察室もあり、奥に院長専用の処置室があったようだ。VIPの患者でもいたのだろうか。二階、三階、四階と処置室があったところを見ると、人間ドックだけをしてお金儲けをする診療所ではなかったのかもしれない。悲喜交々があったかは分からないが、頭痛がする、腰が痛い、背中が痛い、下痢が止まらない、目眩がするなど困り事に対処していたのかもしれない。
「普通、病院とか町医者なんかに行くと消毒液のニオイがするものだけど、ホコリのニオイと床のリノリュームの石油臭いニオイしかしないな」豊臣は飽きている雰囲気だ。
「これで診療所エリアは終わり」
 義隆の後を追うように、しかしバラバラとダラダラと五人は階段を上がった。五階にはドア付きのパーティションに仕切られた部屋があったらしい。パーティションの半分の辺りにアクリルのガラスが全部にあって、フロアーの中はみえるが、中の事務所が細かく一メートルくらいのパーティションで仕切られてたと分かるだけだ。中央のドアのガラス部分に「京橋○○司法書士事務所」と書いてあり。またドアは鍵が掛かっていて中に入れなかった。
「何だよ! 五階はこれだけ?」
「上に行こう。窓の外が見られるかもしれないから」
「だと良いな。階段を歩いて上がって良い運動に成りましたってオチじゃ締まらないからな」益男は義隆の提案に乗って、肝試しに来たことを後悔している雰囲気だ。
 六階は税理事務所が入っていたようだ。と言っても六階のフロアーは何もなかった。この階はパーティションもない。最上階の七階が弁護士事務所だったことは、来た時にビルを見上げ、ビルについてあった看板を見て分かっていた。
 フロアーに何も無いから、五階のように遮る物がない。カウンターもないし、パーティションもない、ドアもない。書類棚もない、机もイスもない。鬼ごっこが出来ると思えるくらい広く、何も無い。隠れ家に持ってこいだ。火気厳禁でなければ花火だってやれる。ビルごと使って、エアーガンでサバイバルゲームにも良いかもしれない。
「窓の外、見る?」幸輔が豊臣を伺う。
「もう一階上に上がってみるべ。少しでも高い場所から夜景を眺めた方が良いべな」どこの訛りか、豊臣の返事が変になっている。
 七階に到着する。階段は屋上まで続いて居るようだが、屋上に向かう階段の所に何だからわからない資材が山と積まれてあった。七階までは窓から外の灯り、隣のビルの灯りが入ってきていたので、完全に真っ暗という訳ではなかった。だが、屋上に向かう階段の上は窓がないのだろう、真っ暗だった。また弁護士事務所は司法書士事務所の階の簡易的なパーティションではなく、木目調の高級な仕切りだった。司法書士事務所と違い、窓ガラスもないので、中がどうなっているのか分からなかった。
「屋上は行くのをやめような」豊臣が義隆に確認する。義隆も頷く。
「怪我したら、バカみたいだから」と秀嗣も頷く。
 念のためにドアノブを回して見た。ここも鍵が掛かっていた。
「結局、バカみたいだったな俺たち」イラつきが我慢できなくなった益男は、義隆を睨んだ。夜の益男は、昼間と別人のようにヤンキー化すると思った。たぶん義隆も豊臣も思っただろう。義隆と一触即発という感じになった。義隆はどっちかといえば24時間365日いつでも素行不良なので、睨まれたら臆するタイプではなく、口より先に手が出るタイプだ。しかし、「泣いたらたがが外れ、強いヤツ」ではないが、「夜に成ると気持ちが大きく成り、怖いヤツ」に変身するタイプの益男は注意しないといけない。間違ってオオカミ男にしてしまったら、場数の経験が多いはずの義隆すらもやられてしまうだろう。豊臣や幸輔、凱了、秀嗣の見てる前でボコボコされるのは避けたいと思ったとおもう。
「ごめんな」と義隆は益男に素直に謝った。
 じゃあ帰ろうか、となったところで階段から足音が聞こえてきた。トン、トン、トンと。「誰かいるのか?」と問う声もなく誰かが上がってきている。まだ時間は夜の十時なので、工事関係者が確認のためにビルを見回っていてもおかしくない。だけども、黙って上がって来られるのは怖い。
「解体業者かな」豊臣が義隆の顔を見て呟いた。
「かもしれない」
「階段やフロアーの埃に、六人分の足跡が残っているのに気がついて、上がってきたのかな?」と凱了が泣きそうな声で言った。
「かもしれない」
「どうする?」
「ここ(弁護士事務所)に隠れられればいいんだけどなー」
 義隆はドアノブをゆっくりと、しかし力一杯回した。ドアの鍵はビクともしなかった。次に豊臣が力いっぱいドアノブを回した。次に秀嗣が回した。
次に凱了が回すためにドアノブを握ったところで、フロアーの奥で、ギーィという音がした。その方向を見たら益男がフロアーの奥に立っていて、目の前のパーティションを真っ直ぐ押していた。
「こういうのはよ。一枚くらい緩くなってることがあるんだ。緩くなっているのを会社の人間は気付いていたけど直してなかったとう感じでよ」
 子供ひとりが横向きになれば入れる位の隙間が開いたので、益男から先に六人は中に入って隠れた。
 中はやはり木目調のパーティションで仕切られていて、入って直ぐの部屋は八畳くらいの広さがあった。益男は中側に通じる部屋のドアに近づき回した。事務所の中のドアは鍵が掛かっていない仕様なのか、すんなり開いた。幸輔を階段そばの鍵が掛かっているドアの所に待機させ、七階まで足音が上がってくるか見張らせた。
 義隆、豊臣、秀嗣、凱了、益男は、あと七部屋ある仕切られた部屋の探索に向かった。やはりどの部屋のドアも施錠されてなかった。秀嗣が入った部屋は表通りに面した部屋で、窓の所にカーテンがまだ下がっていた。中は六畳くらいの広さだったので、弁護士先生の個室だったんじゃないかと想像した。直ぐに廊下に出て、隣の義隆と廊下で顔があったので確かめたら、彼が入った部屋も六畳くらいの広さだったらしい。表通りに面してなかったので、窓もカーテンもなかったとか。
「破いた紙屑が何枚か床に落ちてただけで何も無かった」
「部屋のあるじは弁護士だったろうからな、重要な書類を破いて捨てていったとは考えられないから、意味ないかもな」
「要らなくなった私物が残っているのを期待したが、このビルのどの階の人間も何も残して行かなかったな」
「私物は全部持って行ったんだろう」
「つまんないから、(紙を)燃やしちゃうか」義隆の目が光った。
「いま、誰かが上がって来てるのに付け火は不味いんじゃないか」
「上がってくる前に燃え尽きるだろう」
「燃え広がらないかもしれないけど、煙は隠せないだろう? 止めておいた方が良いって。余所の学校のバカのマネをすることないって」
「別に、バカのマネをしようとしているわけじゃねーよ」
 と話していたからか、煙臭いニオイがしてきた。廊下に出て様子を見ると、秀嗣が入った部屋の向かい側の部屋から臭いが漂って出ている気がする。義隆と一緒に部屋に入ると、益男がタバコを吸っていた。
「おい! ガキのうちからタバコを吸うのを止めろ!」秀嗣は益男に言った。「ちぇっ!」と言って益男はタバコをもみ消した。
「タバコ持ってきたのか?」義隆が益男に聞いた。
「まあな。窓の外を見下ろしていたら、何だかタバコを吸いたくなったんだ。本当はビルの屋上で一服するのがオレの流儀なんだが、屋上に出られないみたいだからな」
「ビル征服ってやつか!?」秀嗣は呆れた。
「まあな。達成感と開放感だな」
「まずい、ここまで上がってくる。足音が止まらない! どんどん足音が大きく成ってくる」幸輔が廊下の先、入り口で慌てて居る声がした。「不味いな」と義隆と益男と秀嗣で顔を見合わせた。
 とりあえず凱了も呼び、最初に入った部屋に義隆と益男、秀嗣、凱了は隠れた。そこで壁に耳を付けて階段の様子を窺った。幸輔を小さい声で呼んだが、幸輔は返事をしなかった。一分くらいして幸輔が部屋に入ってきて、
「豊臣が居ない。知らない?」と聞いた。
「あれ? 豊臣は……知らない。どこかの部屋に居るんじゃないか?」
 そういえば、益男のタバコが煙っていたときも豊臣は姿が見せなかった。
「どこに行ったの?」幸輔の顔に不安の色が見える。
「オレ、自分の目の前の部屋に入ったから、豊臣に気付かなかったけど」
 義隆が言って、「おれも」と秀嗣、「俺も」益男も豊臣を気にして居なかった正直に答えた。
「凱了は覚えているか?」と聞かれ、凱了は天井を見て思いだそうとした。
「この部屋の隣、…の部屋に入ったと思うけど」
 言われて直ぐに幸輔は隣の部屋に向かった。直ぐ戻ってきて。
「ドアが開かない。鍵が掛かってるみたい」
「ノックしてみたか? 俺たちの入った部屋は全部鍵が掛かってないかったが、フロアーに一つだけ、無人だけど鍵が掛かった部屋が合ったかもしれないから、念のためにノックしてみろ。中に豊臣が居れば返事するんじゃねーか。中に誰も居なければ、別の部屋にいるんだろう。俺たちも全部の部屋に入ったわけじゃないからな」
「ノックはしてみたけど、中から返事がなかった」
「じゃあ、別の部屋だろ」
「まー、豊臣のことは放っとけ。とにかく逃げるから、部屋に入ってドアを閉めろ」と義隆は幸輔を手招きした。
「ぼく、豊臣が心配だから、もう少し探す」幸輔は部屋のドアを閉めて消えた。
「…ったく。勝手にしろ、二人とも」義隆は怒りを口にした。
「上がってきた。いま、ドアの前にいる感じ」凱了が、義隆、益男、秀嗣に囁いた。三人も集中して聞き耳を立てた。でも不思議なことに、ドアの前から誰かが動く気配がない。きっと上がってきた誰かも聞き耳を立てたているのかもしれない。暗い部屋の中で、四人は緊張した。
 生唾を飲み込めば聞こえてしまうんじゃないかと思えるくらいシーンとして、物音がしなかった。
 一分、二分くらい経っただろうか、ガチャガチャと鍵が差し込まれる音がした。そのスーっという音、カチとドアノブが回され開ける音がして、ギーィとドアが開かれた。しかし、誰かが入ってくる足音はしない。部屋のドアは閉まっているので、だから聞こえないのかと思うが、歩く足音を幸輔も凱了も聞いて居たのだから、内側ドアからではなく外に通じる壁から聞こえても良さそうだと秀嗣は思い直した。でも念のために凱了と義隆に「足音が聞こえるか?」とジェスチャーで聞いた。二人は交互に、首を横に振り「聞こえない」「まだ待て!」と秀嗣にジェスチャーをして返した。
 コツ、コツと、大人の男性、誰かが再び歩き出す音が秀嗣にも聞こえた。
 緊張が増すと共に、足音が聞こえて安堵した。少なくとも怪談話しでされる、足音だけするお化けではない、と秀嗣はほっとした。あとはタイミングをみて逃げるだけだ。この部屋のドアが開けられるか、豊臣か幸輔が誰かに見つかったか、聞き耳を立てた。誰かの足音はフロアーの奥に遠ざっていった。入ってきた誰かは、一つ一つの部屋のドアを開け中を確かめず、奥に向かっている。豊臣か幸輔の姿でも分かるのか。それとも秀嗣たちには分からない目的があり、七階まで上げってきたのか。
「行くぞ!」義隆が三人に手招きをして、最初にパーティションの隙間を潜り、部屋の外に出た。益男、凱了、秀嗣と続いた。部屋の外の廊下で止まり、様子を窺った。また足音が聞こえなかった。持久戦かと秀嗣が覚悟をした時に、義隆がスルスルと足音立てずに動き、階段の所まで行った。そして音を立てずに階段を下りて行った。益男も直ぐに続いた。凱了は躊躇していたが、秀嗣が「早く行け!」と背中を押したので、ぎこちない足運びながら階段まで素早く行った。秀嗣も義隆や益男のように上手く足音を立てずに歩けるか自信がなかったが、見つかりたくない一心、早く帰りたい一心で足を動かして階段まで移動した。途中、開けられたドアの方を見た。誰かの姿は暗くて見えなかった。誰かは懐中電灯も持っていないようだ。階段の方が暗いので秀嗣たちが見つかる心配は少ないと思ったが、それにしてもライトも点けずに歩き回っていると思うとぶきみだ。あとさっきまでしなかった油と鉄のような臭いがするのに気付いた。一瞬止まっただけで階段まで急いだ、義隆と益男が七階と六階の真ん中の踊り場で待っていた。「行くぞ!」と義隆が手招きして、凱了と秀嗣はまた頑張って階段をスルスルと下りた。六階まで四人で辿り着いた所で、
「豊臣と幸輔が見つかった様子がないみたいだな」義隆が七階の様子を天井を睨みながら言った。
「五階に達したら、足音を気にせず、逆に足音を立てて下りて行こう。七階に見回りに来た大人に聞かせるように下りて行けば、気を引いて、豊臣と幸輔が逃げる援護になるんじゃないか」と考えを義隆は言った。
「どんなヤツなんだろうな。ちょっと不気味だよな」
「豊臣が消えたのも変だし、見回りの誰かの足音だけで声がしないのも変だし、懐中電灯も点けてないのも変だよ」秀嗣が違和感を口にした。
「ライト点けてなかったか?」益男が驚いて聞いた。
「ああ、懐中電灯の明かり、スマホの灯りを点けている感じはなかった。弁護士事務所の中は真っ暗だった。振り向いて見て確認したから確かだ」
「オバケっぽいな」益男はほくそ笑んだ。
「無駄話していても時間の無駄だから、行くぞ!」
 義隆を先頭に、凱了、益男、秀嗣の順に駆け下りた。ドタドタと、ドッ、ドッ、ドッという大きな足音を立て、一階の用務室まで一直線に走った。部屋に入って、ドアを勢いよく閉めた。そして四人で、ドアの所で聞き耳を立て、誰かが追って来ないか様子をみた。四人が足音を立てながら下りているとき、「待て!」とか「誰だ!」とか四人を呼び止める、大人の男性の声は聞こえなかった。追っかてくる足音も聞こえなかった気がする。
 つまり誰かは、四人の後を追って来ていないということに成る。
「来ないな」
「あー、静かだ」
「豊臣と幸輔の声も聞こえなかった」
「七階の弁護士事務所に、豊臣と幸輔と、夜にビルを見回っている誰かは一緒に居るのかな」
 まだ少しの時間、ドアの所で聞き耳を立てて変化がないか待った。
 一分、二分……、と五分くらい四人は息を潜めて動かなかった。
「行くか」と義隆。
「帰ろうか」と益男が応じた。
 入って来たのと逆の順路で、ビルの外、ビルの裏の通りに出た。
「表通りに出るのは危険だからな。七階の部屋の窓から下を見下ろしているかもしれないから。止めておこう」義隆が言った。
「どうする。ここで豊臣と幸輔をもう少し待つ?」秀嗣が義隆と益男を見て聞いた。
「俺は今日の肝試しの言い出しっぺだからな、豊臣と幸輔を置いて行く訳にはいかないから残る。お前らは帰っていいぞ」
「じゃあ、俺は帰ろうかな」と益男が答えた。
「肝試しではなかったが、最期はハラハラして面白かったぜ」
 じゃあな、と言った感じで片手を上げ益男は日本橋方面に帰っていった。
「おれも帰るよ。待ってても良いんだが、十一時までに帰ると父ちゃんに約束したから、温和しく帰る。凱了も一緒に帰るか?」秀嗣は義隆の横にいる凱了に声をかけた。たしか、凱了の父ちゃんもかなり厳しい、怒ると怖い人だったから。
「おれは……、もう少し豊臣と幸輔を、義隆と待ってみるよ。じゃあな」
 凱了は秀嗣に手を振った。義隆は秀嗣に手を振ることなかった。
「じゃあな」と秀嗣は残る二人に手を振って、ビルの前(後ろ)を離れて、急ぎ足で家に帰った。

 次の日に義隆から聞いた話し。結局、豊臣と幸輔は午前零時過ぎてもビルから出てこなかったそうだ。義隆と凱了は午前零時を過ぎたところで、ケジメは付いたと判断して帰った。そして豊臣と幸輔は次の日の今日、二人揃って風邪を引いたという理由で学校を休んだ。
 何があったんだろう。
 見回りの誰かは、本当に居たんだろうか。
 その誰かに、豊臣と幸輔は見つかったんだろうか。
 風邪を理由に学校を休んだは、本当だろうか。
 "何か"に取り付かれて、クラスのみんなに姿を見せられないんじゃないと秀嗣は心配した。
 怖かったので、昨日の話を人志に話したら「この世には、触れていけない事や、迷い込んではいけない場所があるんだよ」と答えられた。たぶんテレビかネットの怪談番組の演者のマネをして秀嗣を怖がらせようとしているんだろう。秀嗣は怖がりだが人志の性格は知っている。普段、怪談話しや摩訶不思議な話しに乗ってこない性格だ。
 だから、「真面目に答えて欲しかった」と返した。

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