見出し画像

アンズ飴        その15

 僕は三年生になった。無為に入学からの二年間を過ごした。反省から僕はゼミに政治色の強いものを選んだ。法学部でありながら、すこしだけ政治寄りになり、六法全書を読む、理解するから逃れられてほっとしていた。ゼミで一緒になった人間はすごく真面目な者が多かった。ゼミで話すようになった女の子は高坂 正堯を先生と呼び、僕に熱く語った。高坂 正堯の本を僕も読まないと彼女と対等に話すこともできないの辛い。最近、知らないことが多く、読まないとならない本が増えて困る。
 なのに見える僕の未来は、普通に会社に就職して、社内恋愛か誰かの紹介で女の人と知り合い結婚するんだろうなーという感じがして、気持ちの中で不満だった。

 彼女のその後の話しをしよう。彼女は表参道の美容院に行ったら芸能事務所の人間にスカウトされたそうだ。名刺に書かれていた事務所の名前が大手だったので信用して、すぐに事務所に入った。今はちょい役ばかりで顔を売っている最中らしい。平行して神保町や護国寺、銀座などの出版社を巡って、ファッション雑誌のオーディションを月に一度は受けてるとか。とにかく顔を売る。業界、一般に顔を覚えて貰い仕事を貰う、少しずつでも売れて行くのが大切なんだとか。結局、二十歳までモデルの仕事、芸能界の仕事をして来なかった彼女には時間的なハンデがある。リミットは早くて22歳、23歳まで、先延ばしにできるだけ伸ばして27歳、28歳くらいまで。27、28になれば下着姿でセクシーなポーズを恥ずかしくなく取れないとダメらしい。30歳過ぎて初めて顔知られて売れるというのは、舞台出身の超演技派の女優さんだけが起こせる奇跡だという話しだ。彼女は素人だから(半年ほど芝居の勉強みたいことをしたが)、顔をで売れるか、セクシーで売れるか、顔とのギャップを生み“おバカ”で売れるかなんだとか。つまりカウントダウンは事務所に入った、働き出したときから始まっている。
 もう一つ、彼女に新しい恋人が出来た。
 テレビのバラエティー番組に大勢のアシスタントの一人として彼女が出演したときに、売り出し中の男性アイドルから連絡先を聞かれ、顔がタイプだったのと、番組内でわりと頭が良いと思われる受け答えをその彼がしたのを覚えていて感心したから、連絡先交換が出来て嬉しいと言う思い、簡単に教えたらしい。
 その彼の名前を教えてもらったが、僕はテレビで見つけられない。まだまだこれからの有望株だと彼女は教えてくれた。一緒に売れたら良いね、と言って励まし合い、休日は行動を共にしているそうだ。出会って一ヶ月で軽井沢に旅行に行ったそうだから、連絡を取り合うように成ってほどなく寝る関係に発展したことは間違いないと思う。彼女もそこまでのろけて聞かせて来なかったが。

 最後に、アンズ飴にまつわる想い出話をしておこう。
 暑さも峠を過ぎて、一週ごとに気温も下がり涼しくなって来た頃、思いがけない場所、町中で秋祭りをやっていたりする。
 ゼミで話すようになったカノジョと並んで歩いていた。相変わらずカノジョの話しは難しかった。有名な学者や評論家の本を読んでいれば済むというレベルではなく、その先の先の文献、最近の研究者が発表した物まで読んで感想を言ってくる。

「秋祭りをしてますね。寄っていきませんか?」
 カノジョは言った。
「私、両親が私に弁護士になって欲しかったから、小学校三年生の頃からずーっと学習塾に通い、受験勉強ばかりしてきたので、夏祭り、秋祭り、初詣など10歳から行った記憶がないんです」
「良いよ。なにか覗いて見たい屋台はある?」
「縁日に並ぶ全部の屋台を隈無く見たいです。…あー、無理とは分かっているけど、浴衣着てきたかったなー」
 カノジョは僕の隣で、急に一人で興奮して顔を赤くした。
「夏も過ぎたし、浴衣でなくても良いと思うけど」
「いいえ、お祭りは浴衣で来るのがマストです。日本の風情というか情緒に関わる問題です。伝統です」
 カノジョは細い腕に力こぶ作って力説した。
 お好み焼き、たこ焼き、綿菓子、鼈甲飴細工、飴細工、ベビーカステラ、金魚すくい、ヨーヨー釣り、籤引き、季節が過ぎたかき氷などの縁日を眺めながら歩いた。ときどき「たこ焼きが食べたい」「ベビーカステラを買って分けましょ」とカノジョは興奮した。たこ焼きも、ベビーカステラも僕が買い、カノジョは満足そうに頬張りながら歩いた。
「親以外に食べ物を買って貰うのは初めてです。買って貰ったからなのか、場所の影響か、何を食べても美味しいです。ありがとうございます」
「お祭りの雰囲気が、最高の調味料になってるんじゃない」
 ですかね、と言いながらも参道の左右に並ぶ屋台をキョロキョロとみている。やっぱりお祭りの縁日特有の、屋台の黄色いライトの効果か、興奮している子供ような姿だからなのか、カノジョは大学のゼミ室で見ていたときより可愛く感じられてきた。
「お祭りにはお参りがつきものです。縁日の先にきっと神社か本堂があると思いますから、参拝していきましょう?」
 奥の社殿を目指して歩いた。手水舎で手を口を清め、更に奥の拝殿に進み、横に並び参拝した。
「お願い事はなににしましたか?」
「とりあえず、顔が浮かぶみんなの幸せ。と宝くじ三億円が当たりますようにって」
 何ですかそれ、とカノジョは笑った。カノジョは何をお願いしたのか聞いたら、内緒とまた笑って答えた。カノジョは楽しそうだ。
 表通りに出ようと、また縁日の中を通っているときに、何かの知らせかヨーヨー釣りをしているカップの女の背中に見覚えがある気がした。カップルは二人とも濃紺の浴衣と赤紫地に大きな花の柄の浴衣で、仲良く水風船を釣ろうとしていた。振り返ってくれるなと思いながら、いま後ろを通ろうとするところで、カップルはにこやかに振り返った。
 やっぱり一年前に別れた彼女だった。彼女は男に夢中らしく、男の顔をじーっと見つめ僕にはまったく気付かなかった。男とは一瞬目があった。目が合ったがお互いに知らない顔なので、すぐに僕が視線を外したので男が僕に興味を持つこともなかっただろう。
 二人でヨーヨー釣りにもう一回挑戦するらしく、彼女が巾着からお金を出そうと屈伸座り(うんこ座り)から立ち上がったその時、彼女の浴衣のお尻の所に棒についた食べかけのアンズ飴がペトリとついていた。
 お尻をあげた瞬間に彼女も気付いた。
「あっ! ……最悪」と小さな声で言った、気がした。
 僕はすぐに視線を前に向け、ゼミのカノジョの手を握り表通りに急いだ。カノジョは盾にされたと知らず、顔を赤くして俯きながら付いてきた。

 今も彼女のお尻のアンズ飴が目に焼き付いて離れない。
 また、光るアンズ飴をお尻に付けた彼女の姿も忘れることができないでいる。
 
                          (おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?